シアトル・オレゴンコーストの旅(10/12〜10/17)


6ヶ月の観光ビザもあと残り1ヶ月。何とか延長する手はないかと考え、なにかの本で国外に出て再入国すれば又新たにビザがもらえる・・・と読んだ記憶がある。それならカナダから一番近い外国、アメリカのシアトルに行こうとなった。せっかく行くのならバンも買ったことだし、西海岸線に沿ってワシントン州、オレゴン州、できたらサンフランシスコまで足を延ばしたい。でも習い事も休みたくないし・・・と言うことで予定なしで行けるところまで行って帰って来るということにした。


10月12日(1日目)

午前中太極拳を習い12時出発。ハイウェー99号線でアメリカとのボーダーまで30分。車で国境を超えるのは初めてだし、おまけにアメリカの入国審査は物々しいと聞いていたので、ボーダーに近づくに連れドキドキしてくる。アメリカの国旗が見えはじめ、その先には高速道路の料金徴収所のようなブースがいくつも並んでいる。その前を警察犬を連れた審査官がうろうろ。麻薬を持ってないか調べるのだろうか?取りあえずブースの一つに車を止める。と、いかめしい怖そうな顔のおっちゃんがハンドルを示しながら何かわめいているエンジンを切れ!と言っているのだ。そんな標示はなかったのに・・・。そしてどこから来たのか、どこへ行くのか、等の簡単な質問があり紙をもらってイミグレーションへ行けの指示だけ。示された方へ行き、建物に入っていくとそこが入国審査場

あとはお決まりの入国審査があり、出入国記録を書いてお金を払って、90日有効のビザをパスポートに貼ってもらっておしまい。初めだけ物々しかったがあとは簡単に行きホットした。アメリカに入ってからハイウェー5号線になり、道幅も2車線から4車線に広がる。道路標識の時速表示もマイルになりピンと来ない。最高70マイル(時速112キロ)と表示してあっても、120〜130キロくらいでどんどん追いぬいていく。それに運転も荒っぽく車間距離を十分取っているのに少しでも空いていると、指示器を出さずに割り込んでくる車の多いこと。怖い!怖い!

無事にシアトルのダウンタウンに着き、知人のトムに電話して会う。トムは以前私(MINE)が勤めていた高石市の中学校に、AET(英語補助教員)として5年前に来日し2年間いっしょに働いた仲間だ。彼は職員集団にもしっかり溶け込み、学年の親睦会やスキーの下見にもいっしょに行ったくらいだ。3年ぶりに会ったトムは昔と変わらず、29歳というのに若々しかった。今はファイナンシャル・コンサルタントとして働いているが、教えると言う仕事なのでとても楽しいそうだ。また夜に大学院へ通いあと2年間勉強するとも言っていた。テニスは今もやっているし、2年前からゴルフも始めたらしい。何事に対しても前向きにかつ熱心に取り組む彼の姿勢は変わらず、さすがトムだなと思った。昨年までは月に1回はバンクーバーまで来ていたらしく、次はリッチモンドで会う約束をして別れた。シアトルの町もトムがいるというだけで何だかより身近に感じた。






10月13日(2日目)

今日はマウント・レーニエ国立公園へ行く予定。車を取りに駐車場まで行くとフロントガラスに何か紙がはさんである。駐車料金20$払えと言うのだ。えっ!昨日 ALL DAY 10$ とあったので10$払ったのに・・・。その料金の払い方もいい加減なもので、番号を書いたおもちゃのような小さな箱がずらっと並び、1つ1つの箱にコインと紙幣を入れる小さな穴がありそこに入れるわけだ。パーキングの番号と箱の番号は確認できるが、何時間止めたかどうやって分かるのか不思議だった。よく見るとタイヤにチョークで印を入れてあるので、1時間毎に見に来るのだろうか。アメリカにしては古いやり方やな!・・・と2人で笑ったばかりだった

