2月15日(金) 家を出発→関空近くのホテルに前泊

 午前中掃除と最後の荷物点検。午後ガスの元栓締めや電気のコンセント、戸締りの確認、ゴミ出しを終えて家を出た。実際の出発は明日だが、この1週間雪が降ることが多く山道が凍結すると怖いので、臨空タウンのホテルに前泊することにした。昨日急遽インターネットでさがすと、ビジネスホテル並み料金のワシントンホテルを見つけ予約した。朝食はついてなかったが、部屋で無料のインターネットも出来快適だった。


2月16日(土) 関空発10:30→マニラ着13:40  マニラ発15:20→セブ着16:30 語学学校へ

 6時30分起床。7時40分ホテル発のバスで関空まで行く。外を見ると曇り空で冷たそうな風も吹きとても寒そうだった。多分和歌山の山中だと道が凍結しているだろう。前泊してよかったと思った。空港で朝食、いつものことながら高くてまずい。
フィリピン・エアーは南ウイングから出発するので南出発口に行くと、すでに多くの人が並んでいてびっくりした。春休みなのか大学生が多くにぎやかだった。

 予定より30分ほど遅れて離陸。機内は座席も狭く満席だったが、4時間あまりの飛行時間だからあまり疲れなかった。マニラ空港では国際線に到着し、セブ行きの国内線に乗り継ぐのだが、CPILS(語学学校)からもらったパンフレットに詳しく書いてあったので、迷うこともなくすっと移動できた。
ただ空港使用税はペソでしか払えないので、両替してなかった私たちは、あわててATMを探し国際キャッシュカードで出金した。治安もあまりよさそうでないので気をつけた。

 予定より30分遅れでセブ到着。さんさんと輝く太陽を期待していたのに、曇り空で雨も少し降り残念。気温は29度らしいが思ったほど暑くない。CPILS(シピルス)の人に出迎えられ、マイクロバスで学校まで行った。出迎えてくれたのは日本人ガイダンス担当のシロウさん。出迎えられたのは私たち2人のほかに4人の若者達。そのうち女性は1人だけ。みんなの緊張をほぐすようにシロウさんはしゃべり続ける。

 シピルスは韓国人経営の語学学校で、今現在の生徒数は韓国人500人くらいで、兵役の関係で25歳から30歳くらいの若者が一番多い。日本人は20歳前半の学生が多く70人くらいで、リタイア後の60歳以上のシニアが30人程いるらしい。先生の数は100人くらい。学生が休みになったので、今はどんどん増えているそうだ。

 また昨年の秋から学校内では母国語禁止になり、食堂、カフェテリア、ガイダンスルーム(日本人担当スタッフのいる部屋)以外では、英語を話すというルールになったらしい。見回りの先生がいて、1、2回目訓告書、3回目退学処分と厳しそうだ。

 30分後学校に到着。すでに多くの生徒が食堂で夕食中。長テーブルと椅子がいくつも並び、飛び交う韓国語と英語や日本語の大声と、何とも言えない匂いに圧倒された。韓国人経営だけあってメニューはビビンバとキムチとフルーツだった。ブッフェスタイルなので私達も見よう見まねで大きいお皿を持ちご飯をいれ、おかずを載せ席を探した。生徒達は若く食欲も旺盛で大きな声でしゃべりながら食べている。席も狭く人数も多いので落ち着いて食べる雰囲気ではなく急いで食べた。ここで1ヶ月も食事をするなんて耐えられるかなあと感じた。

 夕食後学校内を簡単に案内してもらい、ディプロマットホテル迄送ってもらった。もう8時を過ぎていた。月曜日から始まる学生生活に期待半分、不安半分であったがおおいに楽しもうと思った。




2月17日(日) 近くのロビンソンモールへ
 
 朝、鶏の鳴き声と教会のカラン〜♪カラン〜♪の鐘の音で目覚めた。朝食を食べに学校へ行こうとマイクロバスを待ったが、ホテルのガードマンが言うにはすでに出発したらしい。仕方なく歩いて5分くらいのロビンソンモールへ行くことにした。

