ドミニカ共和国へ 一週間のバカンス( 2001,10,27〜11,3 )
 



10月27日(土)

トロントから4時間弱 Punta Cana(プンタ・カナ)空港に到着。歩いてタラップを降りると、南国特有の強烈な陽射しと陽気なメレンゲ音楽が私達を迎えてくれた。気温は32度、でも風があるからむっとした暑さではない。入国審査も顔を見てスタンプを押して終わり、とても簡単でさすが南国だと妙に感心する。。何時ものように手荷物を受け取りに行くがHARUのバッグが出てこない。40分くらい待っただろうか、ツアーのスタッフが私達を探しに来て荷物がない事を言うと、さっと手配してくれた。もう見つからないだろうとあきらめかけた頃、どこからか見つけてくれやれやれ、助かった。

今回の旅は、Elmira(エルマイラ)の旅行代理店で見つけたもので、「オール・インクルーシィブ」といってトロントからのエアー代、7泊のホテル代、朝・昼・夕の3食と飲み物、スナック、それにスポーツ・アクティビティーなどすべて含まれているものだ。北米では冬の寒い時期に、ハワイやカリブ海にこのようなスタイルで行くらしいが、今はシーズン前で安く行けるからねらい目だ。





ホテルに着いてチェック・イン。手に青いビニールのブレスレットをはめてもらう。これでホテルにいる間は全て無料でチップもいらないから楽だ。ホテルは部屋数880もあると聞いてびっくり。レストランの数は10、バーも5ヶ所ありMINEが今まで泊まった中で一番豪華なホテルだ。おまけに部屋も広くベランダからカリブ海が見え快適だ。

夕食はビュッフェ式のレストランで。思ったよりも多くの人がいたが、東洋人は私達だけ。イタリア料理の食べ放題、呑み放題でたらふく食べた。夕食後はプールサイドのバーでゆっくりし、夜のエンターテイメントを見に行った。途中でHARUも飛び入り参加し、みんなで踊ったり歌ったりして汗びっしょり。12時ごろまで大騒ぎし楽しかった

 


10月28日(日)

朝からかんかん照り。朝食後ホテルの説明会に参加。ほぼパンフレットに書いてあるような事だが、スペイン語なまりの英語であまり分からなかった。ホテル内があまりにも広いので地図を片手に見て廻り、ついでに今夜のディナーも予約。4軒のショップを覗くが品数が少なく、値段も驚くほど高い。

昼食はビーチのレストランで。パームツリーカリビアン・ブルーの海を見ながら、風に吹かれて昼間からビールやカクテルとはたまらない。もちろん昼食後はビーチで波の音を聞きながらお昼寝タイム。私達は日陰を選んだが、皆は肌を焼くために来ているとばかりに、炎天下で昼寝や読書。トップレスの女性も多く目のやり場に困った。



2時間後、待望のカヤッキング。海でやるのは初めてで、ひっくり返らないかと心配したが安定していて、横波を受けても大丈夫だった。あまり遠くへ行くのは怖いので、海岸線に沿って何往復かした。海から見ると海岸は真っ白な砂浜とどこまでも続くパームツリーでまさに「南の島」という感じだった。後で調べると砂浜は50キロメートルあり、カリブ海で一番綺麗だそうだ。

夕食は予約しておいた、イタリアンレストランへ行った。隣に座った人がキッチナーから来た夫婦でいろいろ話し掛けてくれ嬉かった。夜のエンターテイメントもアメリカ、イギリス、パリ、ノルウェーなどから来た人達が参加し、国際色豊かでまた12時まで盛りあがった。

 


10月29日(月)

首都サント・ドミンゴへのツアー予約をしにホテルのツアーデスクに行くが、私達の旅行会社は他の場所だと言われそこに行った。が誰も居なく又聞きに行ったり・・・とあちこちうろうろした。ここではスペイン語、フランス語そして英語の順にどの言葉を話すのか聞かれ、仕方なく英語で話すが訛りがあり聞き取りにくい。何回も聞き返しやっと分かると言う状態。ああ、情けない。夕方にもう一度行き、今度は予約できた。

昼からホテルの外へ出た。門には守衛と銃を持った人が4人も居てものものしかった。今回この国について何の情報もなしで来た。ホテルは別としてどのくらい安全か分からなかったので、最初は用心した。門から出ると土産物屋が数店並んでいてすぐに呼びこみが始まった。スペイン語で声を掛けてきて通じないと分かると英語。少しでも話すとしつこいくらいついてくるので、日本から来たというとあきらめる人が多かった。中には中国語のような発音で話し掛けたり、ジャッキー・チェンの真似をする人もいて大笑いした。みんな陽気で明るく、まあ安全なようだ



この当たりにホテルが数軒あるらしく、観光客目当ての近代的なマーケット・プラザがあったが、客より店員の数が多くみんな暇らしくぶらぶらしていた。他は粗末な小屋の感じで村には信号もなくバイクが多く、車がスピードを出して走るので怖かった。小さな村でちょっと歩いたらもう家はなかった。日本人は珍しいのだろう。どこへ行ってもじろじろ見られた声をかけられた。

