Hidden Forest からNO.3 (2002.1.14)



 



 冬のオンタリオ州、最初はとても寒く雪も多いので冬の生活は厳しいだろうと思っていたが、実際体験して見ると想像していたほどでもなかった。

 今年は暖かいのか、気温も−12℃前後から−4℃くらい。それに雪も少なく今のところ積雪25センチくらい。湿気が少ないので雪もサラサラしていて、歩くとキュッキュッと音がして気持ちがいい。一度雪だるまを作ろうとしたが、固まらず作れなかった。

 ある日買い物に行こうと車を出したが、家の前の坂道を登れずあきらめた。急な坂なので途中でタイヤが空回りし、車は坂をずり落ちてくる。それでギーさんに雪の坂道を登る方法を教えてもらい、ウンとスピードを出して一気に坂を登ったらできた。メイン道路は除雪してあるので大丈夫なのだが、田舎道はあまり車も通行せず凍結しているので怖い。

 家の中はセントラル・ヒーティングなのでとても快適だ。また日本のようにジトッとした寒さではなく、カラッとしているので思ったよりも過ごしやすい。

 







12月24日
 クリスマスイブ、朝からちよさんはご馳走作りで大忙し。MINEもちらし寿司といなり寿司を作り手伝う。集まったのは息子さんのミッシェルとガールフレンドのジェニファー、ちよさんの友人のダイアナ。ワイン、オードブル、メイン、デザートまで和・洋食混ざったご馳走とおしゃべりで楽しく過ごす。


12月25日
 夕方からギーさんの車でクリスマスライトの飾り付けを見にドライブ。エローラ、グエルフ、キッチナー、エルマイラとあちこちの村や町に連れてもらった。どの家や町もいろいろ工夫して飾り付けてあり、ライトの明かりが雪に映えてとても綺麗だった。やはりクリスマスには雪が欠かせない。


12月28日
 ギーさん、ちよさんと「くるみ割り人形」のバレーを見に行く。劇場はキッチナーの The Center In The Square という比較的新しい建物で、親子連れの観客が多かった。中には正装している人もいてノースリーブ、ロングドレス姿は寒そうだった。バレーもよかったがキッチナー・ウオータールー交響楽団の演奏も素晴らしく、久し振りに生演奏を聞き心が豊かになった気がした。



帰国準備
 アメリカ東部の旅を終え次はメキシコに行く予定だったが、日本に用事ができ残念ながら1月18日に帰国する事になった。まずは帰国便の予約。当初ハリファックスまで行くつもりだったので、1年オープンの復路 ハリファックス⇒バンクーバー⇒関西空港のルート変更不可の格安チケットを持っていた。トロントからハリファックスまでわざわざ行かなければならないのか・・・遠回りだな。そうではなく トロントからバンクーバーまで新たにチケットを購入し、持っているバンクーバー⇒関空間を使用できないのだろうか? ダメもとで交渉しょうとトロント空港まで行った。

 空港のチケット購入カウンターで持っているチケットを見せ、トロント⇒バンクーバー間を買いたいと言うとすんなりと値段、時刻などを調べてくれOKとなった。やった!うまくいったと喜びマイレージを使うので別のカウンターに行った。再び同じカウンター戻ると先ほどの担当者は不在で、違う人に又初めから同じ事を言った。すると私達のチケットを持って奥に行き何か調べたらしく、このチケットはハリファックスから乗らないとダメで、トロント⇒ハリファックスのチケットを購入してください・・・らしき事を言った。

 ええっ!やはり・・・と思ったが、なぜ?だめなのか。先ほどの担当者はOKと言って、値段や時刻も調べてくれた。ここにそのメモがあると食い下がった。初め自信満々だった彼女は不安になり他の人に聞くと簡単にOKと言われ、しぶしぶ発券してくれた。日本だと多分このチケットはルート変更になり使えないし、誰に聞いても答えは同じであろう。ところがカナダやアメリカでは、よく言えば個人の責任に負かされているので、同じ事を聞いても人によって違う答えになることがある。悪く言えばマニュアルがそこまで徹底していないということ。だから納得がいかなければ納得するまで聞くことが大切だ。今回の場合は言ったもの勝ちだったが・・・。



車売却のこと
 カナダも最後ということで車を売ることにした。方法としては、ディーラーに引き取ってもらう、カー雑誌やクラシファイドに載せる、ビラを作り掲示板に貼る、等いろいろあるらしいが、ギーさんに手伝ってもらいカー雑誌に載せることにした。まず修理工場へ持って行き検査を受け証明書をもらった。次にカー雑誌の取次ぎ店へ行き写真を撮ってもらい、宣伝の文を渡した。これには値段、走行距離、車の機能など書いてある訳だが、全てギーさんに任せた。1週間後、写真付きでカー雑誌に掲載された。またFor Saleのステッカーを窓に貼って走っている。今のところ問い合わせはないが帰るまでに売れて欲しい。


荷物のこと
 1週間ほどかかっていやいやながら荷物の整理をした。台所用品や食器など使える物は、ちよさん宅に引きとってもらい、布団、枕、シーツ、その他諸々の品や不用品はメノナイトの人達の所へちよさんに持っていってもらった。あと残るのは、大部分が衣類、靴、バッグ、ダウンの掛け布団、毛布、本、電気炊飯器、包丁、2人分の食器、ラジカセ、薬類だけ。それら全ては大きなトランク4個とダンボール1個に収まった。これが私達の全持ち物だ。

 日本の家は借家にしてあり電気製品はすべて処分し、残る家具類は家の裏の小屋に入れてある。高くて旅行に向かない服は親戚に預けている。あれほど多くあった荷物がたったこれだけになってしまった。いやこれからますます減るだろう。持っているときはあれもこれも、とても大切に思っていたが、手放してみるとそれはそれで案外平気なものだ。結局一番大事な物って自分の体、つまり健康体であることだ。



いよいよ帰国
 20ヶ月滞在したカナダともいよいよお別れだ。住むところも決めずにバンクーバーに来て、アパート探しから始まったが何とかやってきた。初めての体験で戸惑うことばかりだった。最初は心細く不安になったり、自分達の思うようにいかずあせったり、あきれたりすることも多かったが、慣れてくるといろいろな考え方ややり方があり,決まった方法はなくどのやり方でもいいのだと思ってきた。

 また日本では知り合えないだろう多くの人との出会いがあり、学ぶことも多かった。人間は一人ではなくお互いに支えあい助け合って生きている、また生かされているということ。日本では気づかぬ間に他人の目を気にし常識という枠にとらわれていたが、ここでは自分の気持ちを素直に表現し、もっと自然態で気楽に生きていけるということを学んだ。この先、人と比べるのではなく自分が納得した人生をゆったりと歩みたいと思った。

 とりあえず日本に帰り2,3ヶ月滞在しまた海外に出るか、そのまま日本に落ち着くか先のことはゆっくり考えることにしよう。






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