North Island (北島)  その1.    2004.1.13〜2.17


1月13日(火)  関空→ソウル→Auckland
 10時山の家を車で出発。HARUは兄の家に車を預けるため、MINEだけ先に荷物を持って関空に行くことにした。途中泉佐野の駅で降ろしてもらい、南海線に乗ろうとしたが電車事故のため一時不通、ダイヤも乱れその上悪いことに、関空線が強風のためストップ。ホームでどうしようか迷ったが、同じように関空に行くおばさん達と、割勘でタクシーを飛ばそうと話がまとまり、改札口を出ると代替バスがあるとのこと。やったー。1時間後無事に関空到着。

 ほっとするのもつかの間。今度は堺まで行ったHARUが南海線に乗ったら間に合わないので、JRに乗るように慌てて連絡した。少しはほっとしたがHARUの姿を見るまで安心できない。もし出発時間に間に合わなければ、この旅は中止だ。はらはら、どきどきしながら待ったが2時間後やっとHARU到着。間に合った。やれやれ。今回ほど時間に余裕を持たないとだめだ・・・・と痛感した事はない。

 この旅も大韓航空を利用。関空→ソウル→オークランドの3ヶ月のオープンチケットで10万1千円。帰路にソウルに立ち寄るため1万円アップ。関空→ソウル1時間半、ソウル→オークランド11時間の空の旅。この時期ニュージーランドに行く人は少ないのか、飛行機はガラガラだったが11時間ともなるともううんざり。


1月14日(水) Auckland郊外のアパートに到着
  
お昼過ぎオークランド国際空港到着。空から見たオークランドは小さな島の集まりで、平らな緑の中にぽつんぽつんと家がある感じだ。また国際空港と言ってもこじんまりしたもので、ニュージーランドの第一印象はのんびりした国だと思った。

 今回はオ−クランドに1ヶ月間滞在する予定なので、インターネットで探した業者にアパートの手配だけ頼んだ。この国も日本人のロングステイヤーが多くいろいろ便宜を図ってくれるのだが、私達のように安い予算で短期のアパート借りとなると難しく、出発ぎりぎりにやっと決まった。光熱費別で週300$プラス手配料2万円。1月になってニュージーランド・ドルがどんどん高くなり1NZ$=72円なので、1ヶ月約10、7万円。家具・電気製品・台所用品などすべて付いているから仕方がないか。

 タクシーでアパートに着くと管理人の酒井さんという女性が待っていてくれた。平屋建て6戸長屋の1つだ。入ってすぐに台所、その奥が10畳くらいのリビングと6畳の寝室、トイレとバスルーム。こじんまりしているが2人には十分な広さだし、なんと言っても全室窓があり明るいのが気に入った。TVや電話、ソファや布団、食器類も一応そろっているが(日本の物は炊飯器だけ)、誰が使ったのかわからないので気持ち悪いが我慢するしかない。 酒井さんにご近所さんを紹介してもらい、車でバス停やショッピングモールを案内してもらった。どこも歩いて10分くらいだし、治安もよさそうなので安心した。



1月15日(木) Onehangaの町の紹介

 朝から曇り風もあり少し肌寒い。昼前に町の探検をかねて買い物に出かけた。ここONEHUNGA(オネハンガ)はオークランドのダウンタウンからバスで30分くらいの小さな町だ。メインストリートはオネハンガ・モールで通りに沿って、銀行や郵便局、電気屋さん、日用雑貨店、レストラン、カフェなど一応の店が揃っている。

 1軒のおしゃれなカフェに入りコーヒーを注文したが、「Flat White?」と聞かれ一瞬ぽかんとしてしまった。何のことかわからないので「ホワイト?」と繰り返すと、ミルクを見せてくれた。なーんだ、ミルク入りのことなのか!ブラックを頼んだがエスプレッソで味も濃かった。コーヒー2杯と、ラザニア、ケーキを注文したが17$(1230円)もした。ニュージーランドは物価が安く、食料品は日本の3分の1とガイドブックに書いてあったが、これでは日本並ではないか!