このまま無視して行こうかとも思ったが、あて先の書いた封筒もあり、遅れたら料金も倍になると脅し文句があったので電話した。電話口の男性はまずこちらの言い分を聞き、名前とナンバープレート、電話番号を聞いてきた。電話番号は教えたらヤバイと思ったので、「旅行者だからない。」と嘘をついた。 ALL DAY というのは 車を入れてから翌日の同じ時間までと思っていたが、よく聞くと日付けが変わると2日分になるらしい。それにしてもあと20$も払うなんて合点が行かないし、モーテルなのに駐車場がないなんて!と頭に来ていたので、「ALL DAY 10$のお金を払った! なぜ20$も払うのかわからない?」の一点張りで通した

何回かのやり取りのあとついに男性が、「すみません。こちらのミスです。」と言った。やったー!英語のよく分からない者相手に話しても、埒があかないとあきらめたのだろう。いつもは英語が出来なくて損しているが、今回ばかりは粘りがちだ。

マウント・レーニはシアトルから南へ2時間半、アメリカ最大の氷河を持ち原生林の茂る4394メートルの山だ。日系移民は「タコマ富士」と呼んで、苦しい新天地の生活の支えにこの山を眺めていたそうだ。夏には多くの観光客や登山家で賑わい、氷河と一面のお花畑が楽しめるらしいが今は秋。国立公園に入ると小雨や霧になり、残念ながら何も見えない。ただ標高1650メートルのパラダイスで、低木の紅葉を見ながらトレイルを歩き気持ち良かった。




10月14日(3日目)


今日はオリンピック国立公園へ行く予定。ガイドブックによると山岳、温帯雨林、海岸と、3つの全く異なった気候や地形が同居する・・・とあり面白そうだが、半島の真中に高い山があり海岸線に沿って走らなければならないので、かなり時間がかかりそう。国立公園なので夏の間はキャンプ場もあると書いてあったが、10月にはクロウズとなり泊まるところもなさそうなので、最悪の場合は車で寝るか、夜中じゅう走るしかなさそう・・・と覚悟していた。
まずタコマを通り時速110キロで北へ走ること約3時間半。ハリケーン・リッジという高さ1500メートルのポイントまで登ると、遥かかなたにバンクーバー島のビクトリアが見える。そこから又2時間ほど走ってやっと待望の温帯雨林ホー・レインフォレストの入り口へ。さらにうっそうと茂る太古の原生林を走ること30分。

初めて見る異様な世界に驚く。高さ70メートルは有ろうかと思われるモミ、杉などの幹や枝にびっしりとコケ類が生え、それらが垂れ下がっているのだ。又足元にはシダ類も広がりまるで熱帯のジャングルに迷い込んだような雰囲気だ。そんな雰囲気とは別に空気はとてもおいしい。何の匂いもしないのだが甘いと言うのか、爽やかというのか、今まで味わったことのないおいしさだ。夕方と言うのにラッキーにも日が射しこんできたので、約1時間のトレイルを楽しんだ。
もと来た道を戻り、メイン道路に出た頃には薄暗くなってきた。あとは一気に町を目指して走るだけ。2時間以上走っただろうか、町の明かりがぽつぽつ見え始め町の入り口と思われるところに、モーター・ホテルが3、4軒並んでいたのでAAA(日本のJAFのようなもの)加盟のホテルに決めた。HARUの運転も慣れスピードも出るようになったので、思ったよりも早くホテルに入れた。8時だった。





10月15日(4日目)


今日は太平洋を見ながらオレゴン・コーストをずっと走る。最初サンフランシスコまでと考えていたが、実際にアメリカへ来て走ってみると思っていた以上に遠く無理だと分かった。サンフランシスコはまた次の機会にして、今回はゆっくりとニューポートまで行くことにした。

海の中?と思うほど川幅が広いコロンビア川の橋を渡ったところからオレゴン州だ。オレゴン・コースト最北端のアストリアからキャノン・ビーチへ。観光地というだけあってシーズンオフなのにまあまあの人出。海岸にそびえ立つヘイスタック・ロックは、高さ70メートル、世界で3番目に高い一枚岩とか。今日は波も静かで穏やかだ。この海が日本まで続いていると思うと、「遠くまで来たんだなあ。」と感傷的になってしまう。

