メープル街道11日間の旅(9/15〜9/25)

 



 「メープル街道」とは、ナイアガラ〜ケベックを結ぶセントローレンス川に沿った全長800キロをいう。ルート上にはトロント、オタワ、モントリオール、ケベックなどの古都や名所旧跡があるが、私達にはそれよりもメープルの紅葉を楽しみにしていた。ガイドブックによると紅葉は9月中旬から10月中旬が見頃とあったので、それに合わせて日本でバンクーバー〜トロントの航空券も買っていた。太極拳でいっしょの中山さんはモントリオールに5年住んでいたらしく、「うーん!?ちよっと早いかもね・・・。でも行ってらっしゃい。」の言葉だった。


 

9月15日(1日目)

  
 朝7時30分。ジョンとイーデスが駐車場で待っていてくれる。前の晩電話があり空港まで送ってくれるというのだ。「バスで行くから」と断ったのだが、彼らの好意に甘えることにした。いつものことながら有難いことだ。バンクーバー空港9時30分発〜トロント17時着。えっ!7時間半もかかるのと驚くことなかれ。カナダは国土が広いのでバンクーバーのB.C州とトロントのオンタリオ州では3時間の時差があるのだ。飛行機には正味4時間半乗っていたことになる。

  
 早速タクシーでトロントのダウンタウンにあるB&Bへ。このB&Bは1週間前からEメールやファックスや電話であちこち問い合わせ、6軒目にしてやっと取れた所だ。私(MINE)がいつも参考にしている「地球の歩き方」というガイドブックで見つけたのだが、余りにも値段が安いのでもしや・・・?と思っていたのだが、みごと予感的中!家はとても古く、半地下室を改造して4室作ってあるのだがバスルームはたったの1つ。トイレももちろん1つ!何人泊まっているのか分からないが、少なくとも6人で1つのトイレ・バスを使うなんて考えられない。おまけに2階にも部屋があるらしく人の出入りが多い。

 

 カナダ人の暮らしぶりを垣間見て、オーナーと話をして・・・というB&Bのよさが全くない。部屋も暗く窓もほとんど開かないのでそうそうに外へ出る。ここで3泊するのかと思うと気も重い。外はもう暗く風も強く寒い。繁華街のほうに出るが、風に吹かれてごみが舞い上がり浮浪者や乞食も多く見かけ、あまりいい環境ではなさそうだ。レストランを探すのも面倒なのでマグドナルドで簡単に済ませた。


9月16日(2日目)


 今日は私の友人バーバラに会うことになっている。以前住んでいた寝屋川市と彼女の住んでいるオークビル市(トロント近郊)が姉妹都市で、14年前に彼女が寝屋川市に来た時に1週間ほどホームステイを引き受けた。翌年私がバーバラ宅にホームステイさせてもらい、8年前私達がカナダに来た時にも、ホテルまで会いに来てくれた
 11時30分にランチをいっしょにと言う約束なので、それまでにルートパスというチケットを買いにバスディーポ(長距離バスの停留場)まで行った。いつものことながら地図を片手に歩くのだが、カナダでは全ての通りに名前がありそれもほぼ真っ直ぐに交差しているので分かりやすい。ルートパスというのは、期間中オンタリオ州・ケベック州全域乗り放題のパスで、今回私達が行くメープル街道の全路線をカバーしているので14日間のチケットを買った。これで一安心

 次はいよいよバーバラに会いに行くのだが、レストランの名前と電話番号しか聞いてないので、そこに電話して場所を聞くとそんなに遠くないので歩くことにした。日本ではすぐに乗り物に乗ってしまうのだが、外国に来ると30分位なら歩けるから不思議だ。簡単にレストランを見つけ8年ぶりに再会!バーバラはあまり変わりなくいつまでも若々しいので嬉しかった。娘のナンシーはスマートだったのによく肥えていた。孫のダニエルはよちよち歩きだったのに15歳になり、背も高くすっかり娘さんらしくなっていて年月を感じさせられた。バーバラはこれからナンシーの住んでいるシカゴへ行くというので2時間程で別れた。今度はいつ会えるのだろうか・・・?