 その後まあまあの規模のスーパーマーケットを見つけ、パン、バター、卵、コショウ、レタス、ビール等朝食用を買ったが、値段はそんなに安くない。それに野菜も日本系のものはなく、お米もタイ米のようなものでひもじい思いをしそうだ。 



 

1月16日(金)AucklandのMidtownへ 


 朝からバスに乗り、初めてオークランドの中心へ行った。地下鉄がないニュージーランドでは公共の乗り物はバスで、かなりの数の路線が網の目のように入り組んでいるそうだ。オネハンガからも6系統ほど走っておりどれに乗っても、町の中心に30分〜40分で行くので便利だ。 

 バスの窓から見る住宅地や街の様子は、まず坂が多いと言うことだ。建物はほとんど平屋で庭も広く、芝生に洗濯物が干してあったり、子供達が裸足で遊んでいたり・・・。洗練されたというより「ワイルド」と言う言葉がぴったりだ。街の中心に近づくとコンドミニアムや高層ビルが建てこみ、さすがニュージーランド最大の都市らしくなってくる。

 まずはオークランドの街のシンボルである、スカイタワーに行った。高さ328mで東京タワーより少し低いそうだが、南半球では一番高いそうな。タワーには登らなかったが、このスカイタワーからバンジージャンプをしている人がいて、びっくりした。またその隣には逆バンジーをやっていて、座席ごと地上から空中にめがけて発射されるもので、若い中国人の学生達がわいわい言いながら楽しんでいた。高いところが大好きなMINEでもこれをやろうと言う勇気はなかった。

 地図を片手にメインのクイーン・ストリートやビクトリア・ストリートを歩いたが、ワーキング・ホリデイの韓国人や日本人の若者が多かった。お醤油を求めて日本の食材店を探したが一つもなく、韓国系の店にやっとあった。卓上用のキッコーマンが5.9$で高かったが仕方なく買った。

 スターバックスのコーヒーを飲み、マグドでおなじみのハンバーガーを食べアパートに帰った。8時だったがまだまだ明るく9時になりようやく暗くなった。一日がとても長く感じる。





1月18日(日) Aucklandのハーバー・クルーズに

City of Sail(帆の町)という愛称のオークランドは、港にはヨットやボートがあふれおしゃれなレストランやカフェが建ち並んでいて、風に吹かれて散歩するのも気持ちがいいものだ。

 ニュージーランドの海洋航海の歴史を展示した「海洋博物館」や、世界のヨットレースの最高峰で優勝したヨットを展示してある「アメリカズ・カップ・ビレッジ」等を見てまわり、1時間半のハーバークルーズに参加した。

 ワイテマタハーバーを出航し、ハーバーブリッジの下をくぐりぐるっと湾内を一周するだけのものだが、数多くのヨットやボートをすぐ目の前にしてその大きさに驚いたり、日本のクルーズ船「飛鳥」を真近かにして、妙に懐かしかったり・・・・結構楽しめた。また海上から見るオークランドのダウン・タウンのパノラマもきれいだった。

 帰りに両替をしようとあちこちの銀行、両替商を比べて見てまわった。1NZ$がナショナル・バンクで73.77円、ウエスト・パックでは75,23円、ハーバーの両替所で82,23円、中国人の両替所で72.88円、日本人経営のイースト・ウインドで73.51円。おまけに銀行では手数料を払うので実質もっと高くなる。どうしてこんなにも違うのか不思議だった。(ちなみに関空では82円〜83円)



1月20日(火) Devonport

 朝から大雨。風も強く寒いくらいだ。朝夕は冷え込み、日本を発つときに着ていたフリースが役に立つなんて思いもよらなかった。ところが晴れると陽射しがとても強く(紫外線が日本の7倍)、じりじり照りつける感じで日焼けしているのが良くわかる。ガイドブックに「一日の内に四季がある感じ」とあったが、まさしくその通りだ。

 今日は、ハーバーからフェリーで約10分の対岸に位置するデポンポートへ行った。ここは古くからヨーロッパ人の入植が始まり、歴史ある落ち着いた町並みが残っているとか・・・。なるほどたった10分しか離れていないのに、オークランドとは違ってしゃれた店やレストランが並び、また古い立派な建物が多く、のんびりと散策を楽しんだ。