 

10月30日(火)


午前中、スキューバ・ダイビングの講習を受けた。私達2人にコーチ1人でまず道具のつけ方、息の仕方などゆっくりと教えてもらった。初めて着けるボンベの重さに驚いたが水中では、あまり感じなかった。プールで自由に泳ぎ結構面白かった。でも足の着かない海ではちょっと怖いだろうな。コーチから明日モーターボートで海に出て、5〜6メートル潜ろうと誘われたが丁重に断った。いつかやってみたいが、すぐに海に出るのは勇気がいる。

昼からビーチに行き、波の音を聞きながらぼんやり過ごした。波が高く荒れていたので泳がなかった。その後、プールに戻り水中バレーボールをやっているのを見たり、カクテルを呑んでうつらうつらしたり・・・で終わった。

夕食はレストランのスペシャルデーらしく、入り口で花を持って出迎えてくれたり、楽団が居たり、ロブスターのご馳走が出たりといつも以上に豪華だった。夜のエンターテイメントも同じパターンでちょっと飽きてきた。

 




10月31日(水)



9時にビーチに行きヨットの講習を受けるつもりだったが、風が強く波が荒れていたので止めた。仕方がないので一日中ビーチやプールサイドでごろごろしていた。初めは目のやり場に困ったトップレスの女性姿も見慣れてくると、2人でいろいろと批評しあうようになった。それにしても皆堂々としていること。

プールサイドで人間観察も面白い。水中エアロビクスが終わった後スタッフが中心になり簡単なゲーム。その後自己紹介。スペイン、カナダ、アメリカ、イタリア、フランスから来た人達が言葉がわからなくてもわいわい言って楽しそうに遊んでいる。

今、アメリカがテロリスト報復のためと称してアフガニスタンに攻め入っているが、ここに居ると同じ世界で起こっている事とは思えない。こんな事をしていていいのか・・・とふと思った。





11月1日(木)


今日は首都サント・ドミンゴへ行く日。お客さんは皆で9人と言う小人数なのにガイドはまずスペイン語、次にフランス語、最後に英語でと同じことを3回もしゃべりまくる。英語の説明は私達だけにしてくれるので目をそらす事もできず、一生懸命聞くので最後には疲れてしまった。それにしてもこのガイドさん、とても陽気でいつもにこにこ鼻歌気分。これがドミニカ人気質なのだろうか?

サント・ドミンゴまで約3時間。雑木林やさとうきび畑の続く田舎は、掘っ立て小屋風の家が多いが、町になるとブロックを積み、淡い色で3色に塗られた家が増えてくる。幸運を呼ぶと言う意味合いらしい。野球が盛んで空き地で20人くらい集まって遊んでいる姿をよく見かけた。

ドミニカの産業は観光業、農業が中心で、かなりアメリカが援助しているらしく、人口200万人のサント・ドミンゴでマグドナルドを見かけたので驚いた。また新市街には高層ビルや高級ホテルも見られ、立派な大統領官邸もあり、多大なアメリカの影響を受けていると思った。



コロンブスの第1回航海の時に発見され、スペインによって新大陸として最初の町から造られ繁栄したこの国は、今も旧市街にその面影を残している。

アルカサルはコロンブスの息子の家で22も部屋があり豪華なものだったらしい。(左の写真)

サント・ドミンゴ教会は16世紀の建造物でルネッサンスとゴシック様式がミックスした教会で、こじんまりとしていて古さを感じさせた。(右の写真)

最後にマーケット・プレイスへ行ったが狭いところに多くの土産物屋が入っていて、呼びこみが多くすぐに出てきた。その周りにある市場の方が市民の生活が覗けて面白かった。



 

11月2日(金)

昨日の疲れか朝食時間のぎりぎりまで寝ていた。最初のころはご馳走ばかりで目移りし、あれもこれもと欲張って食べたが1週間もたつと飽きてきた。それどころか、食べ過ぎ呑み過ぎでお腹も出てきて、身体の調子も何となく悪くなってきたのであまり食べないようにした。

最後の日ということで、1日中ビーチに出て泳いだり寝転がったりしてカリブ海を満喫した



11月3日(土)

3時間前にプンタ・カナ空港に着いた。入国が簡単だったので出国のことは何も考えていなかった。ところがエアー・チケット、パスポートを見せるとカナダの運転免許証の提示を求められた。持ってないと言うと、奥から怖そうな審査官が出てきて、カナダからの書類はないのか、どうしてカナダに住んでいるのか等聞いてきた。えっ、どうしてすっと搭乗券をくれないのか?!・・・だんだん不安になってきたが、カナダのビザが12月12日まで有効だと言うと、コンピューターでチェックすると言って奥に行った。しばらくすると帰ってきてオーケーといい 出国できほっとした。

トロントの入国もいろいろ聞かれ、コンピューターでチェックされたが威圧感はなく優しかった。簡単に6ヶ月のビザがもらえた。

 

 
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