メルボルンでの生活 (2007.1.9〜2.11)

1月9日(火) 快晴 メルボルンへ
   
 5時起床、外はまだ薄暗い。パンとコーヒーだけで簡単に朝食を済ませ、堀部さんにカウラバス停まで送ってもらう。6時28分予定通りバスは発車し、リスゴーまで3時間30分。そこから電車に乗り継いで12時38分シドニーセントラル駅に到着。また電車を乗り換えてシドニー空港の国内線へ。

 QF439便14:00シドニー発メルボルン行きに間に合った。オーストラリアのバスや列車の時刻はいい加減で遅れることがよくあるらしい。現に2〜3日前に来た東京の高校生の団体が1時間30分も遅れ、堀部さんも私達に1日早くカウラを出てシドニーでの前泊を勧めてくれた。しかしバスや電車のチケットも買ってあり予定通り行動した。間に合ったのはラッキーだったのかも知れない!

 3:30これも予定通りメルボルン空港着。空港のインフォで地図をもらい、スカイバス(1人15$)でサウザンクロス駅まで約20分。そこで電車に乗り換え白木さん宅の最寄り駅グレンウェバリーまで45分(1+2ゾーン、2時間チケット、1人5、2$)。駅から電話をし迎えに来てもらう。

 駅で白木さんご夫婦に会ったがロングステイ関係の本で白木さん達の写真を見ていたし、メールでやり取りをしていたので初対面という感じはしなかった。車で10分ほどで白木さん宅に到着。周りは住宅街で木々も多く落ち着いた感じだ。夕食は庭でしゃぶしゃぶをいただき久しぶりのポン酢味は美味しかった。



 

1月10日(水) 快晴 最高気温27℃

 朝食後、お昼前まで庭でアルバムを見せてもらいながらいろいろお喋り。今から約30年前、日本を脱出しシンガポールとマレーシアで仕事をされ、その間仕事や旅行で世界各地を見て回り、6年ほど前に退職されメルボルンに移住されたらしい。16年間住まわれたマレーシアでの仕事や生活の話はスケールがでっかく、私達が想像も出来ないような夢の世界でいろいろ経験されその話を聞くだけでもわくわくしてしまい、あっという間に時間が過ぎてしまった。

 昼から電車でシティへ行く。グレンウェバリー駅でMET(メルボルンの公共交通網)のデイリー・チケット(電車、トラム、バスが一日中乗り放題で1枚9.7$)を買い、フリンダース・ストリート駅まで約30分。駅前のフェデレーション・スクウェアのインフォでMETの地図を買い、情報誌やパンフレットを集める。学生達の夏休み、観光シーズンとあってどこへ行っても人で一杯だった。

 その後メルボルン名物の無料のシティサークルトラム(路面電車)に乗り、45分かけてシティの外周を走った。シティは東西・南北に走る主な道路が碁盤の目のように区画されていてとてもわかりやすく、電車やトラム、バスをうまく組み合わせれば行動範囲も広がることもわかった。

 
 夕方白木宅に帰ると、昨年の9月から6ヶ月間メルボルンでロングステイをされているTさん(広島出身、男性)が来ておられた。Tさんも2週間弱白木宅に泊まりながら、アパート探しや銀行の口座開設等いろいろお世話になられたらしい。旅行されたパースの話などしながら夕食を頂いた。

 昨日の朝私達に代わってアパートの入居を申し込んでもらっていたが、今日その返事がありだめだった。やはり短期の1ヶ月では難しいようだ。あと1軒めぼしいところがあるので、明日の夕方見せてもらえるように連絡してもらった。それで決まるといいな。


 

1月11日(木) 快晴 26℃ 風が涼しい

 
 今日は奥さんのボーリングの試合があるのでボーリング場まで一緒に乗せてもらう。白木さんご夫婦もここに来られてからボーリングクラブに入会され、今ではすっかりその面白さにはまっているそうだ。カウラで少しボーリングをやったが、詳しくルールを教えてもらうと奥が深く面白そうだ

 その後私達は東京デリ(日本食品店)に連れてもらい、しょうゆ,マヨネーズ、そば、カレールーなどを買い、日本語の情報誌などを手に入れる。値段は日本の2〜3倍はするが何でもそろっているようだ。

 アパートの下見は4時45分なので、それまでグレンウェバリー駅前の大型ショッピングセンターで時間をつぶす。フードコートでインドカレーとナンのセット(14,5$)を食べる。さすが多民族国家だけあって、お決まりのハンバーガー、サンドイッチ、フィッシュ&チップスから中華、タイ料理、ベトナム料理等なんでも揃っている。特にどこに行っても良く見かけるのがSUSHIだ。パック入りの細巻きが人気があるらしく、みんな器用にお箸を使って食べているが、ご飯がぱさぱさそうで私達は手が出ない。日本人の経営は少なくほとんどが韓国人か中国人の経営らしい。

