Egypt (エジプト)     2003.9.19〜9.28

9月19日(金) 関空→ソウル→ドバイ→カイロ

 新聞広告で「全食事付き10日間のエジプト旅行、129800円!」を見つけ、値段にひかれてすぐに申し込んだ。格安だけあって参加人数は84人、2班に分かれて行動すると聞きびっくりした。早速添乗員さんからエジプトでは生水を飲まないこと、生野菜、カットフルーツもだめ、歯磨きもミネラル・ウオーターで・・・と説明され、下痢にならないようにと気を引き締めた。でも何もかも自分でしなければならない旅行と違い、ただついて行くだけだから気分的にとても楽だった。

 関空から大韓航空でソウル・インチョン国際空港まで約2時間。空港で4時間の待ち時間があったが、日本とよく似た雰囲気のきれいな空港なので、安心してソファを陣取って熟睡した。インチョン空港からUAE (アラブ首長国連邦)のドバイまで9時間、現地時間で深夜の3時だったが、24時間オープンの空港なのだろう。どの店も明るくきれいで、金製品の店が多くありゴージャスな空港だこと!アラブ首長国連邦ってこんなに金持ちの国だったのか?

 

ドバイでまた1時間半待ちカイロまで約4時間。関空からカイロまで何回機内食が出たことだろう?3回?イヤ4回だったと思う。最初のほうに出たビビンバはさすがにおいしかったが、後は見るのもいやになるほどで、ただで飲めるビールもワインもパスしてひたすら寝ていた。



9月20日(土) カイロ観光

 朝7時半、無事カイロ到着。気温は22度で思ったほど暑くないが、砂漠地帯のせいだろうか?埃っぽく遠くの建物もかすんで見えるほどだ。空気が悪いのかMINEはすぐにのどが痛くなってしまった。

 バスに乗りレストランで朝食後考古学博物館へ。世界に誇るエジプトの秘宝を展示しているだけあって、多くの観光客でにぎわっていた。入り口には観光ポリス達がうろうろしていた。1997年のルクソールのテロ事件以来、警備が厳しくなったそうだ。私達のバスにも私服のかっこいい警官が乗り込み、常にどこかに連絡していた。

 現地ガイドのナセルさんは日本語が達者で意気盛んである。次から次へと全員を引き連れ、熱心に説明をしてくれる。あまりにもお宝が多すぎて何が何だかわからないが、お目当てのツタンカーメンの黄金のマスクだけはしっかりと目にした。古代エジプト文明が始まったのは紀元前3000年頃、5000年という歳月を経た展示物だと思うと、私達の生きている現世なんてアッという間だと思った。

 

   

 昼食後、カイロのシンボルのひとつであるモハメッド・アリ・モスクへ行った。いくつもの巨大なドームと鉛筆型の2本のミナレットを持つ美しいモスクで、高台にあるのでカイロ市内がよく見渡せたが、やはり空気はよどんでいた。

 その後はお決まりのみやげ物、パピルス店へ連れて行かれた。パピルスの茎からパピルスを作る実演をやってくれた。この店は画廊のような感じでゆっくりできた。

 6時ごろホテルに帰りすぐに夕食のため外出。疲れているのであまりうろうろせず、ホテルで食べさせてほしいが格安旅行の悲しさ。

 夕食後すぐにピラミッドの近くである「音と光のショー」を見に行った。ピラミッドやスフィンクスに照明を当て、スフィンクスが古代エジプトの歴史を語るショー。最初はきれいで暗闇に浮かび上がるピラミッドも幻想的だったが、1時間も続くと飽きてきた。おまけに夜ともなると寒さが身にしみてきた。

 



9月21日(日) アレキサンドリア日帰り観光

 早朝6時30分ホテル出発。砂漠高速道路でアレキサンドリアまで3時間。砂漠には所々プランテーションでさとうきびやバナナが作られていた。こんなところまでどんな方法で水を運ぶのか不思議だった。

 アレキサンドリアは地中海に面したエジプト第2の都市で、紀元前アレキサンダー大王によって造られ、クレオパトラが最後の女王として治めた町らしい。カイロと違いヨーロッパ調のきれいな町で、埃もなく木々も青々としているのが印象的だった。

 グレコローマン博物館では、クレオパトラやジュリアス・シーザーなどの胸像を見たが、オカッパの黒髪、ぐりぐり目玉のクレオパトラではなく以外とブスだった。

 小高い丘にたった1本だけ立つ高さ27メートルのポンペイの柱。1枚岩の石柱で柱頭にシーザーに負けたポンペイウスの首が晒されていたとか・・・。

 カタコンベ(地下墳墓)はローマ時代の貴族の集団墓地で、薄暗い階段を降りていくと小さな部屋に分かれていて、なんとなく薄気味悪かった。

 昼食は地中海に面したホテルのレストランでシーフード。一般のトイレでは入り口にお掃除おばさんがいて、ペーパーを渡してチップを取るのでイヤだったが、ここでは誰もいなかったので気楽だった。その後カイロへ戻り香水ビンの店へ連れて行かれた。ここでも買い物に興味のない私達は椅子に座って、みんなの買い物が終わるのを待っていた。あーあ、ツァーはこれがつらいよ


