カウラ(エドワード・ガーデン)での生活(2006.12.11〜2007.1.8)


 

 12月11日(月) 快晴 カウラへ
いよいよカウラへの移動の日。6時にホテルをチェック・アウトし電車でセントラル駅へ。7時10分発の急行列車でバザースト駅まで約3時間30分、そこからバスに乗り継ぎカウラに向かう(電車+バス代 1人分49.2$)。

バスの乗客はたった8人で旅行客は私達だけ。バスはいくつかの小さな町や、西部劇のゴーストタウンを思わせる誰一人いない村を走りぬける。HARUは「えらいとこに来てしもたなァ、えらいイメージと違うで!」と不安げにぶつぶつひとりごと。田舎道を走る事、約1時間40分でやっとカウラに到着

マグドの看板もありメインストリートに沿って店も並び、バスで通って来た村と違い賑やかそうな町なのでMINEもほっとする。バス停でエドワードガーデンのオーナーの堀部さんと、スタッフのナオ子さんが出迎えてくださる。2人とも温かそうな感じのよさそうな人柄。

スーパーで当座に必要な食料品を買い、いよいよエドワードガーデンに到着。インターネットの写真で見た通りの広い敷地にまずレストランが見えそこに入る。

簡単な自己紹介をし、早速茶そば、かき揚げ、スイカをご馳走になりながらいろいろ話す。宿泊はゲストハウスを予約していたが、日本から学生の団体が来るのでファミリーユニットに変更してくださる。ラッキー!

ユニットは2ベッドルーム、リビング、ダイニング、キッチン、ジャグジーまでありとても広くゆっくり落ち着ける感じだ。ベッドのシーツや台所用品も清潔で気持ちよさそうだが、早速荷物を広げ掃除に取りかかる。



     カントリーリンクの急行列車               レストラン                   プールと宿泊棟


夕食はレストランでナオ子さんの息子さん(大地君)も加わってみんなで賑やかにいただく。オーナーの堀部さんは49歳で退職され、縁があってこのカウラに来られたそうだ。生産農業地からスタートし果樹園そして宿泊施設、レストラン・・・・と広げたとか。カウラに来て14年目、やっとここまでになったが6年来の水不足で今は農業も出来ず、人出不足でレストランも一時閉店。今は研修旅行やホームステイの企画や手配で忙しそうだ。

若い時にバックパッカーで旅をされ、日本から持ちこんだ車でシルクロードをドライブ中、ゲリラに合い銃を向けられた体験をされたそうだ。一度死んだ身なのでそれからは欲もなく、腹立つこともなく生きているだけでありがたいと思うようになったとか。私達が想像も出来ないような体験や苦労をされたからこそ、今の魅力的な堀部さんになられたのだろう。もっといろいろ話しを聞きたいと思わせる人物だ。



12月12日(火) 快晴 朝夕20℃ 日中32℃


朝8時起床、ゆっくり食事し10時頃レストランへ行く。堀部さんがカウラ市の説明や近隣の町の紹介、車の運転のし方などいろいろ教えてくださる。

カウラ市はシドニーの西320キロの内陸にある人口約12500人の小さな田舎町。かつて連合軍の捕虜収容所があり、1200人近くの日本兵が収容されていたが、集団自決のためブレイク・アウト(脱走)を企てた。そして231人の日本兵と4人のオーストラリア兵が亡くなったが、カウラ市民は日本兵の遺体を葬ってくれた。日本政府は感謝の意をこめて、日本庭園を贈り日豪友好のシンボルの町に指定した。また、国連より「世界平和の鐘」が送られている。(エドワードガーデンのパンフレットから)

昼過ぎ、堀部さんの車に乗せてもらい町へ出る。メインロードに沿って多くの店があり、クリスマスの飾り付けをしてあるが、日中は31℃〜33℃の気温で真夏だ。12月だなんて思えずもう一つクリスマス気分が出ない。