 昨日シロウさんに、日本人はみんな金持ちと思われているので夜は出歩かないこと、昼間でもラフな格好で貴重品は持たないようにと言われたので十分注意して歩いた。ホテル前の道も歩道も穴ぼこだらけのがたがたで、ゴミが捨ててあり汚かった。銀行、レストラン、ちょっとした店の入り口には銃を持ったガードマン2〜3人が監視していてものものしかった。

 ロビンソンモールはオスメニャ・サークルに面していて、多くの地元民でにぎわっていた。私たちの姿を見ると4〜5人の子供が走ってきて、食べるまねをして物乞いした。また陸橋の上や階段にはそこで寝泊りしている乞食たちがいて、フィリピンの貧しさを目の前にし暗い気持ちになった。入り口のガードマンにデイパックを開けて見せ、形ばかりの荷物チェックをされモールへ入った。





 モール内でまず最初にコーヒーショップを見つけ、トースト、ベーコンエッグ、コーヒー付きのアメリカンブレックファーストを注文した。味はまあまあで値段は1人130ペソ(約350円)。その後地下のスーパーマーケットへ行き、1,5リットルの水(95円)、350ccの缶ビール(65円)、オレンジ1個(48円)、バナナ5〜6本(45円)等を買った。その後モール内の店をあちこち見て回ったが、庶民向けのものばかりでずいぶん安かった。

 特に見て回る所もないのでホテルに戻りゆっくりした。夕方マイクロバスで夕食を食べに学校まで行った。バスは近道をするのか横道に入り、スラムのような所を通り抜けた。トタン屋根の掘っ立て小屋のようなところに、こんなにと思うくらい多くの人々が住んでいた。
家の前で火を炊いてご飯を食べたり、井戸水を運んだり、暗い1部屋に数人が集まりTVを見ていたりと、私たちが子供時代を過ごした昭和30年くらいの感じだった。またトラックで運ばれたゴミが捨てられ、その隣で屋台の店があり、全体的に汚く衛生状態も悪いと感じた。
 こんな様子だと学校の近くを歩いたり、ホテル周りを自由に散歩出来ない。暇な時にはどのように時間を潰せばいいのだろうと少し不安になった。





2月18日(月) 学校が始まる(レベル分けテストとオリエンテーション)

 7時30分起床。8時発のバスで学校へ行った。バスには日本人のシニア4〜5人が乗っていて、いろいろ情報をもらった。69歳のじぃじぃはリピーターでもう何回も来ているらしく、学校のことをよく知っていて頼りになりそうだった。2人の女性は関東出身のおば様で今週で終わりらしい。皆さんは私たちよりも年上でなんとなく安心した。

 10時から新入生レベル分けテストがあった。リスニング、リーディングがそれぞれ25分ずつで、隣の若者がスラスラと答えを書いていくのであせった。テストなんて何十年ぶりだろう。錆付いた頭がなかなか動かず鉛筆のすべりも悪かった。その後2人組でスピーキングテストがあり、簡単な自己紹介は出来たが、写真を見てそれを英語で説明するのが難しかった。ペアのユカリは英文科卒だが、10年もたつので彼女も苦戦していた。

     
      シピルス屋上から見た風景                 シピルス周辺の家々                    前の道路を走るジプニー



 昼食後、1時からオリエンテーションがあった。午前中はすべて英語で説明されたが、午後は日本人担当のヨシエさんが、学校のシステム、授業の事など詳しく説明してくれたが、あまりにも多すぎ頭に入らなかった。ただ先生がいやだったら簡単に変えられると聞きいいシステムだと思った。その後全員が集まった。土曜日に関西から来たのは私たち6人だけだったが、昨日関東から12人、ソウルから60人来たので総勢78人。これが同じ週に入学したバッジメートで、今後ともに行動することが多いそうだ。

 いよいよレベル分けテストの発表。最高が6レベルで各レベルでもH,M,Lと分けられ、ほとんどが1〜3レベルだった。MINEは2Hで1:1、1:4、1:8の授業を受けることになった。月曜日から金曜日まで毎日3時限で、1時限の授業が1時間40分もありずいぶん長いなあと思った。