 まだ少し時間があったので、アパート近くの他の不動産業者のレンタルリストを集めに回った。3〜4軒の不動産屋を訪ねたが家具付きは少なく、あったとしても値段が高く、またどれも6ヶ月以上で本当に難しそうだった。白木さんはまず住むのに環境のよさそうな所を選び、新聞や不動産業者から情報を収集し、そして業者とアポイントをとって・・・・といろいろお世話してくださり、初めてその大変さがわかった気がした。

 いよいよ4時45分。アパートの前で待っていると不動産業者が来て部屋を見せてくれた。1ベッドルームのリビング、キッチン、バスルーム付きの明るい部屋だった。家賃は1ヶ月1390$もするが、他に候補がないので私達は文句もなくこれでいいと思った。ところが他に2組も見に来て気に入った様子なので、またしてもダメだろうとあきらめて帰った。

 夜、不動産業者からOKの返事が入り大喜びした。1ヶ月の私達が住めると言う事は見に来ていた人達は申し込まなかったのだろうか?どちらにしてもラッキーだった。水道や電気、電話などの接続があるので入居は15日からということだ。



1月12日(金) 快晴
 朝食後またまた話がはずみ、昼前に乗馬クラブの見学に行った。カウラですっかり乗馬にはまってしまい、白木さんに乗馬クラブを探してもらいそこへ行こうというわけだ。相当郊外にあるらしく白木さん宅からも車で30分程もかかった。ここなら市内のアパートからも電車やバスに乗り継いだら何とか通えそうだと思ったが、残念ながら今シーズンのスクールの受付はもう終了したらしくダメだった。他にも候補はあったがシティーから45キロも離れていて交通手段がないのであきらめた。

 その後シティへ出て、フェデレーションスクエアにあるイアンポッター・センターオーストラリア動画イメージセンターへ行き、ゆっくり見て回った。一番賑やかなスワンストン・ストリートを歩きメルボルン最大のショッピングセンターであるメルボルンセントラルへも入った。ここには300を越える専門店やレストランが入っているらしく、広すぎてどこに何があるかわからなかった。結局私達になじみのあるスターバックスを探しそこで一休みし電車で帰った。






1月13日(土) 快晴 最高気温24℃
 朝から風もあり肌寒いくらいだ。今日はヤラ川を渡りサウスバンクに行った。川沿いに大きなビルが建ち並びいろいろな店が入っていて、どこも観光客で賑わっていた。サウスバンクを端から端までぶらぶら歩いたが、ヤラ川の水が濁っていたのには驚いた。

 その後歩いてまたシティに戻り、エリザベス・ストリートからロイヤルアーケードを通り、中華街をうろうろした。土曜日とあって観光客から留学生、地元の人までどこへ行っても人で一杯だった。肌の色や言葉や顔付きも違ういろいろな国の人が集まっていて、まさに多民族国家だと感じさせられた。最後にセントポールズ大聖堂に入ってゆっくり休憩し電車で帰った。

 

 1月14日(日) 快晴
 午前中白木宅でゆっくりし、昼から駅近くのショッピングセンターまで送ってもらった。あすアパートに引っ越すので今のうちに、お米やビールなどの重いものを買って車で運んでもらう積りだ。韓国人経営の店で最高級コシヒカリ(オーストラリア産)10キロ(17,3$)、1リットルの白ワイン(箱入り)2箱缶ビール30本などを買った。これで1ヶ月は保つだろう。何しろここは乾燥した国!のどがよくかわく。

 夕方白木さんにビクトリア・パークであるジャズの演奏会に連れてもらった。途中この前あったTさん宅により、公園に着くともうすでに多くの人達が集まっていた。

 ピクニック気分よろしく敷物を広げワインやビール、食べ物にお喋りと賑やかで、ジャズの演奏が始まっても前の方の人しか聞いていなかった。私達も奥さん手作りのいなり寿司や卵焼き、ピザやワインなどをいただきながらお喋りを楽しんだ。帰りTさんが借りている家にお邪魔したが、オーナーの庭にある離れの1軒家で気楽そうでよかった。




 

1月15日(月) 曇
 いよいよアパートへ引越しの日。白木さんの車に荷物を積みセント・キルダ通りにある不動産屋の事務所に行った。町のちよっとした不動産屋と思っていたのに豪華なビルに事務所があり驚いた。担当者に会いキーやいろいろな書類をもらいアパートに行った。