昼食はカフェ・レストランで鶏肉のカツレツセットとコーヒー(21,4$)。その後世界平和の鐘アート・ギャラリーへ行き、ウールワース(スーパー)で買い物。内陸部とあって新鮮な野菜はないようだ。(1$=101円換算)

米5kg(8$) レタス1個(1.98$) にんじん3本(0.8$) 玉ねぎ1kg(1.98$) ジャガイモ中4〜5個(1.06$) 卵12個(3.94$)
ネスカフェコーヒー100g(6.49$) 食パン1本(1.98$) ハインツケチャップ500ml(2.29$) ハム200g(4.01$) 鶏肉200g(4.56$) フィレステーキ肉2枚(5.74$) 豆腐300g(1.49$) トイレットペーパー9本(3.24$)

米、食パン、ハム、ステーキ肉などは安いが卵が高く、レートの関係もあるが全体的に日本の物価と変わらないように思う。夕方堀部さんに迎えに来てもらいユニットに帰った。




12月13日(水) 快晴

 今日も朝から晴れ。朝は寒いくらいで長袖とジーパン姿。日中は陽の当たる所は日差しがとても強いが風がさわやかで、32℃でも扇風機だけで過ごせる。同じ気温でも湿度が低いので日本の夏とは大違いだ。それに汗もかかないので、衣類もあまり汚れない。

午前中、HPを作ったり犬や猫と遊んだりしてのんびり過ごす。エドワードガーデンでは農作業体験ができ、特にこの時期(12月〜2月)には、桃やプラム、ネクタリンの収穫期とあったので、フルーツ・ピッキングを楽しみにしていた。ところが、ここ6年来の水不足で畑に水を撒くことが出来ず、農園は荒れ放題

特に植樹したオレンジ、レモン、桃などの木は枯れかけていた。あまりにも木が可愛そうなので水遣りのお手伝いを申し出、夕方に2時間ほどHARUと2人で水遣りをした(政府に見つかれば罰金)。レストランのデッキから見た農園は広いとは思ったが、なにしろ2、6万坪!木々の所に行くのもすごく遠い

その上長いホースを引っぱって1本、1本の木に水をやるのは思った以上に大変で、夕方と言えども日差しが強く、1日で真っ黒に日焼けしてしまった。




12月14日(木) 快晴

午前中いつも通り過ごす。

昼食後堀部さんに2時間車を借り町へ出て,オーストラリア最大といわれる日本庭園へ行った。桂離宮の様式にのっとって造られたというだけあって、回遊式でかなり広く畳の部屋もありなかなか立派だった。この水不足のおり、木々や芝生が青々としているのが目についた。カウラ市の1番の観光名所のようだ。

帰リ際、事務所の芝生のかげで体調30cmくらいの太いトカゲを見た。暑いのか建物の影に隠れていたがぞっとした。爬虫類が苦手な私達、油断は禁物だ。

その後スーパーで買い物をし、ユニットに帰り夕方水遣りをした。堀部さんにビールやら天ぷらをご馳走になっていた時、急に停電になった。どこかで雷が落ちたらしい。あわててユニットに帰り、薄暗い中簡単に夕食を済ませた。30分後電気がつきほっとした。




 

12月15日(金) 快晴

午前中プールサイドに見知らぬ日本人がいたので驚いた。どうも新しいスタッフになる人らしい。大阪弁でしゃべるので親しみを感じどこの出身か聞くと、岸和田市で7年前ここに3週間程滞在し、懐かしくなりまた戻ってきたとか(ヤスさん)。

昼に新しい人が来るのでピックアップするついでに、みんなで中華レストランにランチに行った。彼は枚方市にある大学の学生でワーホリで来ていて、ここでファーム体験をしながら働くらしい(タカさん)。エドワードガーデンも若者が2人増え急に賑やかになった。