 その後世界一高いと言われるCNタワー(533メートル)に行ったが、多くの人が並んでいて2時間ほど待たないとダメと言われたのであきらめた。トロントはカナダ一の大都会で若者にとっては面白い町なのだそうだが、私達にとっては大阪の梅田か心斎橋にいるようなもので特に見るものもない。ベイ・デパートの9階にあるトムソン・ギャラリーに行きゆっくりカナダの画家達の絵を楽しんだ。
 HARUは風邪を引いたらしく朝から調子が悪かったのだが、寒気がし体の節々が痛いと言い出しついに先に帰ることになった。私もいっしょに帰ると言ったのだがいいと言うので仕方なく一人でイートン・センター、旧市庁舎、CNタワーへ行ったがあまり面白くなかった。薄暗くなりサブウェイ(地下鉄)に乗ったが一人だと何となく不安で、カバンをしっかり押さえ足早に歩いて帰った。HARUは薬を飲みよく寝たらしく元気になっていたが、外は寒いので紅茶、バナナ、クッキーなどを夕食とした。何となくみじめな一日だった。



9月17日(3日目)


 8時起床。案の定誰かがシャワーを使っているらしく、空くのを待ってトイレ・洗顔を済ます。1階へ朝食に行くがここも8人程席が空くのを待っている。人が待っているのにゆっくり食べ、食べ終わってもおしゃべりし続け席を替わろうともしない。どうもこちらの人は自分の気持ち第一で他人のことはあまり気にしない。いい面もあるのだがこんなときには“早くしてよ!”と言いたくなる。
今日はナイアガラへ行くので、9時30分のバスに乗らなければならない。HARUも風邪が直りお天気もいいので今日はルンルン気分。初めてルートパスを使うので不安だったが、チケット売り場で行き先を言ってそれを書いてもらい、私のサインをして判を押してもらってOK。それをバスの運転手に渡せばいいわけだ。

 
 ナイアガラまでバスで2時間
。滝までシャトルバスがありうまく連絡してありさすが観光地だと感心する。滝に近づくにつれ轟音が響きわたり,その音に誘われる様に急ぎ足になる。真正面に見えるのがアメリカ滝。そしてもう少し進むと見えて来るのがカナダ滝。今日は風が強いのかカナダ滝はすごい水飛沫で近づくことも出来ない。何とか写真だけ写し、テーブルロック・ハウスで一休み。カナダ滝を見るにはここの展望テラスが一番。滝とともに世界中から集まってくるマン・ウォッチングも面白い。しばらくここでぼんやりし、またバスに乗ってトロントまで。


 夕食は地元の人にも人気のある魚料理のグリル店へ。カナダではレストランであまりアルコールを飲まないが、ここにはバーもありにぎやかなのでホットする。でも何を注文していいか分からないので魚のフライとフライドポテトになってしまった。いつになったら食べたい物が食べれる様になるのだろう。



9月18日(4日目)


 今日はオタワに向かって出発グレイハウンドのバスで5時間かかるのでいい席に座ろうと早めにバスディーポに行く。こちらでは長距離バスでも予約制がなく、当日切符を買って乗るので遅く行くと乗れない場合もある。一日に数本しかないので乗り遅れると大変だ。30分ほど前から人が並び始めたが、私達は荷物を並べておいたので楽だった。
 バスの一番前の席に座り地図を広げていると、乗りこんできた運転手が「おや、地図を見ているのかい?僕は地図なしでも走れるよ。」と鼻歌交じりで話し掛けてきた。カナディアンはおしなべてフレンドリーだ。すれ違いざまに偶然目が合うとにっこりするし、スーパーの店員さんでも「ハーイ、元気!」と話し掛けてくる。一度出会うと次からはもう友達感覚だ。

バスは時速120キロ位でどんどんとばす。郊外に出ると6車線の真っ直ぐな道路がどこまでも続き、見渡す限りとうもろこし畑、麦畑、原野が広がっている。所々にぽつんと牧場が見えるくらいで山もなく、カナダの広さをまたも思い知らされるかんじだ。途中何もないバスディーポで20分のお昼タイム。たった1軒しかないレストラン兼売店でサンドイッチかハンバーガー、飲み物、りんごなどを買い食べている。こちらのランチはきわめて質素。ゆっくり休む暇もなく出発。又同じような景色が続き家が見え、高層ビルが見えてきたと思ったらオタワに到着。

 今晩とまるB&Bはバスディーポから遠いので電話して迎えに来てもらう。待つこと30分。それもこれでも動くのと言うくらい古いおんぼろ車に乗って・・・。私達は気持ちが暗くなっているのに彼女は陽気にオタワの案内をしてくれる。
 家に着いて外観を見ると、庭は荒れ放題、玄関の手すりは壊れているし、くもの巣まで貼っている。やっぱりと思い中に入ってみると案外きれい。絵が好きらしくセンスのいい絵やポスターが貼ってある。部屋に落ち着くとコーヒーやチーズでもてなしてくれて私達とおしゃべりタイム。とても気のよさそうな人でこちらの気持ちも明るくなる。早速教えてもらった国会議事堂やリドー運河へ行くが遅いので入れない。写真だけ取ってオタワ市民の台所と言われるバイワード・マーケットへ。夕食は久し振りに生牡蠣やいかのマリネを食べおいしかった。



9月19日(5日目)