 アパートはシティから少し離れたセントギルダ・イーストにあり、トラムの通っているチャペル・ストリートまで歩いて5〜6分の交通の便利の良い所だ。すぐ近くに公園やフィットネスクラブもあり環境はよさそうだ。

 部屋に入ると早速置いてある物のチェックに取りかかる。壁に傷はないかのチェックは勿論のこと、飾ってある絵画の枚数やクッションの数、電気の延長コードまで調べるのには驚いた。台所関係となるともうお手上げだ。お皿からグラスの数、置いてある物の1つ1つを丁寧に調べた。白木さんご夫婦のいろいろなお手伝いが大変有難かった。

 夕方トラムでプラーンマーケットに買い物に行ったが、月曜日で休み。仕方なく近くのスーパーマーケットセーフウェイで買い物を済ませた。

 



1月16日(火) 朝からむし暑い 最高気温42℃
  
 午前中荷物の整理等をし、昼前トラムでノース・リッチモンドまでベトナム料理を食べに行った。トラムの中で゛チープレンタカー″と書いてある看板を見つけ、電話番号を写そうとしたがダメだった。すると後ろにいたおばさんが急に話しかけて来て、「あのレンタカーはいいよ。いつも主人が利用しているの。場所を書いてあげるから後はイエローページで調べて・・・」と揺れるトラムの中で、通りの名前や場所を詳しく書いたメモをくれた。なんて親切な人なのだろう

 でもこんな事は初めてではなかった。街で地図を広げたりガイドブックで調べたりしていると、必ず誰かが話しかけてくれる。オーストラリア人がこんなにも親切だとは思っていなく、ますますオーストラリア、特にメルボルンが好きになってきた。

 リッチモンドはベトナム人が多く住んでいるらしく、地元の人のホームページに THANH PHONG(タンフォン)レストランのフォー(ライスヌードル)と春巻きが美味しいと書いてあったので、私達もそのレストランに行き同じ物を注文した。なるほど野菜が多くあっさりした味で美味しかった。

 そこからまたトラムでプラーン・マーケットへ。1864年から営業を続けているメルボルン最古の市場で、野菜、果物、魚、肉、すべてすごい量で綺麗に並べられていて、どの店で買ったらいいか迷うほどだった。あれこれ見ていると急に電気が消え、冷房も切れたのであわててトラムに乗り家に帰った。途中信号も消え、どの店の灯りも消えていた。

 トラムを降りてからアパートまでの徒歩5〜6分が非常に暑く、日差しがきつくじりじり焼ける感じがよくわかった。家に帰っても停電で家の中が暑く窓を開けたがかえって熱風が入るだけであわてて窓をしめた。夜9時ごろやっと電気がついた。テレビを見るとメルボルンの停電は4時間も続き、最高気温が42℃でみんながクーラーを一斉に使ったためらしかった。





1月17日(水) 曇
 トラムでウインザー駅まで行き、電車に乗り換えてシティへ。そこからまたトラムに乗りフイッツロイガーデンへ行った。これだけ乗ってまた往復しても私達のアパートからは、1ゾーンで6,1$だから有難い。フイッツロイガーデンでは、キャプテンクックの家や温室をみて回った。

 昼食はフェデレーションスクエアのイタリアンでピザとビール。その後うろうろしていてガイドブック゛地球の歩き方゛がないのに気がついた。慌ててレストランやトイレへ戻り探したがなく少し慌てた。歩いた通りにもう一度歩き、花壇の石の上にぽつんと置いてあるのが目に入った。寒いから上着を着たときに、そこに置き忘れたのだった。やれやれ。

 その後また電車に乗りメルボルン博物館へ行き、閉館ぎりぎりまで見て回った。5時過ぎまたトラムに乗り、クイーンビクトリア・マーケットで毎週水曜日にあるスズキ・ナイトマーケットに行った。世界中の出来たて料理が屋台で売られ、生演奏もあり多くの人で一杯だった。夜になると風が冷たく寒くなったので早めに帰ってきた。

 



1月19日(金) 一日中雨 涼しい

 
朝から雨、オーストラリアへ来てから初めての本格的な雨だ。午前中どこへも出かけずTVを見たり、HPを作ったりした。この15日から28日まで全豪オープンテニスがメルボルンで開かれ、電車から会場が見えている。初めはあまり興味がなかったが、500人を超えるトッププレイヤーが試合をし、また世界中から50万人が観戦に来ると知りTVで見始めると面白くはまってしまった。