 

9月22日(月) ギザの三大ピラミッド見学 


 午前中はこの旅行の大ハイライトであるピラミッドを見に行った。まずは一番大きなクフ王のピラミッドへ。高さ137m、底辺の一辺が220m。そして平均2.5トンの石を約230万個積み上げて20年間もかかって造られたらしい。4300年も前にこんな巨大なものを造ったなんて信じられず、ほんと不思議としか言いようがない。

 次はカウラー王のピラミッドへ。そして最後は一番小さなメンカウラー王のピラミッドに入った。通路は狭くほとんどかがんで歩かなければならなかった。地下の王の玄室、女王の部屋など入ったがサウナ状態で我慢できずあわてて出てきた。

 その後、三大ピラミッドを見渡せる高台とスフィンクスを見に行った。全長57m,高さ20mのスフィンクスは顔は人間、体はライオン。鼻が欠けていたのが残念であったがカウラー王に似ているとか・・・。



 

 
 昼からは自由行動で地下鉄に乗り、オールドカイロに行った。添乗員さんに地下鉄のことを聞くと、昼のラッシュでかなり混んでいること、スリや痴漢が多いから十分気をつけるように言われた。

 英語が通じないのではと心配だったが、切符を買うときには後ろにいた若者が助けてくれたし、駅名は英語表記だったのでよかった。

4つ目のマル・ギルギス駅で降り駅裏のスーク(市場)の方に歩いた。すると女の子達がうるさく「ペン、マネー」と言いながら付きまとって来た。


 写真を撮っていいと言うのでカメラを向けると、近くにいたおばさんたちも集まってきてバクシーシ(喜捨)を要求された。一人にあげると次々要求されるので困っていると、どこからか声がかかってきて私達を呼んでくれた。近くで水タバコを吸っていたおじさんだった。いっしょにテーブルに座り片言の英語で話したり、水タバコを吸わせてもらったりした。味は軽かった。

 


9月23日(火) スエズ運河から紅海のリゾート地ラスセドルへ


 午前5時モーニング・コール、6時30分出発。朝が早いので頭はまだぼんやりしたまま。砂漠道路を通り2時間後スエズ運河に到着。スエズは紅海と地中海を結ぶ長さ173キロ,深さ40〜50mの運河で10年もの年月を要して造られたらしい。今はゆっくりとタンカーが行き来しているが、その当時は2万人もの労働者、5000人も死者が出たらしいから相当な難航工事だったことが伺える。

 その後スエズの魚市場へ。市場の中を一列に並んで見て回ったが、みんなはニコニコ顔で歓迎してくれた。紅海で獲れた赤や黄色の魚にまじってかますらしき魚も並んでいた。また魚市場の近くには野菜や果物の店、アパートもあり庶民生活を窺い知ることができた。 

 スエズ湾にかかっている日本の援助で造られたムバラク橋を見に行った。警察の先導がないと橋を渡れないのか、パトカーが来るまで30分近くバスの中で待たされた。やっと来たパトカーは後ろに4人の警官が座っていた。彼らはずっと外に銃を向けたまま1時間近くも私達のバスを護衛してくれた。シナイ半島は第二次世界大戦以来、幾度も戦われた中東戦争の戦場となったところ。いまだにきな臭い所なのだろう。そういえば戦車の残骸を見たし、今も砂漠には地雷が埋まっているらしい。

 今日泊まるラスセドルという場所は、どの地図を見てもインターネットで調べてもわからなかったが、現地に来て納得した。何もない砂漠のど真ん中にぽつんとある建設中のリゾート地なのだ。カイロから数時間しかかからないので、夏休みなどには賑わうそうな。それにしても文盲率40%、月給が農家3万、サラリーマン6万、医者・大学教授10万、クェートなどへの出稼ぎ者13万円の国。利用するのはほんの一部のお金持ちなんだろう。



9月24日(水) セント・カタリーナへ

 午前中自由行動。何もすることがないのでビーチへ泳ぎに行った。人影はまばらで私達のツアー客以外はほとんどいなかった。

 水はあんがい冷たく澄んでいて魚の泳ぐ姿が見えた。遠浅でどこまで行っても腰までしか水が来ず、どんどん沖へ15分ほど歩いたがせいぜい胸あたり。もうイヤになって少しだけ泳ぎ歩いて帰ってきた。 

 それにしてもこんな遠浅な海は初めてだった。記念に紅海で泳いだと喜んだが、厳密に言うとスエズ運河だそうだ。でも紅海に繋がっているからいいとしよう。


 昼食後、セント・カタリーナへ向けて出発した。リゾート地を出るとすぐに一面の砂漠地帯。私達のバスが走っている道路がまっすぐに伸びている以外、何もなかった。時折道路脇に何か建物を見かけるが、それは軍事基地の入り口に立っているモニュメント。

