道の駅「奥入瀬」から細い県道を通り、田代平高原へと向かった。途中から霧に覆われあまりよく見えず残念だったが、紅葉の頃は綺麗だろうと思われた。休憩した売店でおじさんと話していたら、田代平湿原がいいと言われそこへ行った。
駐車場には車が数台あるだけで、人は少なくひっそりとしていた。湿原にはモウセンゴケやキンコウカが多く咲いていた。
1時間くらいかけて湿原をゆっくり歩きとても気持ちよかった。
その後、弘前市に近い田舎館村へ行った。以前TVで「田舎館村の田んぼアート」の紹介をしていて、あまりにも見事だったので一度行こうと思っていた。田舎館村の役場は、お城の形をしていてその天守閣から田んぼアートを見るようにしていた。
縦143m、横104mの田んぼに穂色の違う稲(古代米)を図柄に合わせて1000人近くの人が参加して植えるというから、すごいものだ。図柄はパソコンで作成し、それを拡大して田んぼにロープを張って色の違う枠から植え始め、次に縦、横を揃えて中を植えるらしい。考えるだけでも相当な作業だと気が遠くなる。
高い所から見ると絵がくっきりと浮き出るが、地面から見てもただ稲が見えるだけで何も分からない。
十和田湖
棟方志功記念館入口
雲井の滝
焼山のホテルでネットに繋ぐ
金色堂(中に金ピカの仏像が)
その後、八甲田の「雪中行軍遭難者銅像」へ行った。何にもない所に銅像と記念碑があるだけでなんとなく寂しかった。
明治時代の事とは言え、この周辺で193人もの軍人さんが凍死されたなんて考えられなかった。それだけ雪山が恐ろしいという事だろう。
石ヶ戸から歩き始める
五大堂へ渡る橋
40年ほど前に友人と東北の夏祭りを追って旅行したことがあり、観光地は一通り巡っていた。
でも昨年の東日本大震災後是非もう一度東北地方に行き、自分の目で被災地を見たい。また観光地を訪れることによって少しでも被災地復興の援助になればと思っていた。
それで北海道に行く前に、主に宮城県・岩手県・青森県を中心に回り、最後は青森からフェリーで函館に渡ることにした。7月13日に家を出て高速道路で車中泊し、14日に仙台に到着した。
八甲田から県道103号で青森に向かった。
途中「ねぶたの里」を見つけ寄ったが、あまり興味を持てなかったので内へ入らずに引き返した。
ただ市内にある「棟方志功記念館」だけは、是非とも行きたかったので探して行った。こぢんまりした記念館で落ち着いて作品を観られてよかった。
今夜は浅虫の道の駅で車中泊し、あすいよいよフェリーで函館に渡る。
どこまでも続く木道
後ろは八甲田の山々
阿修羅の流れ
2011年製作「義経伝説・龍場渡海」
日本庭園を眺められるテラス席
リンゴがぎっしりのアップルパイ
大正時代の洋館
しっとりとした雰囲気は大好き
本堂入口
月見坂から中尊寺へ
車をもう少し進ませるとTVで見たことのある「がんばろう!石巻」の看板が目に入った。そこにはお花やお供え物が手向けられており、思わず手を合わせた。この看板の後ろには今まで多くの人々が生活していたと思うと、鳥肌が立ち身震いが止まらなかった。
そこにあったものが一瞬にしてなくなるという恐怖を初めて感じた。またそれがいつ、どこに起こるかも知れない。
カメラで被災地の様子を撮っていたが、ふと被災者がこの様子を見たら何と思われるだろうと気になった。
そこで私達の近くに4〜5人の学生グループが地元の人にいろいろ話を聞いていたので、その人に聞いた。すると「1年4ヵ月経ってやっとここまで来たのですよ。まだまだ時間は掛かりますが、頑張っています。石巻のこと、被災地の事を忘れないで下さい!」と言われ、内心ほっとした。
観光半分で来た石巻だったが、実際にその場に立ち、地震や津波の恐怖を身を持って感じ、遅くなったが被災地を訪問してよかったと思った。そしてこの事をずっと忘れないでおこう、いつまで被災者に寄り添っていかなければと思った。