 夕方雨が止んだのでアパート近くを散歩し、コミュニティーセンターに行った。近くに引っ越した者で何か習い事はないかと聞くと、親切にいろいろ教えてくれた。今は夏休みで活動もないが2月になるとパソコン、絵画、瞑想、ヨガなど多くのコースがあるらしい。滞在期間が短いというと毎週金曜日の朝にある、ウオーキングのグループを教えてくれた。1時間ほど歩きその後、30分ほどのお茶タイムがあるらしい。一度参加してみよう。





1月21日(日) 曇
 2〜3日前白木さんからお誘いがあり、JCV(ビクトリア州の日本人会)の新年会に連れてもらった。お昼前から約3時間ほどの会合だったが、50人ほどが集まりもちよりの食物を食べたりゲームがあったりいろいろ楽しんだ。

 総領事も参加され顔なじみの皆さんは、初めての私達を暖かく迎えてくださった。10年も住んでいる人がいて、もう10年ですか?と聞くと、まだ10年です。20年以上の人もいますと聞き驚いた。空手、三味線、和太鼓の演奏などがあり海外にいると一層心に響くようだ。



1月22日(月) 曇 最高気温24℃
 今日はヤラ川南に広がるキングスドメインへ行った。アパートからいつもと違う通りに出るとバス停があり、乗り換えなしでシティに行くことがわかった。おまけにプラーンマーケットでも停まり買い物にはこのバスが一番便利だ。ほんとになんて交通の便が良い所なんだろう!

 まず戦争慰霊館に入り屋上からメルボルン市街を見渡した。次に野外音楽堂を外から眺め、大きな花時計を見てクイーンビクトリア・ガーデンに入った。地図を見ながら歩いたが広すぎてわからなかった。





最後にメルボルンのシンボルと言われるザ・アーツセンターへ行き、劇場や美術館をゆっくり見て回った。かなりの距離を歩いたが緑の多い公園を歩くのはあまり疲れずとても気持ちよかった。



1月23日(火) 快晴 涼しい
 朝からおにぎりと卵焼きのお弁当を作り、地図を片手にアパートからセントキルダ・ビーチまで歩いた。トラムに乗れば簡単だがそれほど暑くないし、歩く方がまた違った目線で見え面白いだろうと思った。アパートから赤レンガの家やテラスハウスの古い家、タウンホール、商店街、遊園地のルナパークを通りすぎ30分ほどでビーチに着いた。

 ビーチでは多くの人が泳いだり遊んだりしていたが、涼しいのによく水に浸かっているなと感心した。私達はここでお弁当タイム。その後ヨットハーバーを見ながら、高級ホテルやアパートが立ち並ぶ通りに出た。この通り沿いにはおしゃれなカフェやレストランが数多く並んでいて、歩道に出されたテーブル席でワインを飲みながら一休み。来た道とは違った道を通り、高級住宅地と思われる所を歩き無事アパートに帰った。出発してから4時間もの長い散歩だった。


1月24日(水) 曇、昼から晴
 
今日もお弁当を持ってバスでロイヤル・ボタニックガーデンヘ出かけた。一昨日に行ったキングスドメインに続いているのだが、あまりにも広すぎてわからず後回しにした。最初どこから入っていいかわからず、フェンス沿いに歩いて入口を見つけた。

 ガーデンガイドを見ると入口が7つもあるとても広い公園で、わからないのも無理はないと思った。毎日朝から夕方まで開いていてこれで無料だなんて信じられなかった。湖の回りを歩き鳥の声を聞いたり黒鳥を見たりして、一日中ゆっくりした。




1月26日(金) 快晴 

 今日はオーストラリアデー(建国記念日)で祝日。シティでも一日中あちこちの公園等で無料のイベントがあるらしくバスで行った。ところが祭日とあってバスの回数はうんと少なく30分近くも待ちくたびれた。

 キングスドメインではクラシックカーの展示をしていて、家族連れがピクニック気分で来ていた。メインのスワンストン通りではパレードが始まり、政府関係者や市長さん、各団体の行進が続いた。

 中でも民族衣装を身につけ楽器を演奏したり、踊ったりしながらの各コミュニテーの行進は楽しく、中国、韓国の行進は人数も多く派手だった。あとイギリス、ベトナム、チベット、ギリシア、イタリア等はわかったが知らない国も多かった。残念ながら日本は参加していなかった。

 オーストラリアは多民族国家だと知っていたが、実際に目にして見るとよくもこれだけの民族が集まり住んでいるなと感心した。



 

 
1月28日(日) 晴 強い風


 先週の日曜日JCVの新年会で空手を披露した人が、リッチモンドで道場開きをするので見に行った。正直に言うと、空手よりもオープニング・セレモニーの和太鼓の演奏に興味があるのだった。