夕方8時過ぎ夕日を見に行った。エドワードガーデンを出て10分ほど歩くと小高い丘になっていて、そこから一面に広がるぶどう畑と、茶色の乾ききった草原が見渡せる。少し歩くだけでこれだけ周りの風景が変わり、遥かかなたの草原に今まさに沈もうとする夕日を見て思わず、「わー、すごい!」。と歓声を上げてしまった。オーストラリアへ来て初めて感動した瞬間だった。



 

12月17日(日) 快晴


ここに来てやりたいことの一つにカヌー遊びがあった。園内に池があり自由に楽しめるとパンフレットに書いてあったのに、この水不足で池は干上がってしまいカヌーどころではなく残念だった。

それでもう一つの楽しみ乗馬に行った。最初にたずなの扱い方を教えられすぐ馬に乗った。オーナーのケビンさんに馬を引いてもらい何周かグラウンドをゆっくりと歩いた。次にケビンさんの息子さんが馬に乗り私達の馬を引いて3頭で歩いた。少し慣れた頃グラウンドから出て、ブッシュや坂を何回も歩きだんだんと早足になってきた。初めはこわごわだったが慣れてくると感じがつかめ面白くなってきた。

またグラウンドに戻り今度は3頭一緒に軽く駆け足。MINEはあまりにも弾みすぎて落ちそうになり慌てたがかろうじて姿勢を保てセーフ。これでもう最後と思ったのに、今度はフリーライドグランドを何周もした。やはり自分のたずなさばきでだけで馬を動かすのはわくわくし、次回もぜひやりたいと思った(1時間30分 30$)。

 



12月20日(水) 快晴 日中34℃暑い
午前中町のツーリストへ行き、帰りのカウラからシドニーまでのバスと電車の切符を買った(61$)。来た時よりも値段が高かったので不思議に思い聞くと、スクールホリデイでハイシーズンの値段だと言われたがもう一つピンと来なかった。

今日は昼からが最高に暑かった。いつもなら扇風機だけで快適なのに、今日ばかりは何もする気がせず部屋でごろごろしていた。夕方少し涼しくなったので水遣りと前庭のバラの剪定をし、体を動かしたのですっとした。

夕方、日本のG県の高校生9名と先生2名が海外研修で来た。1週間カウラに滞在し農業や高齢者福祉の勉強をするらしい。プランを見せてもらうと、ホームステイ、英会話研修、カウラ市内見学、老人ホーム慰問等内容も豊富。

私達も興味があるので校長先生に同行をお願いすると快く承諾してくださった。オーナーの堀部さんも校長先生がOKなら、オブザーバーとしてならいいでしょうという返事だった。

早速夜の9時過ぎ、市内の家のクリスマスの飾り付けを見て周り、ダービーズホールにある天体観測所までドライブした。真っ暗な中、夜空一面に広がる星は見事で思わず「おっー!」と言う声があがった。残念ながら南十字星は見えなかったが、大小マゼラン雲、逆立ちしたオリオン座やスバル座、流れ星も見え感動した。





12月21日(木) 快晴
朝から同行させてもらう。午前中はコミュニティーセンターでメリー先生による英会話研修。オーストラリアの文化や家庭の紹介、エチケット、テーブルマナー等、今日からホームステイする高校生には興味のあるものばかりだった。


            英会話研修                  日本人墓地                    捕虜収容所跡

昼から日本人墓地、捕慮収容所跡、日本庭園へ行った。日本人墓地はカウラ市民の墓地とカウラ戦没者墓地の間にあり、“死んでまで敵・味方と憎しみ合わなくても良い”との考えでそうされたそうだ。綺麗に整備された墓石がいくつも並び、その一つ一つに名前と年齢が記入されていた。

次に行った捕虜収容所跡は草原が広がり、一部に建物の基礎跡があるだけだった。今から62年前、手にフォークやナイフを持った20歳前後の少年兵達が有刺鉄線めがけて死ぬ覚悟で脱走し、監視の銃に撃たれたと言う悲しい事件を思うと気持ちが暗くなり、暫らくたたずんでいた。


