リッチモンドから NO.2(9月7日)

 こちらはもう秋。木の葉も所どころ赤くなっています。日が照ると秋晴れで気持ちいいのですが、日がかげるとどんよりして急に寒くなります。だからいつも上着が必要となります。それにしてもなんと夏が短いのでしょう! 私達が長袖姿のときアパートのプールで朝早くから歓声が上がり、「こんなに涼しいのにもう泳いでるわ!」と感心していたのですが、それも今にして初めて分かりました。短い夏だからこそ思いきり楽しんでいたのでしょう。公園でも私達東洋人は日陰に座るのですが、白人は日の当たるところに座ります。太陽の光を十分に浴びているのです。10月半ばくらいから春まで日本の梅雨に似た気候で毎日雨ばかり降り、あまり日が射さないと聞くと当然かも知れません。


友人のこと・知人のこと


 こちらに来て少し生活も落ち着いた6月半ば、このまま2人でいても英語を話せるようにならないし,カナダの生活についてもっと知りたいし・・・・と言うことでカナダ人の友人を募集しました。アパートの洗濯場やスーパーの掲示板に“WANTED!LANGUAGE EXCHANGE FRIENDS  私達は50歳代の日本人の夫婦です。日本語を教えますので英語を教えてくれる友人を求めます。”と書き、電話番号も書いた紙を貼りました。

 こちらでは クラシファイドと言って人が集まり目のつきやすい所に“、売ります。買います。教えます。教えて下さい。”等個人の情報を書いた紙を貼り 情報交換をするのです。新聞にも同じようなコーナーがあり、私達もアパート、家具の購入もこれを利用しました。掲示して1週間後、、電話があり・・・こうして知り合ったのがジョンとイーデスです。  
 

 彼らは同じアパートの向かいの棟に住む20歳後半の新婚さんで、ジョンは日系3世のカナディアン、奥さんのイーデスは日系2世のカナディアンで 彼女は家で日本語を話していたのでかなり日本語が分かります。またイーデスはESL(英語を第2外国語とする語学)の先生をしているので、話し方もゆっくりでわかりやすく今では週1回の私達の英会話の先生です
 ジョンは教会の宣教師で、この頃では私達も日曜日にいっしょに教会に行くようになりました。歌を歌ったり説教を聞いたりするのですが 難しい英語ばかりでチンプンカンプンですが、多くの人と出会え英会話の練習になるので楽しみです。今やジョンとイーデスは私達の一番の友人でもあり、何でも教えてもらい助けてもらえるので欠かせない人達です。(電話がかかってきたのは彼らだけでした。)


 


 ジョンのおばさんちでBBQ(バーベキュー)パーティーがあり、いっしょに連れてもらいました。そこで知り合ったのがジョンのおじさんのロイとおばさんのマチコさん。ロイはハンガリー系カナディアンでマチコさんは日系カナディアン。2人とも5年前にリタイアして今は花や野菜作りが楽しみとか。(その後またランチに招待して下さり 帰りにはもぎたてのとうもろこし、まめ 紫蘇などをもらいました。久しぶりの紫蘇は日本の味がしておいしかったこと) 

 またフィリピン系カナディアンのアマンドとアローラ夫妻とも知り合いに。彼らは6年前にカナダに移民してきて今はバンクーバーに住んでいるがこの12月にはフィリピンに帰るとのこと。私達もいつかフィリピンに行くつもりなので彼らと連絡し合うつもり。その他香港系、モンゴル系、中国系カナディアンと20人ほど知り合ったが多すぎて名前も覚えられない。ただ世界中の人々が集まり多民族国家カナダが成り立っていると身をもって知った思いでした。

 またジョンのお父さんとお母さんも紹介してもらいました。2人とも日系2世のカナディアンでこちらで生まれ(第2次世界大戦を体験され,きっと苦労されたことと思う いつか聞いてみたい)、20代後半に宣教師の仕事で日本に行かれ30年近く日本に住まれたとか・・・。日本語がとても達者で日本のこともよく知っておられるのでびっくりした。車の保険加入のときに付いてきていただき、あれこれ教えてもらいとても助かった。お礼を言うと「私達も日本で多くの人にお世話になりましたから・・・」の言葉が印象的だった。


 