 道場開きの場所が住所しかわからなく、見当つけて行ったがやはり迷ってしまい、またしても親切なおばあさんに案内してもらった。大体場所がわかったからいいと言うのに、よぼよぼの足でMINEの手を引いてくれるのには有難いと言うより、恐縮してしまった。

 道場に着くとすでに和太鼓の演奏が始まっていた。メルボルンで11年間もやっているグループで、オーストラリア人のお弟子さんも多いそうだ。日本の太鼓と比べてパフォーマンスが派手だと思った。空手の型の紹介、デモストレーションなどもあり、参加者も多く結構面白かった。

 




1月29日(月) 曇
 今日は姉達2人がメルボルンに来る日。英語が全く出来ないおばさん達の2人旅。それもブリスベン乗り継ぎのチケットなので、本人達はあれこれ心配していたようだが、私達はまあ大丈夫だろうとそれほど気にせず空港に迎えに行った。

 姉達の乗った飛行機は予定通り到着し、出てくるのを今か今かと待っていた。ところがいつまで経っても姿を見せず、だんだん不安になってきた。荷物の出てくるターンテーブルも止まり、誰一人いなくなった。えっ、そんな馬鹿な!乗っていない・・・?いろいろ考えたがわからず、取り合えずカンタスのカウンターに行き乗客名簿を確認しようとした。ところが法律で禁止されているから教えられないとの冷たい返事。

 仕方なくもう一度荷物受け取りのところに行き、バゲッジ・クレイムのカウンターで事情を説明すると名前を聞き調べてくれた。どうもブリスベンで国内線に乗り遅れ次の便でくるとのこと。それを聞き少し安心したが、姿を見るまで信じられない。

 1時間後、元気な2人の姿を見てほっとした。関空から乗客が一杯で荷物がなかなか出て来ず、その上入国審査も手間取り、荷物を持って国際線から国内線への電車での移動。初めての国で英語もわからないのにどれだけあせった事だろう、容易に想像できる。ほんとよくやった!と思う。

 サウザン・クロス駅のフード・コートでお互いに心配した事を散々しゃべった後、今後の予定、電車のチケットの買い方や電話のかけ方を話し白木さん宅まで送って行った。疲れた長い一日だった。




1月30日(火) 快晴 涼しい日

 姉達とリッチモンド駅のプラットホームで待ち合わせる。HARUはおばさん達3人のお供は大変なのか別行動。まずシティのパーラメント駅で降り、おしゃれなショップが並ぶパリスエンドへ。

その後フェデレーションスクエアへ行くが、学生達の夏休みも全豪オープンテニスも終わったので観光客は少なくがらがら。あの賑わいがうそのようだ。プリンセス・ブリッジを渡りザ・アーツへ。残念ながら美術館は休館日。よく調べておくべきだった。

そしてクイーンビクトリア・ガーデンからキングスドメインに入り戦争慰霊館へ。この前は広すぎて迷ったがさすが2回目となると楽なものだ。

そこからトラムに乗りロイヤルボタニック・ガーデンへ行く。公園内のレストランでサンドイッチやスコーンを食べ、たっぷりおしゃべりし休憩。 

今日の予定はここまでだったが、時間が余ったのでトラムでまたシティまで戻り、スワンストン通りを歩いてQVのショッピングセンターへ。トラムと電車でリッチモンドまで戻りここで姉達と別れる。

 



1月31日(水) 晴、最高気温26℃、最低気温16℃
   
今日もリッチモンド駅で待ち合わせ、すぐにシティのカンタス航空の事務所へ行き、気になっている帰国便の事を聞いた。帰りはメルボルンで荷物を預ければ関空まで直接行くし、時間的にも余裕があるのでシドニーでの乗り継ぎは大丈夫と言われ安心した。これで姉達も心配せずに旅が続けられるだろう。

 その後フィッツロイガーデンへ行きキャプテンクックの家と温室を見て回り、セントパトリックス大聖堂まで歩いた。10年前にツアーで来たことのある中の姉は、すごく変わったと驚いていた。

 セントパトリックス大聖堂はオーストラリア最大のカトリック教会だけあって、大変立派な建物で中世の雰囲気が漂い厳かな気分になった。ちょうど観光客の団体30人ほどがコーラスの練習中で、素晴らしい歌声が聞けてうっとりした。

 それからメルボルン博物館へ行き、フリーのシャトルバスでイタリア人街ライゴン通りへ。昼食は4人でワイン1本とスパゲティ(4人分84.5$)。さすがに本場の味おいしかった。