 その後ヨシエさんとシロウさんの案内で、バッジメート全員でアヤラ・センターへ両替に行った。ここはセブ最新の巨大ショッピングセンターで、有名ブランド店や高級デパート、映画館、スポーツジム等があり広くて迷いそうだった。シピルスやホテル周辺のスラム街と比べるとこの格差に愕然とした。両替後自由解散となり、レストランに入り初めてフィリピン料理を味わった。えびやイカを炭火で焼いたイニハウと中華風焼きそばのバンシット、サヨーテ・トップスと言う野菜の炒め物にビール。味も美味しく値段も1900円で満足した。




2月19日(火) 授業始まる(1:4の授業について)

 授業前、私たちのアドバイザーであるアンジーに各教室を案内してもらった。シピルスは元ホテルを改造して学校にしたものらしく、1・2階が教室や食堂、コンピューター室、自習室、事務室などで3階以上が寮になっている。教室の数はどのくらいあるか分からないが、特に1:1の教室は廊下の両側にずらっと並んでいるので、どこが自分の教室か分かりにくく迷いそうだ。

 8時30分から1時限目の1:4の授業が始まった。先生は教師生活4年目のアン。クラスメートは3人とも韓国人で、みんな20歳半ば。簡単な自己紹介をすると、それについてアンやクラスメートも質問してくる。私とフン(写真左端)は新入生だが、エディスとロビンは3ヶ月近くになるらしくアンともかなり親しく、みんな楽しそうでリラックスした感じだ。

 授業はテキストを使って進むが、読んだり、聞いたり、話したりと退屈する暇もなく、アンの授業の進め方も上手で1時間40分が短く感じた。ただ韓国人の発音が独特で、耳を澄ましてじっと聞いてもなかなか分からず苦労した。


 2時50分に3時限目の授業が終わり、タクシーでアヤラ・センターへ買い物に行った。フィリピンの庶民の足はジプニー(乗り合いバス)とトライシクル(オートバイにサイドカーを付けた3輪の乗り物)だが、外国人は一番安全なタクシーを使っているようだ。初乗り料金が30ペソ(80円)と安く、市内だと50〜70ペソくらいでどこでも行ける。ただメーターを使わないタクシーが多いので、必ずメーターを使いように言うことと、ドアをロックしたほうが良いそうだ。(信号待ちで強盗に狙われるから?)




2月20日(水) 1:8の授業について 

 2時限目(10:30〜12:10)は1:8の授業で、先生は英国人のポール。本来生徒は8人だが2人が卒業したらしく6人だった。日本人はイワン(大学3回生)と私だけで後の4人は韓国人だ。ポールの発音は声がこもって聞き取りにくく、おまけに早口なので何を言ってるのかわからず、初めのほうはあまり面白くなく授業も長く感じた。

 またフィリピン人の先生だと明るく陽気で、わかるまで何回も言い回しを変えたり丁寧に説明してくれたが、ポールは特に何も言わなかった。授業もTOEICのテストを意識してか文法が中心で、少しでも話せるようになりたい私には面白くなかった。クラスを変えようかとも思ったが、みんなに聞くと1:8の授業は人数も多いし、そんなものだと言われしばらく様子を見ることにした。

 放課後夕食までの3時間、自習室で宿題と1:8の授業の予習をした。分からない単語を1つ1つ電子辞書で調べ明日の授業に備えた。単語の意味さえわかれば文法もそんなに難しくなかった。それにしても老眼で小さい字を読むのに時間がかかり、大変疲れた。
 夕食後バスでホテルに帰ったのは7時過ぎだった。久しぶりの勉強は疲れたが、学生時代と違いなぜか楽しく充実感を味わった。

                        

                                                                                                              

2月22日(金) 金曜日の授業とフィリピンの洗礼を受けたこと
 金曜日は50分授業の午前中3時限だ。どの授業もゲームをしたり歌を歌ったりして楽しく、あっという間に終わってしまう。面白くなかった1:8の授業も予習をしてからわかるようになり、ポールの質問にも答えられるようになった。またクラスメートのミーシャ(韓国人)とも仲良くなり、彼女はわからなかったらいつも助け船を出してくれる。授業中電子辞書で英単語を調べていたら、彼女ものぞいてきたので日本語だと言うと、日本語は読めるよと言ったので驚いた。東京に半年間留学し、シピルスが終われば次はロンドンに3ヶ月間行くらしい。1:4のクラスメートのエディスやフンもシピルスで3〜4ヶ月間勉強し、その後アメリカやオーストラリアに3ヶ月間行くと言っていた。韓国では日本以上に英語が重要らしい。