 

12月22日(金) 快晴

午前中同行、英会話研修を見せてもらう。昼食は近くのカウラボーリングクラブのレストランで今日のお薦めランチとビール(23$ 2人分)。ビュッフェスタイルのサラダとフルーツが付いていて値段も格安。お年寄り達が集まって楽しそうに会食していた。

昨日行った退職軍人サービスクラブにも、レストラン・バー・ビリヤード・スロットコーナーなどがあり、多くの人が楽しんでいた。このようにお年寄りが気軽に集まり格安で遊べる施設があるのは良いなあと思った。

昼食後クラブの人にボーリングを教えてもらいみんなで楽しんだ。日本でいうボーリングと違い、芝生の上で的の白ボールめがけて金属のボールを投げ、誰が一番近いか競うらしい。メリー先生も、これはお年寄りのやるゲームで初めてだと言いながら楽しんでいた。

夜、エドワードガーデンのレストランのベランダで、校長先生やメリー先生と日本とオーストラリアの教育について話し合った。メリー先生は10年間日本に住んでいたことがあり、日本のこともよく知っていて驚いた。




 

12月23日(土) 曇、夜に雨

午前中同行、町へ出てオリエンテーリングを楽しむ。レストランへ行ってランチメニューとその値段を聞いたり、銀行で今日のレートを調べたり、スーパーでもやしや豆腐の値段を調べたり、いろいろ楽しそうだ。

私達も一番古い教会に行き、クリスマスの準備をしている人に声を掛けられ教会の説明をしてもらった。その人は3回日本に行った事があり、日本に興味がありそうだった。また明日のイブのミサは素晴らしいから是非来るように言われた。

昼は水車小屋跡を利用した“ザ・ミル”というワイナリーに行った。赤や白ワインなどいろいろテイスティングし、一番おいしかった赤ワイン(1本15$)を買って帰った。

夕方強い風が吹き夜に雨が降ってきた。普通なら雨でいやだなと思うのだがここでは恵みの雨だ。たくさん降って水不足が少しでも解消できるといいなと思いながら寝た。




 

12月24日(日) 曇、最高気温25℃涼しい

有料老人ホームの見学
に同行させてもらった。まず外から建物全体を眺める。建物の配置はゆったりと計画されていて、さすが土地がいっぱいあるオーストラリアだと思った。

部屋は2タイプありコテッジ型の2LDK(約30坪、2ベッドルーム、リビング、キッチン、庭とガレージ付)と1部屋のホステル型。入居費は毎月コテッジ型1,5万円、ホステル型6000円と日本と比較しようがないほど安くうらやましい限りだ。

その上入居時に一時金として1000万円預けると年50万円の利息がつき、退去時には全額返金されるという夢のような条件で、現在入居者は約20人、キャンセル待ちが105人というからいかに希望者が多いか良くわかる。





私達はホステル型のホームを訪問した。リビングと思われるゆったりとした明るく広い部屋に、各々のテーブルに3〜4人ずつ座り全部で20人ほどのお年寄りがいた。日本と同じようにほとんど女性だった。

私達もテーブルにつき一緒にコーヒーを飲みながら会話に加わったが、ゆっくりわかりやすく話してくれる人や早口で勝手にしゃべっている人など様々だった。住居者の表情は日本の老人ホームとさほど違わないと感じた。やはり年を取れば覇気がなくなるのは当然なのだろうか?