 またフリーのシャトルバスに乗り、サウスバンクにあるクラウンコンプレックスのカジノに行った。スロットしか知らないので少しだけ遊んだが、あっという間に負けてしまった。3日目ともなると姉達もかなり慣れたのか、私達にはコーヒーを自分達にはアイスクリームを注文し、お金も払い英語が通じたと喜んでいた。

 




2月1日(木) 晴

 今日もリッチモンド駅で姉達と待ち合わせる。3人姉妹でこんな風に旅行するなんて40数年前の家族旅行以来だ。年をとるのも案外よいものだと思った。

 トラムでクイーンビクトリア・マーケットへ行った。100年以上も続いている市場であまりの広さにびっくり。肉類、魚介類、生鮮食料品から、衣料、お土産品などありとあらゆる物が売られている。

 私達は近くのプラーンマーケットにもよく行くが、やはりこちらの方が新鮮で値段も安いようだ。MINEは野菜や果物を、姉達はお土産用のTシャツを買う。

 その後またトラムでスワンストン通りまで戻り、ベトナム料理店へ行くがタンフォンレストランの方が美味しかった。姉達はこれで充分美味しいと言っていた。やはりベトナム料理は日本人の口に合うようだ。

 その後電車とトラムに乗り、2人は私達のアパートに来た。日本茶を飲みゆっくりおしゃべりし2人は帰った。





2月2日(金) 晴  ダンデノン丘陵へ
 

 レンタカーを借りにリッチモンド駅前に行く。この前トラム内で親切な人に教えてもらったAPEXレンタカーだ。1日40$で8日間借りることにした。この店もカウラと同じように、1日の走行距離200キロまではフリーだが、それ以上になると1キロに付き15セント加算される方式だ。

 ガソリンを満タンにしダンデノン丘陵を目指す。メルボルンの郊外は高低さがあり少し高いところから見ると、大きな森の中に広い道が走り家々は森の中の木々に囲まれた様に建っているのがよくわかる。今は水不足で木々は全体的に白っぽく見えるが、こんな自然に恵まれた住環境で生活できるとはうらやましい限りだ。

 ダンデノン丘陵では往復3時間ほどパフィンビリィという蒸気機関車に乗り、ポーッと言う音を聞きながら森林風景の中を走るのは気持ちよかった。時々煤が飛んできたがそれもまた妙に懐かしく、皆でわいわい言いながら楽しんだ。

 最後に丘陵の展望レストランに行き、目の下に広がる森林風景と遠くにぼんやり見えるシティの高層ビル群の眺めながら休憩した。今日は金曜日で夜景と食事を楽しむ予約客が多いのか、レストランのスタッフは忙しそうに動いていた。夜8時ごろアパートに帰着。

 




2月3日(土) 晴 ヤラバレーヘ
 姉達は電車で、私達はレンタカーでリッチモンド駅で待ち合わせ。今日はメルボルンの東にあるヤラバレーのワイナリーを目指した。フリーウェイを通って約1時間半でドメインシャンドンのワイナリーに到着。素晴らしい眺望のレストランで昼食にする。勿論飲み物はワイン。前菜の盛り合わせやサーモン、ベトナム風サラダ、飲茶などを注文するが有名なだけあっていい値段でワイン1杯が8$。それも普通の量の八分目くらいしか入っていないのには驚く。

 昼食後木陰で風にふかれながら椅子に座って一休み。ワイナリーはどこも綺麗に整備されていて気持ちよく、目の前に広がるぶどう畑を眺めながら酔いを覚ます。至福のひとときだ。

 帰路は姉達をグレンウェバリー駅まで送り、私達はショッピングセンターで夕食の買い物。連日の外出で疲れているので早めにアパートに帰りゆっくりするつもりが洗濯や掃除に追われる。






2月4日(日) 晴 最高気温34℃ モーニントン半島へ
 今日はメルボルンの沖、ポートフィリップ湾を抱き込むように突き出ているモーニントン半島のドライブへ。9時にアパートを出て姉達とグレンウェバリー駅で待ち合わせそこから出発。

 白木さんが以前住んでいたフランクストンを通りすぎ、海岸線に沿って走り美しいビーチのあるローズバドでコーヒータイム。そして半島を横切る様にして乗馬のできるグナマッタ・トレイルライドへ地図で探しながら行くが、残念ながら今日は休みで乗れず。

 その後半島の反対側にあるソレントオーシャン・ビーチへ行く。バス海峡から吹く強風で木々も低く横たわるように生えている。私達も飛ばされないように姿勢を低くして歩く。海岸に打ち寄せる波は荒いが、それでも日曜日とあって海水浴客やサーフィン姿の若者が多い。