 午前中オタワ観光
。再び国会議事堂へ行き1時間のガイドツアーに参加。カナダ国内、アメリカ、ハワイ、香港、イギリスといろいろな国から来ているが日本人は私達だけ。ほとんどわからない英語の説明をわかったような顔をして聞くのもつらい

 次にカナダ国立美術館へ行きいろいろな作品を見るがカナダの大自然を描いた絵や、イヌイット族の生活に根ざした彫刻が素晴らしかった。この後モントリオールへ行くので預けていた荷物を取りにB&Bへもどる。バスディーポまでタクシーで行くつもりだったが、市内バスで行く方法を教えてもらったのでバス停まで行くとちょうどバスが来た。慌てて乗りお金を払おうと財布を見ると小銭がない。運転手に言うと取りあえず乗れというゼスチャー

 バスには日本のような両替機もないしおつりも出てこない。困ってバスの中で20ドル(1500円)札を見せ両替を頼むが、誰も持っているはずもなく申し訳なさそうな顔をするだけ。こちらには現金を持ち歩く習慣はなく、支払いはインタラクトカード、小切手、クレジットカードでする。ただバス代、チップなどは小銭がいるので持っておかないとダメ。仕方がないので小銭を全部見せ「すみません。これで全部です。」と言うと簡単にOK。おおらかと言うかなんと言うか、そういう国なのだ。

 モントリオールまで2時間。いよいよケベック州だ。ケベック州に入ると道路標識の字がフランス語が先に来て英語が後になる。なんとも読みにくいこと!楽しみにしていた紅葉は・・・と木々を見るが緑がほとんどで全然変わってない。がっくりだ!

 今夜の宿は一応ホテル。バスディーポ,メトロ(地下鉄)にも近く環境もまあまあ。地図を見ながら出かけようとするが、フランス語の読み方が全然分からず、一字一字アルファベットを読みその名前を地図上で探すのは一苦労。2人とも老眼でめがねをかけたりはずしたり。明日は郊外へ行くのでレンタカーでも借りて・・・、と考えていたがどうもこの調子では道に迷いそう。おまけにバンクーバーと違ってここの運転は荒っぽい。事故を起こしてはたいへんなので結局ツアーに参加することにした。夜TVを見るとフランス語。ちんぷんかんぷんで異国にいるようだった。




9月20日(6日目)


 ロレンシャン高原への一日ツアーに参加。ロレンシャン高原はモントリオールから車で1〜2時間のリゾート地で、紅葉のメッカとして有名。私達の今回の旅のメインだ。でもどこを見ても紅葉とは程遠く木は青々していたのであきらめていた。それでもツアーの参加人数は多く日本人も5〜6人いた。
 
ドライバー兼ガイドはまずフランス語でしゃべりそれから英語。その英語もフランス語交じりの鼻にかかった発音なので分かりにくく、バスの集合時間などは日本人に聞き確認するありさまだった。モントリオールの町を抜け高原に近づくに連れ所々赤くなっている木もあったが、出るのはため息ばかりで完全にあきらめた。全体に山は低くずっと見渡せるので、これが紅葉していたら・・・と想像ばかりしていた。写真も取る気がしなく絵葉書ばかり買い集めた

 まずサンタデールという湖で1時間のクルージング。その後エステルという有名なホテルでランチ。さすがフランス語圏だ。何を食べてもおいしかった。バイキングなので私達は何回もお変わりしに行ったが、同席したイタリア人はよく肥えているのにあまり食べず、デザートはお皿にいっぱい盛ってきたので納得した。ランチ後サン・ソヴェール・デ・モンという町でフリータイムとなり、可愛いカフェやブティック等を見てまわった。どこもきれいに飾りつけてありセンスもよくまさにフランスだった




9月21日(7日目)                                              

  
 今日はモントリオールの80キロほど南にあるイースタン・タウンシップスという田舎に行く。ここは車がないと動きにくいとガイドブックにあったが、取りあえず行ってみてそこでレンタカーを・・・と考えていた。ダウンタウンのバスディーポから2時間半、ずっと畑や原野が続く道を走り途中いくつかの村を通りぬけやっと中心の町シェルブルックに到着

 道に沿って商店や銀行、レストランがあり生活の匂いはするものの観光に関するものは何もない。レンタカーの看板を探すがフランス語で分からない。雨も降り始め風も出てきて寒いし帰ろうかと思ったが、コーヒーでも飲んでからと店に入った。
 フランス語しか通じないと思っていたのに英語が通じたので、思わずレンタカー屋は?・・・と聞くと店のボスなら英語が分かるからとボスに代わった。中国人の彼は親切にも電話帳で調べ車のディーラーにいろいろ条件を聞き交渉してくれた。(レンタカー屋はなくディーラーから借りるらしい)こうして無事に車を借りたわけだが、あまりにも話がとんとん拍子に進み大丈夫だろうかと彼を疑った。(中国人に対する私達の偏見?)でも料金も相場並だしディーラーも大きな会社だったので安心した。彼のおかげで車が借りられたのに、猜疑心の目で彼を見たのは恥ずかしい。でも海外にいるとむやみに人を信じてはいけないのも事実だ。