その後ルックアウトポイントに行き、高台からカウラ市内を見渡した。足元に小さな田舎町が見え、その地域をぬければユーカリの木がぽつぽつと生えた赤茶けた牧草地帯が広がっているのがわかった。

夕方、昨日行った教会のクリスマス・イブのミサに参加し、隣に座った若い女性から話しかけられた。彼女は今シドニーに住んでいるが、両親がここに住んでいるのでクリスマス休暇で帰っているらしい。クリスマスの由来や日本のクリスマスについていろいろ聞いてきた。

カウラという土地柄なのか、それともオーストラリア人がそうなのか? どちらかわからないが親切に話しかけてくれる人が多く、だんだんとオーストラリアが好きになってきた。




12月29日(金) レンタカーでキャンベラへ 往復410キロ
オーナーの堀部さんにレンタカー屋まで送ってもらう。レンタカーは2〜3台しかなく、それも1日のレンタル料金が90$というから驚くが、レンタカー屋はここしかないので仕方なく借りる。車はホールディンの3400ccくらい(?)でさすが馬力がある。

カウラからキャンベラまで185キロ。ハイウェィ81号線から、25号線、23号線を通って2時間30分でキャンベラのインフォに到着。さすが首都だけあって24時間オープンの設備の整ったインフォで、多くの観光客が立ち寄っていた。私達もパンフレットを集め、まず国会議事堂のあるキャピタルヒルに向かった。


         国会議事堂                      屋上テラスから                     キャンベラの街

ガイドブックには「キャンベラは原野に理想的に設計された都市。オーストラリア的な空間と自然を充分に利用している・・・・」とあったが、まさにその通りでキャピタルヒルに行く道路もわかりやすく、街も住宅や商店やホテルが立ち並ぶ市民の生活地域のシティヒルと、国会議事堂や政府機関のあるキャピタルヒルにはっきりと分けられていた。でも自然発生した街と違い生活観や温かみがなく、人工的な感じが強く残った。

国会議事堂は斬新なデザインで中も自由に見学でき、最後は屋上テラスから街並を見渡せた。その後人工湖のバーリーグリフィン湖のジェット噴水オーストラリア戦争記念館、キャンベラの街並みが一望できるテルストラタワーへ行った。タワーから街並がよく見えたが、街と反対側の開けてない所は赤土の原野が広がり、造られた街という感じが一層強くした。


12月30日(土) 快晴
朝一番にレンタカーを返却に行く。すぐに済むだろうと思っていたのに、レンタカー屋のおじさんは電卓で計算し始め65$の追加料金がいると言い出した。えっ、昨日レンタカー代90$を払ったし、ガソリンも満タンにしたのに・・・と言うと、走行距離200キロを超過すると1キロに付き25セントの超過金が・・・と説明し始めた。

そんな馬鹿な!今までどこで借りても走行距離は無制限だったのにと言うと、ここはそういうシステムだと言われたとたん、ガイドブックにそんなことが書いてあったなぁ・・・と思い出し仕方なく65$支払った。結局ガソリン代を加えると1日のレンタカー代が2万円にもなり、こんなに高いレンタカーは初めてだった。

あとでガイドブックをじっくり読むと、オーストラリアはレンタカーの基本料金が3地域別になっており、都市部は走行距離無制限。カントリー部は1日200キロを越えると1キロに付き25セントの超過金がかかり、もっと田舎に行くとますます値段が高くなるらしい。次にメルボルンやパースで借りる時にはしっかり確認しようと思った。



12月31日(日) 曇

朝から2回目の乗馬に行った。前回と同じようにケビンさんが馬に乗り私達2頭の馬を引いてくれた。牧場内を何回も歩き、坂の登り方や下り方を教えてくれ隣の競馬場を何周もした。1時間30分も馬に乗っているとお尻が痛くなり、最後のフリーライドももう充分というくらい満喫した。馬から降りると足がガクガクした。

今日は大晦日と言うことで夕食は堀部さんがバーベキューをしてくださり、スタッフ一同がレストランに集まり楽しく食事をした。夕方8時でもまだ明るく、半袖、短パン姿では大晦日の気分が全くしなかった。