 ソレントで昼食にしようとレストランを探すがどこも暗くどうも様子がおかしい。うろうろしているとレストランの入口にいた人が、停電だと教えてくれた。仕方なくサンドイッチとコーヒーだけで昼食とする。オーストラリアは停電が多い国だこと。

 モーニントン半島の先のポートシーまで行くが、その先は国立公園になっていて車では入れず、片道1時間半のトレッキングコースになっているのであきらめた。帰りモーニントン半島を一望できるアーサーズシートへ寄り、海岸線の眺めと真下に見える街並みを楽しんだ。帰り白木さん宅に寄り姉達のトランクをアパートに運んだ。いよいよ明日から4泊5日のドライブ旅行だ。



2月5日(月) 晴 グレート・オーシャン・ロードへ
 リッチモンド駅で姉達と待ち合わせ。ガソリンを満タンにしプリンセス・ハイウェイでジーロンを通りトーキーへと向かう。トーキーから道はグレートオーシャンロードと名前を変え、海岸線を見ながら走り賑やかな町ローンに着く。ローンのしゃれたレストランで昼食をとりアポロ・ベイを目指す。

 途中急なカーブや最も海に近くなるところを走りアポロ・ベイに到着。特にこれと言った印象なし。アポロ・ベイの町を過ぎると海岸線から離れ、大きな葉のシダの群棲する山中に入る。ガイドブックを見るとオトウェイ国立公園でユーカリ、ブナ、シダなどが生え茂る温帯雨林だそうだ。ずっと海岸線を走ると思っていただけに意外な感じがした。

 もう山中も飽きたかなと思った頃急に海岸に出て、暫らく走ると変わった形の岩が見えた。人が海の方に歩いているので私達も駐車場に車を止め急いだ。冷たくそして強い風の中、切り立った断崖と海から突き出たいくつかの岩が見えた。今回の最大のみどころの「12人の使徒」だった。

 その後ポートキャンベルの町に行き、地球の歩き方に載っていたロックアート・モーターインに宿を決めた。走行距離は300キロ近かった。






2月6日(火) 曇 グランピアンズ国立公園へ

 7時30分モーテルを出て次の見どころロンドン・ブリッジやベイ・オブ・アイランドを見て回る。いずれも長い時間をかけて波の浸食で造られた自然の造形美だが、自然の力の偉大さを再確認するばかりだった。

 最初の予定ではメルボルンからグレート・オーシャン・ロードを通りアデレードまで(約960キロ)行く予定だったが、実際に走ってみると2日では無理だとわかった。その上地図を見ても特に見どころもなくただ走るだけでは面白くないと思い、急遽行き先をグランピアンズ国立公園に変更した。(アデレードに行けなかったのは残念だが・・・)

 グレート・オーシャン・ロードの最後の町ポートフェアリーで休憩し、海岸線から離れてホールズギャップを目指して北上した。途中変わった形の岩山がいくつか連なって見え始めそれがグランピアンズの山々だった。

 ホールズギャップでもガイドブックに載っていたコカルーラ・モーターインに2泊する事にした。このモーテルは裏庭が牧場で朝夕カンガルーやエミューが現われると書いてあったので、オーナーにその事を確認するともし見えなかったらホテル代は無料にすると言った。



 

2月7日(水) 晴 グランピアンズ国立公園

 朝から鳥の鳴き声が非常にうるさい。真っ白なオームのコカトゥとカラフルなレインボーロリキートだ。集団で飛びまわっているのがよく見える。裏庭には昨夕からカンガルーが集団で現われ、早朝にはすぐ近くまで来ていた。体調1〜2メートルのグレーカンガルーだが、長い尾と2本足で立っている姿や大きくピョーンと跳んでいる姿はとても可愛いい。

 午前中は昨日予約したホースライディングセンターへ行き、2時間の乗馬を楽しんだ。上の姉は自分も乗馬をしたいと言ったが、日本のように馬を引いてもらうのではなく一人で乗ると聞きあきらめた。

 ここでの乗馬は本格的で、馬が暴れた時の対応や馬との信頼関係が大事だと基礎から教えてくれた。そしてブッシュやユーカリの林の中をずっと一人で乗り、時には前の人と100メートル以上離れて走ったり(馬が乗り手の命令をよく聞く)、インストラクターは出来るだけ姿を見せず、それでいて遠くから見守っているのがよくわかった。野生のカンガルーや鳥、あり塚等もみて充実した時間だった。

 昼食後アボリジナル・カルチュラルセンターへ行き、疲れたので早めにモーテルに帰り少し寝た。

 