 小高いマウント・ビクトリアに登ると、海を隔てたダウンタウンのビル群や、足元にデポンポートの町並みがよく見えとても気持ちが良かった。

 帰りにスカイタワーの下にあるバスターミナルに行って、ワイトモ・ケーブス行きのバスの予約をしてきた。

 


1月22日(木) Waitomo Cavesへ

 オークランドから南へ約200キロ、バスで3時間半のところに数多くの鍾乳洞と、ツチポタルで有名なワイトモ鍾乳洞がある。日本でもニュージーランドの観光コースに入っているので、是非訪れたかった所だ。

 11時45分、ガイドさんの案内でいよいよワイトモ鍾乳洞へと入っていく。ワイトモとはマオリ語で「地中に流れ込む水」と言う意味だそうで、階段を降りて地下へ地下へと進んでいき、やがて大聖堂と呼ばれる所へ行った。

 ここにはパイプオルガンと名のついた鍾乳洞が天井からぶら下がっていた。パイプオルガンは、約75万年前から成長を始めた鍾乳洞最古のもので、鍾乳洞が1センチ伸びるのに、なんと8年〜20年の歳月がかかるらしく、とても気の長い話だこと。

 鍾乳洞の見学が終わるといよいよグロウワーム、ツチポタルの見学だ。真っ暗な洞窟の中全員一言もしゃべらずボートに乗り、ボートは静かに進んでいく。ガイドさんも見えないのにどうしてボートを動かすのか不思議だったが、ワイヤーが張られていてそれを引っ張っているらしい。

 暗い洞内、音もなくやや緊張した雰囲気。少しすると天井にぽつぽつと青白い光、その光が進んでいくにつれ増え、そのうちに天井一面に広がり、感動の一瞬。まさに神秘的な光景だった。幻想的な雰囲気のままボートは出口に向かった。たった15分くらいだったが、自然が作り出す不思議さに胸を打たれた。

 ホタルというから光がついたり、消えたりして光ると思っていたのに、ずっと光がついたままだった。後でグロウワームはつちぼたる(ハエの仲間)の幼虫で、えさを引き寄せるために青白い光を放つと知り、神秘的な光と思っていたのに何だかがっかりしてしまった。



 

1月24日(土) 隣の子供達

 6軒長屋のアパートの住人は、インド人が1軒、白人が2軒、マオリ人が1軒、そして隣の日本人家族と私達だ。治安がいいのか玄関のドアはどこも開いていて、部屋の中が丸見えだ。また夫婦けんかや、子供をしかったりの声もよく聞こえる。子供達も前の通路で遊んでいて、一度遊びにおいでと声をかけてから、よく遊びに来るようになった。

 隣はニュージーランド人のご主人と日本人の奥さん、子供達は陸君(11歳)、空ちゃん(9歳)、季君(6歳)の5人家族。ニュージーランドへ来てまだ1年と3ヶ月しかならないそうだが、3人とも地元の学校に通い英語もぺらぺら(キーウイの英語は私達が習った英語と少し違うのか、単語がはっきり聞き取れず戸惑うことが多い)。1年少しでここまで話せるなんて、うらやましい限りだ

 お父さんや近所の人、友達と話す時は英語。お母さんと話す時は日本語と自然に言葉を選んでいるようだ。この写真のゲームをしているときも、友達のWesley君には英語、私達には日本語でと・・・頭の中はどうなっているの?と不思議でしかたがない。

 
 今は夏休み中でいつも声が聞こえにぎやかだが、1月28日から新学期が始まると、寂しくなるだろうな。またお母さんも私達に和食の材料をくれたり、お惣菜をくれたりと気にかけてくれ、何かと心強い。



1月28日(水) Onehungaでの生活

 日本を発ってちょうど2週間。こちらの生活にも慣れ、生活パターンも決まってきた。毎日出かけるのは疲れるので1日置きに出かけ、ダウンタウンのビクトリア・マーケットとか、おしゃれな通りのニューマーケットへ行った。オークランドの町は坂が多くそこまでと思っても、坂を登ったり下ったり・・・。おかげで毎日7000〜10000歩、あるき足ががたがただ。