夜12時、テレビでシドニーの新年の花火大会を見た。20〜30分にわたりテレビ中継が行われ、ハーバーブリッジやシドニータワーから一斉に打ち上げられる花火は見事なもので、シドニー湾が昼間のように明るく輝いていた。こんな大規模な花火大会は初めてで、どうしてこの日にシドニーに滞在しなかったのか悔やまれた。

 



1月2日(火) 朝から雨、最高気温24℃。肌寒い日
3回目の乗馬に行った。ケビンさんの息子さんが足をひきずっていたので、どうしたのか聞くと乗馬中、馬の足ががくっとなり共に前に倒れてしまい怪我をしたようだ。幸い骨折はしていない様子。私達が乗っているときも馬が足を取られる事があり、充分気をつけようと思った。なれた頃が一番危ないから。

3回目ともなるとかなり慣れてきて早足歩きや、時には軽い駆け足も入り乗馬がますます楽しくなってきた。いつも通り牧場や競馬場を3頭で歩いた後、フリーライドで駆け足を教えてもらった。馬とリズムを合わせて乗ると気持ち良く馬も軽そうに走った。途中で雨が降ってきたが、雨に濡れながらもまだ乗っていた。今日は面白かったのでそれほど疲れは感じなかったが、お尻がいたかった。後でお尻を見ると皮がめくれ赤くなり、椅子に座る時もひりひりするのでゆっくり腰を落とした。お互いにその姿を見て大爆笑だった。



1月5日(金) 晴れ
カウラでの生活もあと残すところ4日となった。次のメルボルンで最初にお世話になる白木さんとも連絡が取れ、待ち合わせ場所や時間も決まり一安心した。

夕方4回目の乗馬に行った。夕方といっても日差しは強く気温は33℃でとても暑かった。今日は最初からグランドでフリーライドだった。ケビンさんが用事があるといって姿を消すと、馬達は急に動かなくなり、強くけってもなかなか走り出さずすぐに止まってしまった。ケビンさんの息子さんが鞭を打つと最初の2〜3周は走るが、後は歩くか止まってしまい前回のように思うように走ってくれなかった。

でもケビンさんが姿を見せると急に馬達も動き出した。自分達のたずなさばきで馬達が動くと思っていたが、あくまでも乗せてもらっていたんだと気がついた。今日は初めて牧場内や競馬場をフリーライドで歩いた。川に入ったり木の下を歩いたりバックしたり、ケビンさんの後に付いて行きとても楽しかった。

夕食はカウラサービスクラブに行った。金曜日で生演奏やダンス、宝くじ等お楽しみがあるらしく多くの人で賑わっていた。サービスクラブのATMで現金を引きおろしたが、残高が前回よりも75万円減っているのに気づいた。75万円も使った覚えがないのでえっ、どうして?とあせった。

慌てて帰り、インターネットバンキングで調べると日本円の残高は合っていてほっとした。でもATMの残金表示が間違うなんてこんな事があるのだろうか? オーストラリアにも慣れてきて貴重品の管理がいい加減になってきているので、気を引きしめなければと思いいい教訓になった。




1月7日(日) 曇、時々強風
 

昨日から東京のT高校の野球部員と関係者100人近くがカウラに来ていて、今日は地元の人達と親善試合をするらしい。堀部さんもこれに関わっていて、2〜3日前から忙しそうだった。

試合終了後バーベキューをするので手伝って欲しいといわれ一緒についていった。インフォ近くの公園の備え付けのバーベキューセットで、もうフランクフルトを焼き始めていて私達も手伝った。

その他パン、おにぎり、春巻き、中華の野菜炒めなどもあり、練習を終えた高校生達が次々にやって来てみんな平らげた。特におにぎりは大人気だった。

彼らはホームステイをしているらしく、その後行ったウールワースで合うと、あれっという顔をし,日本人だとわかるといろいろ話しかけてきた。スポーツマンらしく気持ちのいい少年達だった。


 


                                                 

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