2月8日(木) 晴 バララットへ

 午前中車でボロカ・ルックアウトバルコニーズへ行った。バルコニーズへ行く途中実際にブッシュ・ファイヤーの中を歩きそのすごさを見た。ここグランピアンズは2006年の1月に国立公園内の大部分が燃えるブッシュファイヤーがあったそうだ。

 オーストラリアのブッシュファイヤーは有名だが、それはユーカリの木の葉に含まれている油分が蒸発し、ユーカリの森はいつも引火性のガスが充満している状態で、気温が30℃を越す夏になると自然発火するそうだ。特に今年はメルボルン近郊でもブッシュファイヤーが多く、その煙がメルボルン市内の火災報知機を鳴らすほどだったとか。またTVでも毎日ようにブッシュファイヤーのニュースをながし、新聞でも東京との何倍もの広さを焼き尽くしたと報道しており、オーストラリア人にとっては大きな問題なのだろう。

 その後ワイルドライフパーク動物園へ行った。エミュー、孔雀、カンガルー、鹿などが放し飼いになっていて、えさを持っているとどこまでも付いてくる。コアラやウォンバット、ワラビー、ポッサムなども見られ結構楽しかった。

 
バララットには夕方に着き、適当なモーテルがなかったのであちこち探しまわったが、ソブリンヒルロッジに決めた。夕食は中華にしたがあまり美味しくなかった。

 


2月9日(金) 晴 バララット→メルボルン

 朝一番にソブリンヒルに入った。ここは1851〜61年のゴールドラッシュ全盛期の金鉱山の町を再現したテーマパークで、130年前の服装をした人々や馬車が行き交い、劇場、印刷屋、食料雑貨店なども昔のままの姿を再現していた。パン屋で昔ながらの薪のかまどで焼いたパンを買い食べたが、案外美味しかった。

 昼過ぎにバララットを後にしメルボルンには3時前に着いた。たった1ヶ月足らずのアパート生活だが、自分達の家だと思うとほっとし、久しぶりに飲む日本茶がとても美味しかった。少し休憩し、姉達を次のアパートに送っていった。

 姉達が借りたアパートは、サウスヤラ駅前にある日本人経営のなごみアパートメント・ホテルだ。スタッフ全員が日本人なので日本語が通じ情報も得やすく、その上NHKのTV、電気炊飯器もあり使い勝手もよくとても綺麗にしてある。(2ベッドルーム、1日189$)

 私達のアパートからトラムやバスに乗れば10分と近いし、プラーン市場やセーフウエイにも歩いていけるとても便利な所にある。食材やワインを買い込んで夕食を一緒に食べた。





2月10日(土) 曇 涼しい一日
 レンタカーを返しにリッチモンドまで行く。8日間の総走行距離1600キロ以内だったので追加料金なし。安く借りられた。帰りに姉達のアパートに寄ったが留守。2人で出かけたのだろうと安心して私達もアパートに帰る。

 洗濯や掃除など雑用を済ませ、次のパースで借りるメイランド・フラットの管理人さんとも連絡が取れ一安心する。12日の姉達の帰国日(私達のパースへの移動日)の待ち合わせ時間や、電車やスカイバスの時刻を調べ大体の動きをつかむ。

 夕方姉達のアパートへ行き、夕食を一緒にする。姉達は初めて2人で行動したが、トラムに乗るのは怖くプラーン市場やセーフウエイに行き、あとはずっと歩いたそうだ。




2月11日(日) 曇 強い風 メルボルン最後の日
 MINE一人で姉達のアパートへ行く。姉の土産のチョコレートを買いにリッチモンドのブリッジ・ロードへ行くが見つからず、トラムでシティのスワンストン通りへ行った。さすがシティだ。観光客用の手ごろな土産物が置いてありチョコレートもすぐに見つかった。

 少し休憩し、電車・トラムに乗り継いでセント・ギルダ・ビーチへ行くが何かのフェスティバルがあるらしく、若者や家族連れで一杯だった。トラムやバスが走っている通りも歩行者天国になり人であふれていた。この前に行った時におしゃれなレストランを見つけ、そこに行こうと思っていたのにそれどころではなく、姉達と離れないようにして歩いた。

 ビーチを少し見て疲れただけで帰ってきた。結局チャペル・ストリートのレストランで飲茶を食べ、そのまま姉達と別れた。MINEはアパートへ帰り荷物の整理をし、夕方また姉達のアパートへ行き夕食を共にした。最後に、姉達のアパートに運んだ食材やお米、しょうゆ、調味料などを持ちかえり、最後の荷物つめをして一日は終わった。




   

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