 家にいるときは午前中はごろごろしていて、昼過ぎからランチを兼ねてカフェへ行く。こんな小さな町でもおしゃれなオープンカフェが結構あり、おいしいコーヒーとマフィンやキッシュ、ラザニア、サンドイッチなど種類も多い。



 帰りに中国人の店で、新鮮な野菜や豆腐など買い、スーパーへ寄ってパン、肉、ハム、卵類などを買う。いつも買うものが決まってしまい、献立も同じ物ばかりでイヤになってしまうが仕方がない。一度見かけはおいしそうなウインナーを買ったが、油こくって変な味で食べられなかった。

 魚類もサーモン、タイ(?)、ひらめ(?)などあることはあるが、新鮮には見えずどうも手が出ない。一度マッスル(ムール貝)を買い、白ワインを入れて料理したがまあまあの味だった。いつものことながら、日本人の醤油味に慣れた私達にはつらいことだ。(その後、タイを丸ごと1匹買いオーブンで塩焼きしたら、以外とおいしかった。)

 夕食前、7時から1時間が散歩の時間。日中は暑いがこの時間になると、涼しくなり歩くのにちょうどいい。ご近所から始まって遠くまで行くが、これが結構面白い。

 どの家も庭に大きな木があり、芝生に囲まれゆったりしているが、家はトタン屋根で壁は板。白のペンキを塗ってあり遠目にはきれいで立派に見えるが、近くで見るとちゃちな感じだ。それに庭も通路もいたるところ、木も草も伸び放題、落ち葉も積もり手入れも掃除もしていない感じだ。



2月1日(日) HARU腰痛で医者へ
 29日の散歩から帰ってきたら、HARUが急に腰痛を起こし動けなくなってしまった。20日のデポンポートで急な岡を登ったあたりから腰がだるいと言い出だしたのだが、連日の散歩が悪かったらしい。まる2日間寝たり起きたりしていたが、一向に楽にならないので、酒井さんに連絡し近くのクリニックに連れてもらった。

 クリニックは内科から外科まで全科を診るらしく、そこで手に負えなかったら紹介書を持って病院に行くらしい。医者は女医さんで今までの経過、原因、既往症などを聞き、どこが痛いのか触診したりてきぱきと対応してくれた。結局炎症を起こしていると言うことで、炎症を押さえる薬と痛み止めだけをもらった。診察料49$、薬代33$と医療費は思ったより安かった

 薬を飲んで2時間もすると痛みが取れ、歩けるようになった。この2日間家の中ばかりにいてストレスがたまっていたMINEもやれやれだ。


2月4日(水) HARU針医者へ
 ここ1週間雨ばかりでまるで日本の梅雨の様だ。洗濯物も乾かず、アパートはトタン屋根なので雨音もうるさく、気分まで憂鬱になってしまう。その上HARUの腰痛がよくならず、痛み止めの薬を飲んでいるが、胃が荒れるだけで痛みは相変わらずのようだ。

 オネハンガモールに中国医の看板があり、よく見るとAcupuncture(針治療)やMassage(マッサージ)と書いてあるので、ここならと思い行った(日本でも針治療を受け、その良さを知っていたから)。まず受付でクリニックでもらった診断書を見せ、腰痛が良くならないので針治療をしてほしいといった。

 医者が出てきてわかりやすい英語でいろいろ聞き、説明してくれた。わからない言葉があれば電子辞書で調べながら聞いた。結局腰痛と坐骨神経痛ということで、針を刺したまま電磁波を30分ほど当ててくれた。軽くマッサージをしながらいろいろ話した。東京で2ヶ月間針を教えたとか、開業して30年とか、経験豊かな信頼の置ける先生のようだった。治療費は60$だった。クレジットカードに付帯している海外障害保険を使うつもりだが、針治療は使えるのかだろうか?