 昼からタクシーでSMモールへ行った。本屋で絵葉書を買い、切手を買いたいと言うとモールの外のトラベル・センターにあると言うのでそこへ行った。そこは旅行案内所で、窓口で日本への葉書用切手1枚の値段を聞くと1枚32ペソと書いてくれた。フィリピンの値段の割には高いなと思ったがあまり気にもせず、15枚必要だから32ペソ×15枚で480ペソ。500ペソを出しておつりは20ペソと頭の中で計算し500ペソを出した。しばらくして切手とおつり20ペソを渡され切手の枚数を数えると確かに15枚あった。なかなかレシートをくれなかったので、催促してレシートをもらいよく確かめもせずそのままポケットに入れた。

 ホテルに帰り絵葉書に切手を貼ろうとしたら、なんと30ペソの切手だった。あのおばさんは32ペソと書いたのにおかしいなと思い、レシートを見ると30ペソ、16枚分で480ペソで合計は合っていた。しかし実際には切手は15枚しかもらってないので、切手1枚分30ペソ損をしたことになる。どうしてこんなだまし方をするのと最初は腹が立ったが、たった30ペソ(フィリピン人にはそこそこのお金)ごまかすために、こんな手の込んだことをするのかとおかしくなってきた。

 その後ガイドブックで調べると、日本までの葉書は13ペソとあまりにも安かった。シピルスのヨシエさんに聞くと、定形外の絵葉書だからその位するでしょうと言われ、悲しいけれどちょっと位のごまかしはよくあること。あまりカリカリしないでフィリピンを楽しんでねと言われた。




2月24日(日) 日帰り旅行(アイランド・ホッピングに)
 今日は学校からマイクロバス4台でセブ市内から橋を渡ってリゾート地であるマクタン島に行った。そこから小船でバンカーボートに乗り移り50分ほどでオランゴ・アイランドに着き、海に突き出したレストランに行った。みんなで60名位の大所帯で初めはよそよそしかったが、自己紹介したり一緒に写真を撮ったりして、食事時にはかなり親しくなった。韓国人と思い英語で話しかけると日本人ですと言われたり、日本語を勉強している台湾人と英語交じりの日本語を話したり、若者の中に混じり気も若くなり、とても楽しかった。
         
      バンカーボート                              海上レストラン                    バーベキューを待つ


 食事が出来るまでの間、若者たちはシュノーケリングを楽しんでいたが、私たちはレストランの人と話したり、料理しているところを見たり写真を撮ったりした。フィリピン人は写真が大好きで、カメラを構えるととてもいい顔をしてポーズをとってくれる。中には鼻歌交じりで踊りだす人もいた。昼食は採りたてのエビやイカ、かに、らぷらぷの魚などが大皿に山盛りされお腹がいっぱいになった。(この後、HARUは2週間、MINEは1週間下痢に悩まされた。)

 昼食後はまたバンカーボートに乗り、マクタン島に近いヒルトワン島に行った。沿岸で船を止めここでまたシュノーケリングをした。今度はMINEもシュノーケリングを楽しんだが、海流が早く流されるので必死で泳がなければならず、ゆっくり魚を見ている暇はなかった。帰りのマイクロバスでは疲れたのか眠ってしまい、気がついたら学校だった。



        
       素潜りの得意な少年                     レストランのスタッフ                   イカの揚げ物調理中




2月27日(水) 1:1の授業について  
 3時限目(1:10〜2:50)は1:1の授業で、先生は先週までジェロと言った。彼女は21歳でシピルスで働き始めて2年目。今まで電話の交換手をしていたが、耳が悪くなるし夜に働くので健康に悪いといって、シピルスの先生になったそうだ。1日目の授業はお互いに自己紹介をし、主に私が一方的にしゃべって終わった。2日目は話すこともあまりなく、用意してきたプリントを見ながら質問し、私が答えると言うパターンで内容も深まらず、あくびをしたりシーンとなることが多かった。3日目はプールサイドで授業を受けたが、適当に教えている感じで熱意は感じられず、時間が非常に長く感じ15分も早く授業が終わった。こんな先生では面白くもないのでヨシエさんに言って先生を変えてもらった。