松島から石巻街道を走り石巻港に行った。街中を走っている時には震災の被害は分からず、「がんばろう!石巻」や「震災に負けるな!」などの横断幕が多くみられた。だが石巻港に近づくにつれ車窓から見る風景は急に変わり、一面何もない草ぼうぼうの荒涼たる空間になり茫然としてしまった。
左右に見えるのは、団地だろうか?窓や入口のドアが開いたままの2階建ての建物。基礎だけが残った家の跡と残材。そんな中にポツンと残っている1軒の家。特に多くの児童がいたであろう小学校の校舎を目にしたときに、思わずこみあげてくるものがあった。
松島島めぐり観光船
伊達正宗が再建した五大堂
日本三景の1つに数えられる松島。以前にも行ったことがあるが東日本大震災後どうなっているか知りたい事もあり訪れた。島巡り観光船の切符売り場は新設され、ぱっと見には震災の傷跡は分からなかったが、待合室の壁には津波が来たときの高さが表示してあり、私の身長以上もありその高さに驚いた。
また津波到達時の多くの写真が展示されており、被害の大きさを物語っていた。今は観光客で賑わっているが、一日も早くの復興を願うだけだった。
キンコウカの花
「不動明王」
紫色の稲
「悲母観音」
田舎館村役場
雲祥寺
太宰治記念館「斜陽館」
2012年製作「鹿島大明神と地震鯰」
翌日は久し振りの快晴だった。まずは奥津軽の五所川原市へ行き「立佞武多の館」を訪れた。
青森の「ネブタ」や津軽の「ネプタ」は有名だが、ここのネプタも迫力があり圧倒された。7階建てのビルに相当する高さ約22m、巾6m、重さ約18トンのネプタを目の前にすると、「わあ、すごいー!」の声しか出なかった。
また昼からは、太宰治の故郷である金木町をゆっくり散策した。
当初の予定では八幡平アスピーテラインをドライブし、途中トレッキングや湿原巡りを楽しむつもりだった。ところが昨日からの雨が降り続き、天気予報によるとこのあたり一帯に「大雨注意報」が出ていた。
これではどうしようもない。まだ町中を散策できる都会の方がいいかも・・・と予定を大きく変更し、取りあえず弘前へ向かった。
弘前では弘前城と洋風建築を見に行くつもりだったが、弘前城のお堀も水があふれそうになっていて、車から降りられないほどの大雨だった。仕方がないので城の近くにあった藤田記念庭園とその中にある「大正浪漫喫茶室」へ行った。
車から降りるだけで、全身びしょぬれになってしまった。
その後店の人に教えてもらった地元の「さくら野百貨店」に行き時間をつぶし、車中泊する道の駅「つるた」をめざした。
小学校跡
家の基礎だけが残っている
誰もいない団地跡
瑞巌寺
寒蘭亭
田舎館村から102号線(西十和田いで湯ライン)を通って十和田湖に行くつもりだったが、東日本大震災の影響でまだ一部工事中の所もあり、途中で変更し発荷峠を越えて休屋に行った。
十和田湖は2日間も大雨が降ったのに、水は澄んでいてとても綺麗だった。
その後、子ノ口から石ヶ戸まで先に車で行き、石ヶ戸休憩所に車だけを置き、再び子ノ口に向かって奥入瀬渓流を歩いた。地図を片手に1つ1つ見どころをチェックしながら歩いたが、2〜3日前の大雨で水が濁っていて残念だった。
約3時間かかって石ヶ戸から子ノ口まで歩き、最後はバスで車を置いた石ヶ戸まで帰った。焼山のホテルでフリースポットを見つけ、久し振りにメールチェックした。
津軽三味線会館でのマナ演奏
岩木山(高さ1625m)
毛越寺の開山堂
浄土庭園
昨年に世界遺産に登録された平泉。中尊寺の金ぴかの仏像はあまり好きではないが、一度くらいは見てもいいかという軽い気持ちで訪れた。夏休み前であったが連休と重なりどこへ行っても人・人でいっぱいで、特に団体客が多かった。
そのうえ一日中雨に降られ動きが鈍くなった。
車やガレキの山
水に浸かったままの石巻病院