2月5日(木) レンタカーを借りる
 
 日本に居るときにインターネットでエイビスのレンタカーを調べたら、1日8000円近くもしたので、南島で2週間だけ借りるつもりでいた。

ところが実際にニュージーランドに来てみると、中小規模のレンタカー会社の料金は、1日20$〜50$。その上走行距離無制限、保険付き、消費税込み、無料AA(日本のJAFのようなもの)緊急故障サービスありと至れり尽せり。

 オネハンガからダウンタウンに出るのに、バス代が2人で往復13.2$かかることを考えると安いし、行動範囲も広がるし・・・など考えて、2月5日から4月6日まで62日間借りることにした。

 レンタカーのパンフレットを集め、その中からよさそうで空港に近い会社に電話で予約し、今日事務所に行き契約した。トヨタのカローラ1500cc、走行距離22万キロ。安いだけあって走行距離は相当なものだが、エンジンは快調。

 
 昼から早速、標高183メートルのワントゥリー・ヒルオークランド・ドメイン、ドメイン内にある博物館ウィンターガーデンなどへ行った。バスでなら何回も乗り換えたり、相当な距離を歩いたりしなければならないところだ。さすが車は有難い。それに日本と同じ左側通行なので運転も楽そうだ。



2月6日(金) The Coromandel半島へ(403キロ)

 車も借りたし初めて遠出をしようと、オークランドから4時間ほどのコロマンデル半島に行った。オークランドからハイウェイ1号線で南下し、2号線に入ると牧草地が多くなってきた。羊?と思って見たがどこもホルスタインの乳牛ばかりで残念だった。

 今日はワイタンギ・デー(先住民族マオリと入植者イギリス人との間で結ばれた条約の記念日)で3連休とあって、車の数も多く1時間で走れるところが2時間もかかってしまった。

 オークランド出発の時は、かんかん照りで暑かったのに、途中から雨が降り始め観光の中心地のフィティアンガは寒いくらいだった。ここはビーチに沿って多くのモーテルがあったがどこも満員で、レストランやカフェも賑わっていた。

 泳ぐわけでもなく、船に乗ったり、つりをして楽しむ他はみんなゆったりと時間を過ごしている様子だった。日本人だったら多分退屈してしまうだろうな。

 泊りがけの人が多いのか、帰りはスムーズに走れた。初めてニュージーランドの地方に出かけたのだが、北島は私達がイメージしていた景色ではなかった。




2月7日(土) Auckland Harbourへ
 
 今日は一日中快晴。ここではよく天気が変わるのでいつも上着と傘を持って出かけるが、今日は陽射しも強くじりじり焼ける感じだ。

 朝から2回目の針に行った。昨日あれだけ運転したのにHARUの腰は快調で、その上今までずっと痛かった腰の骨の痛みもやわらいだそうだ。5年来の痛みがたった2回の針で良くなるなんて驚きだ。中国針の威力はすごいな!

 昼からオークランド市内をドライブした。バスではわからなかった日本食料品店へ行ったり、マウントイーデンパーネル・ロードなど見てまわった。

夕食はハーバーのイタリアン・レストランに行き、停泊しているヨットを見ながら食事を楽しんだ。MINEはビールを注文し、HARUは車の運転があるので水を注文したが、エイビアンの水が10$に驚いてしまった。ビールは6$だったのに・・・。

 




2月8日(日) 野外コンサートに

 今日もオークランド郊外のワイタケレという所へ行った。私達のアパートから40分とかからないのに、鬱蒼とした森林地帯が広がり珍しい動植物が居るそうだ。また143にも及ぶウォーキングトラックがあるので、その1つでも歩こうと思っていたのに、残念ながらまた雨。

 360度見渡せる小高い山の上から見ると、オークランド市内や空港、海岸線やジャングルのような森林地帯がよく見渡せ気持ち良かった。

 夕方から市内のドメインである無料のコンサートに行った。ドメインはオークランドの中心部を見下ろす小高い岡に広がる公園のことで、市民の憩いの場としていろいろな催し物があるらしい。

 この時期毎週土・日曜日にサマー・コンサートが開かれ、この日はクラシックだった。市民達はピクニック気分でワインや食べ物を持ってきて、芝生に寝たり椅子に座ったり、さまざまな格好でコンサートを楽しんでいた。