 こんな砂漠の中にも兵舎があり、徴兵制で集められた若者達が何年間かの兵隊生活を送っているらしい。ガイドのナセルさんもつらかった生活を話してくれた。

 セント・カタリーナはシナイ山聖カタリーナ修道院があるところ。明日早朝からと言うより深夜からシナイ山登山があるので、9時ごろに寝た。

 



9月25日(木) シナイ山登山とセント・カタリーナ修道院へ

 1時30分、モーニングコールで起こされる。MINEは右足を骨折しているので登山はできずHARU一人で参加。

 真っ暗な中バスでシナイ山麓に着く。そこから登山が始まるが、山道は険しく足元は石や岩でごろごろし、二人並んで歩けないほど細い。日ごろの運動不足で足に自信がないので、ラクダに乗ることにした。暗くてよく見えないがどうも左側が崖の様、それなのにラクダが左いっぱいに歩くので怖くて仕方が無い。こんな所で落ちたらどうなるかと思い体を右へ右へと傾けながら、ラクダの背中で約2時間。やっと八合目に着いた。ここでラクダから降りそこからまた800段の階段を上る。

 とうとう頂上へ着いた。周りがよく見えないが山頂は非常に狭く、ご来光を待つ人々で立てないほど。さすが2000メートルを超える山。じっとしていると寒く、貸し毛布を勧めに来るが汚く借りる気もしない。やっと隙間を見つけ岩肌にしがみつきカメラを用意して待つこと1時間。



 
 ずっと向こうの東の方の空が少しずつ明るくなって来て、やっとご来光だ。少しずつ見えてくる山々。なかなか幻想的な瞬間だった。完全に日が昇ると周り全体が見えてきた。ここはモーゼが神から十戒を授かった山。三十数年前に見た「十戒」という映画を思い出す。山々は岩石のみで木一本生えていない。赤茶けた山肌で生命の存在すら感じられない。まるで火星のような異様な光景である。

 さあ、これから下山。1時間半ほど歩いて降りた。蛇行した山道をラクダと人がアリの行列のように、赤茶けた山肌をぬって何百メートルも降りていく。二度と行くことは無いがよい経験になった。(HARU記)

 10時過ぎHARU達が帰ってきた。あまりにも遅いので心配していたら、いっしょに行った80歳のおばあさんを待っていたらしい。同じツアーの人で元気振りに感心していたが、2000メートル級の山に登ったなんて信じられなかった。

 朝食後、近くのセント・カタリーナ修道院へ。ここはユダヤ教・キリスト教の年1回の巡礼地らしい。また今でも約300人の修道生がここで生活しているとか。こんな砂漠の中の何にもないところでどんな生活振りなのだろう?




9月26日(金) カイロへ

 カイロへ向けてバスで出発。途中アインムーサへ寄り、モーゼの泉を見る。ここはモーゼ一行が初めて野営した場所で、苦くて飲めなかった井戸水が、モーゼが杖を投げ込むとたちまち水が甘くなったと言うもの・・・。近くにベドウィンの女性達によるハンドメイドのアクセサリー店があり、観光バスが着くと女の人や子供達が出てきて、店を開き始めるのがなんとも言えなかった。

 
 4時ごろカイロに到着。ホテルに入り休憩後、カイロで一番大きなスーク、ハーン・ハリーリ市場へ行った。どこからどこまでそう呼ぶのかわからないが、迷路のような路地にびっしりと店が並び、歩いていても飽きないほどだ。

宝石やかばんや、香水や骨董・カーペット、エジプトらしいみやげ物店等がずっと続き、通りは観光客であふれていた。ガラベーヤ(エジプトの服)を買おうと手に取るが、値札がついてなくまず値段の交渉から。 

 観光客には数倍、時には数十倍の値段を提示するとガイドブックにあったので、四分の一くらいの値段から言ったが相手もなかなか手ごわく、応じてくれない。同じツアーのご夫婦と私達は台湾から来た兄弟だと言い、2枚買うからと交渉した。何やかや適当なことを言いながら交渉し、結局半額くらいで買った。高いのか安いのかわからないが、交渉は面白かった。その後、最後の夜をナイル川のベリーダンス・ディナークルーズで楽しんだ。




9月27日(土) いよいよ帰国

 10日間の旅行も過ぎてみれば、あっという間の感じだ。暑い国、食べ物も合わないので体調を崩すのではないかと心配したが、ツアーのおかげで食べることには困らず、元気に過ごせた。ガイドさんの案内で観光地ばかり見て回り、何も困ることもなくスムーズに行ったが、もう一つ面白みに欠ける。やはり私達には、はらはらドキドキの自分達で行く旅行があっているのだろう。

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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