 あと日本人の知り合いとしてはB&Bのトラさん。こちらへ来てアパートが決まるまで1週間とめてもらったB&Bのご主人だが、アパート入居のときに保証人になって下さったり、荷物運びを手伝ってもらったり・・・と本当にお世話になった。3年前に移民してこられ、私達と一番近い立場でカナダを見られるので、何かあるとすぐに相談してしまう。

 太極拳の先生の小池さん。JTBにお勤めで太極拳を習われて8年。大先生から教えていいと許可が出たので教え始められたらしいが、私達のような覚えの悪い生徒でもイヤな顔一つされず、根気よく教えてくださる。それも無料で・・・ 最近やっと太極拳らしくなり楽しくなってきた。日本語で話せ、素敵な先生に会えるのでHARUにとってはほっとできる唯一の時間らしい。

 太極拳の生徒の中山さんと泉さん。MINEが貧血で日本で飲んでいた薬がなくなったので薬局へ買いに行ったところ、全く分からず、それで太極拳の時に聞いたら、偶然中山さんの息子さんが薬剤師をされているので紹介してもらった。その後貧血にいいからとプルーンをいただいたり・・・。
 泉さんはカナダ生まれの日系カナディアン
。日本語を話されるが読み書きは出来ないとのこと。庭も広く野菜もいろいろ作っておられるので、新鮮な野菜を戴いたり、時にはプランターに野菜を植え替えて持ってきてくださったり・・・。またお2人には主婦の先輩として日常生活についていろいろ教えてもらえる。みなさんにお世話になるばかりで何のお返しも出来ないのが心苦しい。 

 その他日本料理店の店員さん、美容師さんなどちよっとした知り合いでも、同じ日本人だと分かると(こちらでは中国人,韓国人、日本人の区別がつかない)何か困ったことがあれば連絡して・・・と電話番号を教えてくれたりとても親切です。日本だと常識として知っているので人に聞かなくともほぼ自分で出来るが、こちらでは分からないことも多く、その上言葉が通じないとなれば悲惨です。最近になってやっと“人間は一人ではなく多くの人に助けられて生きているんだ”と痛感したと言うところです。

 

シボレーのバン購入


 車のリースも8月で終わりリース代も高いのでとうとう車を買うことにした。こちらでは新聞や町の掲示板のクラシファイド、あるいは車に“FOR SALE”と書いて貼ってありそれらを見て買ったら安いのだが、日本のように車検制度もなく ‘安い車を買ったら修理ばかりで大変だ’と聞いていたのでディーラーから買うことにした。

 ジョンはホンダ・トヨタが一番いいと進めるので見に行ったところ、新車はともかく中古車はびっくりするほど高い!日本では中古車は安いものだが、こちらでは2年落ち走行距離3万キロでも新車とそう値段は変わらない。私達は日本でホンダのレジェンド3200cc1991年走行8万キロを安く泣く泣く手放したが、こちらで買うとしたら180万円くらいと思うと馬鹿らしく買う気もしなかった。それで結局長期旅行も出来荷物も積めるということで、シボレーのベンチャー3400cc1999年走行3万キロを180万で買うことにした。

 ジョンに付いてきてもらってディーラーへ。片言の英語と片言の日本語で交渉を進め契約までうまく行ったがお金の支払方法で困った。カードを使うことにしたがカードの限度額は100万円まで。それ以上使う場合は先にカード会社に電話して限度額を上げてもらわなくてはならない。そんなことを知らない私達は“カードが使えない。拒否されている。”と言われ真っ青。どうしようと思いふとカードの裏を見ると電話番号が書いてある。すがる思いで国際電話するが「営業時間が過ぎていますので・・・」とテープの声。ああ、時差があったのだ!

 デポジットを少しだけ払い事情を説明してもらって翌日に払うことにして帰った。ジョンがいてセールスマンに説明してくれて良かったものの、私達2人だとどうなっただろう。
家に帰り夜になって日本へ電話。ああ,言葉が通じるってこんなに有難いものなんだ!3時間後審査の結果OKの返事。やれやれ。翌日ジョンのお父さんに来てもらい、支払いと保険の加入を済ませ、新しいナンバープレートをつけてもらい乗って帰った。HARUいわく、「大きいからスピードを出しても怖くないけど、なんか全体的に雑っぽいわ。やっぱり日本車はしっくり来るわ。」                   




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