 MINEは大木を背もたれにしてゆったりと座り、木の下から豊かな枝ぶりを見ながら聞く音楽は夢見ごこちだった。



2月9日(月) Northlandへ(100キロ

 オークランドのハーバーブリッジを渡り、ノースランドにあるワークワースという町まで行った。本当はノースの観光の中心であるファンガレイまで行きたかったのだが、片道4時間もかかり日帰りでは無理なのであきらめた。

 オークランドからハイウエイ1号線を北上すると、海岸線に沿って小さな町が出てくる。ワークワースもそんな小さな町の一つで、インフォでもらった地図を見ながら、1つの入り江に行った。

 どの家も海に向かってヴェランダがあり、庭にはモーターボートやヨットが置かれ、いかにも高級住宅地らしかった。海岸線に沿って遊歩道が続き数人がジョギングをしたり、散歩をしていた。

 そのほかは人影もなくとても静かだった。海に向かったベンチに座りおやつを食べたり、かもめにえさをやったりしてぼんやりしていた。

 


2月11日(水) Rotoruaへ(235キロ)

 4週間過ごしたオネハンガのアパートを出て、温泉とマオリ文化で有名なロトルアへ向かった。ハミルトンまでハイウエイ1号線で南下し、5号線に入ると牧草地が多くなり所々に羊の放牧も見られ、ニュージーランドの風景らしくなってきた。

 ロトルアの町に入ると湯煙が見られ、硫黄の匂いもしてきて温泉地らしくなってきた。まずガバメント・ガーデンズへ行った。ここはイギリス独特のチューダー様式の博物館やスイミングプール等がある広大な庭園できれいな所だった。

 次にポリネシアン・スパに行った。ここは温泉浴場でパブリックとプライベートとあり湖に面した岩風呂もあるらしいが、水着を着ての入浴はイヤなので私達は入らなかった。でも多くの観光客、特に韓国人が集団で大型バスで続々と来ていた。

 今日の宿は日本人経営のテルメ・リゾートにした。庭園付露天岩風呂と言うのが魅力で、モーテルに着くとすぐに露天風呂に行った。日本のような風情は望めないが、1ヶ月ぶりのお風呂は疲れも取れ本当に気持ち良かった。



2月12日(木) Rotorua

 朝から大雨。風も強く外へ出る気もしない。しかたがないのでゆっくり朝風呂に入り、SKY−TVでNHKを見たりしてモーテルでごろごろしていた。

 インターネットに繋ごうとしたが、電話に繋ぐジャックが日本のサイズと合わないので、近くの電気屋に買いに行った。それらしきものを見つけたが、2種類あって電子辞書で単語を調べたがよくわからない。店員に聞いても同じだと言う。こちらの店員はいい加減なので当てにならないが、返品できるので標準と書いてある方を買い、それで繋がりほっとした。

 やっと小雨になったので昼からファカレワレワ地熱地帯に行った。ここにはマオリの村がありマオリコンサートを見た。鼻と鼻をすり合わせての挨拶や、威嚇のため男の人がかっと目を開け、下をべろんと出すしぐさは面白かった。いろいろな文化があるものだ。

 その後、国鳥のキーウイ(夜行性なので真っ暗な中で)を見たり、温泉地域を見学した。

 


2月13日(金) Rotorua→Taupo→Napier(229キロ)

 2泊したロトルアを出て2時間でタウポ着いた。ニュージーランド最大の湖、タウポ湖に面した町で、ロトルアのように観光地化しておらず落ち着いた雰囲気の町だった。

 ここではホカ・フォールと言う滝を見に行った。タウポ湖から流れ出たワイトカ川の川幅が一気に広がるところだが、その水量とスピード感は圧倒的だった。青く澄んだ水の色が白い泡になって滝壷に流れていく様子を見ていると、吸い込まれそうで怖かった。



 タウポから2時間ほどでネイピアに着いた。ここは東海岸ホークス・ベイの中心都市で木材、羊毛の積み出し港で日本へのパルプ供給基地になっているらしい。ネピアティッシュぺーパーの名前の由来がここと知りなるほどと思った。