ずっと太平洋を見ながら走ること約2時間。だんだん家が見え始め、にぎやかになってきたところがニューポートだった。夕食は久し振りに和食にする。リッチモンドでは日本料理を食べても、カナダの味付けになっているか、経営者が韓国人なのでおいしくない。アメリカのこんな辺鄙な漁港ではダメだろうと思っていたのに、日本の味がしておいしかった。思わず「おいしかったです、ありがとう。」と言うと、日本人に飢えていたのだろう、いろいろ話し掛けてきてお土産に松茸までもらった。





10月16日(5日目)

今日も快晴。ラッキー!海岸線を離れ、ハイウェー5号線をポートランドまで北上する。ポートランドまで約3時間半のドライブ、ここまでは快調だった。問題はポートランドで5号線から、マウント・フッド行きの84号線に乗りかえるときミスをしてしまったことだ。こちらのハイウェーは時速110から120キロくらいで走るので、地図を見ながら早めに右の車線に移り、出口で降りなければならない。ところが早めに右の車線に寄っていると出口専用になることもあり、あわてて左に寄ろうと思っても後ろから車がバンバン飛ばして来るので、寄ることが出来ず降りたくもないところで降りる羽目になってしまった。仕方がないのでもう一度5号線に乗りやり直し。今度はうまく行った。

コロンビア川に沿って84号線を走ること約1時間。マウント・フッドの入り口のフッドリバーという小さな町に着いた。町から20分も走れば周りは牧場、果樹園が広がる田舎の風景。これぞまさしくオレゴン州と言う感じだ。




10月17日(6日目)


今日は帰る日。リッチモンドまで約8時間かかるので、早めに出発。途中コロンビア川沿いの滝で休んでいると、バンの屋根に鳥が止まっている。怖がる様子もないので手に持ってお菓子をやると、初めは遠巻きに寄ってきたのに、慣れてくると取りに来るありさま。とても可愛い。ポートランド、タコマ、シアトル、を通過しいよいよカナダ再入国だ。車中での話題はもっぱらビザのこと。「ほんまに6ヶ月くれるんやろか?」とHARU.。「大丈夫やって!カナダの入国は簡単やから。I love Canada.って言えば6ヶ月ポーンとくれるから・・・」と私。

アメリカ入国と同じようにブースが並んでいるが、警察犬もいなければ怖いおっちゃんもいない。車を止めてパスポートを見せる。カナダ入国の消印を見ながら「いつカナダに来たの?」と審査官。「えーっと、4ヶ月か5ヶ月前です。」「5月25日だから、5ヶ月ね。どこに住んでるの?」(えっ!なんと答えたらいいの?アパート?ダメダメ。)「ホテルです。」「この車は?」と審査官。(えっ?あくまでも観光客だから・・・)「レンタカー・・・」

嘘を言ってバレないだろうかとMINEの返事もつまりがち。審査官は疑うような目つきで見てそして、「あとどのくらいカナダにいるの? ドキドキが最高潮に達したMINEは、つまりながらも“One month”と つい本当のことを言ってしまう。審査官は“O.K.”とパスポートを渡す。MINEは一瞬ぽかんとし HARUは思わず「スタンプを下さい。」というが、あとの祭り。「あと1ヶ月あるから大丈夫。」の返事だけ。あーあ!!何のためにシアトルまで来たんだ?どうして1ヶ月なんて言ってしまったんだもう取り返しがつかない・・・!と自己嫌悪。2人ともどっと疲れがでて、重い気分のままアパートまで帰った。

後日談   翌日,日加センター(日本人対象の相談所)に行き、ビザについて聞く。観光ビザの6ヶ月延長は割合簡単で、書類と銀行の残高
       証明書があればいいとのこと。シアトルに出て再入国という話をすると「それはダメでしょ。皆やるでしょう。」といわれた。でも今だにもって
       あの時6ヶ月、と言えばビザがもらえたかどうか分からない。その後、日本から送金してもらったり、書類をそろえたりして1ヶ月前の
       郵送に間に合った。25日内に延長のビザが返送されますように。


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