 2人目の先生はグレイシアで26歳、6ヶ月の男の子がいるお母さん先生だった。彼女は最初から何を中心に勉強したいのか聞いてくれた。私は文法よりも日常生活で使う英会話を勉強したいことと、間違いを直してほしいと頼んだ。グレイシアは授業ごとに話題を変え、話しやすい場面設定をして、詳しくいろいろな質問をしてくれた。質問が難しくて答えられないと、具体例をあげて質問し、答えるまでまってくれた。話題は旅行の話から日本の習慣、生活、教育、最後には自分たちの生き方までに話が膨らんだ。今、考えてもかなり内容の濃い話で、つたない英語でよく通じたと不思議だが、グレイシアは私の話をじっと聞き私の言いたいことを理解してくれた。宿題も多かったが、毎日の授業が楽しく有意義だった。英語の勉強以上にいろいろなことを話し、お互いに心が通じたことが嬉しかった。

 放課後、日本人シニアのタカさんに日本人がいる旅行会社に案内してもらい、あと4回ある休みをどのように過ごせばいいのか相談に乗ってもらった。その結果ボホール島への日帰り旅行、セブ島にあるモアルボアルへのバス旅行と決まった。月曜日から金曜日までは勉強、土・日曜日は遊びとメリハリのある生活を送れそうだ。
 帰りにタカさんが住んでいる寮を見せてもらった。私達の泊まっているディプロマットホテルよりは狭いが、思った以上に明るくきれいだった。ただ冷蔵庫がないのが残念だった。寮に泊まれば多くの学生と友達になれるし、いちいちマイクロバスで移動しなくていいので便利だが、ホテルのほうが気分転換できるし・・・。もし次回来るとした悩むところだ。




2月29日(金) マクタン島の日本人宅訪問
 
金曜日は午前中授業で、昼からじぃじぃにマクタン島に住むIさん宅に連れてもらった。一緒に行ったのはタカさん、Hさんと私達2人のみんなシピルスのシニアばかりだ。Iさん夫婦はともに53歳でまだ若いが、早期リタイアされ4年前からマクタンに住んでいる。ご主人は元船乗りとかで真っ黒に日焼けされ精悍な感じだ。今は近所の子供達にバスケットボールを教えているらしい。

 Iさん曰く、この国では貧しい者がお金持ちに扶助されて当たり前。だから日本人から少しくらいお金や物をもらっても有り難いとも思わず、一度援助すると次の援助も期待し好意が仇になってしまう。多くの日本人シニアが若いフィリピン女性と結婚し、こちらに住んでいるが、家は奥さんの名義になり、いつの間にか奥さんの親戚が住み着いてしまう。日本人の年金でフィリピン人の家族の生活を見ているようなもの。
 
 また主人が死んだ後も若いフィリピン人の奥さんに遺族年金が出る。その額はフィリピンでは社長クラスの給料くらいになり、一生遊んで暮らせるそうだ。こんなことはおかしいと盛んにIさんは言った。実際アパートの屋上から見ると、日本人が建てた立派な家がたくさん見えた。これだけの範囲でも十軒近くあったのだから、フィリピン全体だと相当数になるだろう。
 その後気をつけてみていると、日本人シニアだけでなく、外国人シニアと若いフィリピン女性のカップルもよく見かけた。





3月1日(土) セブ市内観光
 本格的な夏になったのかだんだん暑くなって来た。でも日差しはきついが湿度が低いので案外過ごしやすい。昼からシピルスが主催する市内観光に参加した。参加者はみんなで16名でシピルスのスタッフ2名とバディ(シピルスに遊びに来ている大学生)4名が案内してくれた。フィリピン人はみんな明るく、表情も生き生きしているので一緒にいるととても楽しい。その上シニアは私達2人だけなので、何かと気を使ってくれる。シピルス近くのフィリピン最古のサンペドロ要塞やマゼラン・クロス、サント・ニーニョー教会等を見て回り、最後に高級住宅街から市内を見渡した。