 またこの町には、1930年代初めのアールデコ様式の建物が多く残り、その町並みがきれいとガイドブックに書いてあったので、メインストリートに沿って見てまわった。

 昔の建物が靴屋やホテルとしてそのまま使われており、アールデコ・ツアーと称してガイドさんが案内していたが、私達はあまり興味がなかった。メインの建物だけ見て隣町のヘイスティングに泊まった。このあたりは、豊かな土地らしくワイナリーもあちこちにみられた。

 


2月14日(土) Hastings→Wellington→Palmerston North(454キロ)

 昨夜から強風と大雨。朝になって雨はやんだが一日中強風の中、時速80〜100キロで走るのはとても怖い。車から外へ出ると体が吹き飛ばされそうだ

 ウェリントンまで大きな町はなく、牧草地がどこまでも続きあちこちに何か白いものが点々と見える。スピードを落としてよく見ると羊達だ。人口380万人に羊の数は5000万頭近くと言うからすごいものだ。

 4時ごろ首都のウェリントンに到着。いつもなら町の入口にモーテルがありすぐに見つかるのだが、この町は海岸線に沿って細長く伸びており、道路も入り組んでいてその上一方通行も多く、地図を見ても全くわからない。

 1時間ほど探しまわったがわからず、仕方がないので町はずれのモーテルに飛び込んだ。1軒目空部屋なしで断られた。他のモーテルを紹介してと言うと、ウェリントンはもともと宿泊所が少なく、今日は土曜日でどこも満員。ここから2時間のパーマストン・ノースへ行けと言う返事。ええっ、そんな馬鹿な・・・・。でもまだ何とかなるだろうと次のモーテルへ。

 部屋があるだろうと期待したがそこも同じ返事。雨も降り出しだんだん寒く暗くなってくる中、どうしようか・・・・?と思い巡らす。そう言えば前にもこんなことがあったっけ!土曜日は要注意と思ったが時すでに遅し。その後3〜4軒のモーテルを見たがどこも「NO VACANCY]。仕方なく言われたとおりここから143キロ離れたパーマストン・ノースまで戻ることにした。

 真っ暗な中小さな町をいくつか通り過ぎ、何も見えない田舎道や森を走りぬけ夜の9時ごろやっと比較的大きな町に着き、VACANCYの看板を見つけほっとした。そこがパーマストン・ノースだった。

 さあ、これからレストラン探しだと外へ出た。ところがどこにもそれらしき灯りがない。やっと見つけたのがチャイニーズのテイク・アウェイのお店。残り物しかないと言われたが、それでも良いと5$で全部を買ってモーテルへ帰った。あーあ、疲れ切った惨めな一日だった。


2月15日(日) Wellingtonで嵐にあう
 今日も朝から雨。それも中途半端な雨ではなく強風交じりの傘も飛ばされそうな雨だ。そんな中、また2時間かかりウェリントンに戻った。ウェリントンに近づくにつれ風もいっそう強くなり、木々も大きくゆれ海の波も荒れ狂っているようだった。

 明日ここからフェリーでピクトン(南島)に行くので、昼過ぎ早々とフェリー乗り場に近いモーテルに飛び込んだ。モーテルのおじさんは不思議そうな顔をしていたが、昨夜モーテル探しに懲りたのでモーテルが決まって安心した。部屋に居てもしかたがないので、近くのモールに行ったが日曜日でほとんどの店が休みで、人出も少なくゴーストタウンのようだった。

 ウェリントンに居ながら何も観光をしていないので(特に見るようなところもないが)、国立博物館・ティパパに行った。1998年に建てられたと言うだけあって、モダンで明るく天井も吹き抜けになっているのであまり疲れなかった。

 博物館を出ると歩けないほど風も強く、車に乗っても車が大きく揺れ怖かった。駐車場のおじさんに「Typhoon(台風)?」と聞くと,「A storm(嵐)」と教えてくれた。帰り道で木の枝が折れたり、水があふれたりしてパトカーが出ていた。急に明日のフェリーのことが気になり、モーテルでTVを見たが何も情報は得られなかった。


2月16日(月) えっ、フェリー欠航!次の予約も取れない?
 昨日からの暴風雨は朝になっても一向に収まらず、外へ出るのも怖いくらいだったが、9時半のフェリーに間に合うように早めに行った。途中崖崩れがあったり、道路が冠水しのろのろ運転だったが何とか間に合った。