 地図を買い隣町のマーゴクまでドライブ。湖の周りにぶどう園や果樹園、メープルシロップの収穫小屋、牧場が続く牧歌的な風景の中にぽつんと民家が建っている。この民家こそおいしい料理を出すB&Bで有名とか。テーブルセッティングしてあるレストランを見つけ入るが、ディナーにいらっしゃいと断られた。予約してないとダメなのだ。田舎好きの私達だが、ここは退屈するだろうなと思うくらいの田舎だった。その後、サン・ブノワ・デュ・ラック修道院へ行った。豪華な装飾も何もないところだが牧師さんがパイプオルガンをひいているのが印象的だった。HARUはいつまでもそこにたたずんでいた。



9月22日(8日目)


 午前中モントリオールの市内観光。北米最大と言われるノートルダム聖堂へ行く。5772本のパイプオルガン、華麗なステンドグラスを見るが団体バスでどっと来る観光客で厳かさも半減してしまう。その後40分ほど歩いてモン・ロワイヤル公園へ。展望台からのダウンタウン、セントローレンス川の眺めは素晴らしい。

 2時モントリオール発〜5時ケベック着。ケベックはユネスコの世界遺産に登録されている城塞都市であり、住民の95%がフランス系というだけあってフランス色一色。バスディーポのインフォメーションで帰りのケベック〜トロントの時刻表をもらおうと英語で聞くが、「そこの棚にあるから自分でさがせ。」の返事。(今までのインフォだったらにっこり笑ってくれたのに・・・)たくさんあるパンフレットの中から英語版を選びケベック〜モントリオール〜トロントを見つけるが、出発が日曜のため接続がうまくいかず、このままでは帰れないことになってしまう頭の中は真っ白!

 もう一度さっきのインフォへ行き確認するが「そうだ。」の返事のみ。帰りのトロント発の飛行機の予約を取り消そうか、明日ケベックを出発しようか・・・といろいろ考える。よく見ると朝早くケベックを発つとトロントに夜中に着く便があった。
 三度目インフォへ行きそれを確認すると「それよりも早い便がある。」と言って別の時刻表をくれたフランス語版で分かりにくいが日曜でも一日に三便トロントまで接続しているではないか!なんだ?!これは?・・・私達の見ていた時刻表とは違うルートを走るのだ。これだと予定通り帰れると喜んだが,後でよく考えるとだんだん腹が立ってきた。どうして一番最初にこの時刻表をくれなかったんだ!そうすればあんなに慌てることはなかったのに。ジョンのおばさんが言っていた「ケベックではフランス語を話さないと意地悪されるわよ。」はこれだったんだ。



9月23日(9日目)


 
朝から雨模様、薄暗く寒い。ケベックのシンボルと言われるシャトー・フロントナック、シタデル(星型の要塞)等の旧市街を見てまわる。城壁に囲まれた旧市街は、石畳の細い路にこじんまりとした建物が軒を連ねていてまるでパリにいるかのよう。又ふらりと入ったレストランでは何を食べてもおいしく久し振りに満足感を味わう。

 昼からオルレアン島、19世紀の家並みや教会が続く王の道のツアーに参加するが、バスの中から見るだけであまり面白くなかった。ただ途中で立ち寄ったモンモランシーの滝は、落差83メートルあり水量も多いのにー35℃になる冬には凍ると聞き信じられなかったが、滝が氷柱になりそのまわりをスキーしている写真を見て自然の力の偉大さに驚いた。夕食は昨日と同じレストランでフルコースを食べたが、何もかも満足でチップをはずんだ。





9月24日(10日目)〜9月25日(11日目)

 ケベック10時発〜モントリオール13時5分着。モントリオール13時30分発〜トロント20時30分着。日曜日だと言うのにモントリオール行きのバスは満員。モントリオールで乗り継ぎに25分しかなく、遅れたらどうしようとか、満員で乗れなかったら・・・とか心配したがすべて杞憂に終わった。何とかなるものなんだ。10時間以上バスに乗っていたが、次から次へと移り変わる景色を見ていたら退屈しなかった。
 トロントは旅の最後ということで一流?のホテルにした。28階の部屋でオンタリオ湖やダウンタウンの眺めも良く、さすがベッドの寝心地も良かった。その代わり値段もよく1泊目のB&Bの三倍もした。翌朝トロント14時発〜バンクーバー15時30分着。無事アパートに帰った。すぐに買い物に行き豆腐、卵焼き、のり、たくあん、ほかほかのご飯を食べた。おいしかったこと。


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