 セブ市街は海に近い昔ながらのダウン・タウンと山の手のアップ・タウンとに大きく二分される。シピルスやホテルはダウン・タウンにありいわゆる下級階層の人が住んでいる。一方アップ・タウンは、緑に包まれた高級住宅地で裕福な中国人が多く住み、高級ホテルや洗練されたレストラン、アヤラ・センターなどがある。こんな風にはっきり分かれている街は初めてだった。
 5時ごろシピルスに帰り、タクシーでSMモールにいった。タクシーの中で何の気なしにFM放送を聞いていたら、急に英語の発音がはっきりと聞こえ驚いた。セブに来てちょうど2週間、英語の耳が出来てきたのだろう。嬉しかった。


        
             サンペドロ要塞                      スタッフやバディと                  アップ・タウンから見るセブ市街





3月2日(日) ボホール島観光
 朝7時、セブ市のピア4から高速艇に乗り、2時間でボホール島のタグビラランに着いた。ボホール島は人口100万人で7000以上あるフィリピンの島でも10番目に大きな島だそうだ。船着場にはガイドのノーリンさんとドライバーが待っていてくれた。早速海沿いに走り最初の観光地、血盟記念碑とバクラヨン教会を訪れた。ボホール島はセブ島のような都会ではないので、緑も多くバナナやヤシの木々の間に昔風の高床式の家も見られ, のんびりした感じでほっとした。

 次に世界で一番小さなメガネザルのターシャを見に行った。体長20〜30センチのとても小さなもので、夜行性なのか木の上でじっとしていたがきょとんとした目がかわいかった。寝ているように見えるのに串に刺したイナゴを目の前に出すと、さっと手を伸ばしえさを食べるのに驚いた。


                     ボホールの海岸                      高床式の家                       ターシャ


 次にロボック川の川下りをした。ロボック川は川幅が広く両岸に熱帯特有のヤシの木を見ながら、船はゆっくり進んだ。船内ではビュッフェスタイルの昼食が出され、生演奏を聞きながら食事も楽しんだ。途中両岸にある家の子供達が、高いヤシの木の上から川に飛び込んだり、中州のようなところで近くの小・中学生のマンドリン演奏が披露され、みんなで飛び入り参加したり、結構楽しかった。帰りの船内ではみんなが大いに盛り上がり、歌ったりダンスしたり大騒ぎだった。

 船から下りて島の中央にあるチョコレート・ヒルを目指した。ここは高さ30〜40mの円錐形の小丘が約100個、地平線まで続くという独特の景観で、4月〜6月の乾期には緑色がチョコレート色に変色といわれている。確かに展望台から見下ろすと、はるかかなたまで小丘が続く様は何とも言えず幻想的だった。途中で雨が降り出しそうで、あわててタクシーに乗り帰った。



        
      ロボック川下り                        地元の小・中学生の演奏                   チョコレート・ヒル   





3月7日(金) HARUのクラスメイト達と飲み会
 今日はもう金曜日。1週間が早く感じる。シピルでも友人が増えてきてますます学校も楽しくなってきたが、授業の方は少し中だるみ気味だ。夕方からHARUの1:4の先生マークと、クラスメイト3人の仲間に入れてもらい飲み会に行った。韓国人は飲み会が大好きでよくみんなで飲みに行ったり、食べに行ったりしているようだ。授業でもどこのレストランが安くて美味しいとかよく話題になるし、月曜日の1時限目の授業は二日酔いで寝ているクラスメイトもいるほどだ。

 HARUの先生のマークはとてもユニークで楽しい人だ。大きな声でいつも冗談を言いみんなを笑わせるが、飲んでいても英語のミスは見逃さずチェックを入れる。何回も大きな声で同じ英文を言ってくれるので、自然に覚えてしまうようだ。また、クラスメイトのルーシーはとても意欲的で、わからない単語があると電子辞書で調べながら英語を話す。みんなで飲んだり食べたりしているうちに、適度に酔いも廻りいっそう会話も弾むが、みんなブロークンの英語だ。