 フェリー乗り場に多くの人が居たので、フェリーが出ていると思い、窓口でチケットに変えようとすると「ストームのために、今日の便はキャンセル」と言われた。ええっ、そんな!と思い「明日の便を予約したい」と言うと、「ここでは出来ない。フリーダイヤルに電話して再予約してください」とフリーダイヤルの番号を指した。どうしてここで出来ないの?と詰め寄ったが忙しいのか全く相手にしてくれない。

 仕方なく電話を探したがどこも長蛇の列。離れた所へ行き電話を空くのを待ったが、前の人も隣の人も皆同じフリーダイヤルにかけているが、かからないらしくあきらめ顔。MINEも電話したがすぐに切れてしまう。

 こんなことをしていては今夜も泊まれず、明日のフェリーにも乗れない・・・と、元のモーテルへ戻ろうと途中まで行ったが道路が冠水し通行止めで行けず。仕方なく他のモーテルへ飛び込んだ。年配のおばさんが出てきて、高い部屋なら1つだけ空いている。昨日の午後からフェリーが欠航しフェリー待ちの客でどこも満員。私達もそうで明日のフェリーの予約を取るのに困っている言うと、フリーダイヤルはなかなか繋がらないので、旅行代理店に行けばいいと教えてくれた。

 早速代理店に行ったがうちではやってないとどこも断られ、やっと3軒目の代理店で0Kの返事。やれやれこれで乗れると安心したが、同じようにフリーダイヤルに何回も電話をかけ繋がらないとぶつぶつ。これでは私達と同じではないか!代理店だから別の方法で予約できると思ったのに・・・。もうがっくり!

 もうこうなったら長期作戦で行くしかないと、大きなモールに入り落ち着いてから、公衆電話の前に座り何十回も電話をかけまくった。もちろん繋がらず、また場所を変えては同じことをした。そのうちにだんだん腹が立ってきた。昨日の午後から今日の欠航された客が全員電話をかけているとしたら、そう簡単に繋がるはずはない。電話だけの対応しかしていないのか?いったいフェリー会社は何をしているのだ?!

 こんなことをしていたら、いつになったら予約が取れるかわからないし、様子を見ようとまたフェリー乗り場に戻った。(この頃には暴風雨も少しは収まってきていた。)フェリー乗り場に着くと信じられないことに、フェリーが出ているではないか!窓口に並ぶと朝対応してくれたお姉さんが今日の分は満員だが、明日の8時の分はあるという。フリーダイヤルに電話したかと聞くので、何百回も電話したがぜんぜん繋がらない!と怖い顔で言ってやった。本当はもっともっと文句を言いたかったが、MINEの英語力ではこれが精一杯だった。

 やっと予約が取れ安心したのもつかの間、次はレンタカーの対応だ。レンタカーを北島のオークランドで借りここウェリントンで返すことになっていたのだが、一日伸びたのでその連絡と返却の方法だ。電話で話すのは難しいので、レンタカー屋の事務所に直接行き、明日ここへ返しに来るのでフェリー乗り場まで送ってほしいこと、南島のピクトンで次の車を借りるが、そこと連絡がついているか確認した。

 すべて終わり時計を見ると5時過ぎだった。あーあ、暴雨風雨の中朝の7時過ぎからはらはら、どきどきし走り回った長ーい一日だった。


2月17日(火) やっとWellington脱出
 約束の7時20分より5分遅れで、レンタカー屋のお兄さんは来てフェリー乗り場まで送ってくれた。こっちの人は約束を守らないと聞いていたので不安だったが、この人は大丈夫だった。もっとも私達も昨日、遅れたら大変だとか、そのことが心配だ・・・とかさんざん彼にプレッシャーをかけておいたが・・・・。

 8時リンクスという高速フェリーでウェリントンを出発。暴風雨とモーテル探しに悩まされ、残念ながらいい思い出がないウェリントンだった。街の様子もあまり知らないので、南島の帰りにまたもう一度寄るので、そのときに時間があれば、観光することにしよう。

 


 

 

 

 

 

 

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