 二次会はマークの案内で屋外のバーに行った。(普通のコースだと男性はビキニバー、女性はオカマバーに行くそうだが、私達に遠慮したのかその話は出なかった。)生演奏もあり雰囲気はなかなかよかったが、トイレが外にあり水洗ではないのでルーシーがギャアギャア騒いでいた。10時ごろに切り上げたが、楽しくもあり話疲れた飲み会だった。



       
       フィリピンレストランで                   HARUの先生、マークと                    韓国人はよく飲む


  

3月9日(日) モアルボアルへバス旅行
 マクタン島のIさんにモアルボアルへの行き方を教えてもらい、9時前ホテルを出てタクシーでサウス・バスターミナルまで行った。タクシーを降りると男の人が2〜3人集まってきたので、モアルボアルと言うとあのバスだとジェスチャーで教えてくれた。バスはおんぼろでクーラーなし。かろうじて座れたがすでに満員で、食べ物や飲み物を売る人が次々に乗り込んで来るので、いっそう暑くかんじた。 

 発車時刻、ルート、バス代も何もわからないがモアルボアルに行くことだけは確かで、じっと座って待っていた。運転手が来て何も言わずにバスは出た。セブ市内はバス停でよく止まったが、郊外に出ると主な町だけしかバスは止まらなかった。どの町を見ても人、人、人であふれていてごちゃごちゃしていた。日曜日なので教会に行く人が多かった。クーラーがないので窓を全開にし、排気ガス、土ぼこり、車の騒音の中をバスは走り続けた。バス代はたったの50ペソだった。

 2時間30分後目的地のモアルボアルに着いた。ガイドブックによると、セブ島西岸唯一のリゾートエリアで、ダイビングサービスやゲストハウスが軒を連ねているとあり、リゾートエリアのあるパナグサマ・ビーチまでトライシクルに乗った。料金は地元の人は8ペソなので、しっかり交渉して2人で20ペソで乗った。  

 ビーチ沿いにレストランや店があり、ひなびた感じのリゾート地でのんびり出来た。気温は30度だったが風が涼しく、海は澄んでいてとても綺麗でぼんやりとダイビングしている人を見ていた。派手ではないが小奇麗なホテルやロッジがあり、ヨーロッパ人のダイバーが多そうだった。帰りにバス待ちの時間に市場をのぞいたが、買いたいものは何もなかった。




          トライシクル                   モアルボアルのパナグサマ・ビーチ              モアルボアルの市場




3月12日(水) 最後の授業
 本来は金曜日が終了式だが、私達はマニラへ寄るため早く切り上げるので今日が最後の授業となった。1;4、1:8の授業でも先生が今日が最後の授業だとクラスメイトに紹介してくれた。今迄は見送る側だったが、今回は去るほうで別れがたいような複雑な気持ちだった。1:1の先生は別れを惜しんでわざわざ手紙までくれとても嬉しかった。また日本人担当のヨシエさんやシロウさんにもお別れに行き、修了証書をいただいた。 
 たった1ヶ月弱の英語学校だったが、多くのことを学びとても楽しかった。英語に関してはやっと耳が慣れてきた頃で、3〜4ヶ月滞在すればもっと物になるだろう。日本人シニアのリピーターが多いのも納得できる。私達ももし機会があれば次は最低でも4ヶ月は滞在したいと思った。




3月13日(木) マニラ ローズプリンセスホームへ
 朝9時30分、ホテルをチェックアウトしセブ空港までタクシーで行く。セブからマニラまで飛行機で約1時間10分、予定通り1時前マニラ空港に到着。ローズプリンセスホームはラグナ州のカブヤオ市にあり、空港から車で約1時間。ガイドブックにはマニラ空港ではクーポンタクシーを利用するようにとあったが、セブではタクシーが安く案外安全だったのでとりあえずタクシー乗り場に行った。ところがカブヤオ市まで遠いので、タクシーでは行けないらしい。仕方なくクーポンタクシーのカウンターへ戻り、行き先を告げると値段の書いたチケットをくれた。見るとなんと1310ペソもする。セブでは空港迄30分でたった150ペソだったのに。外国人用だから高いのだろう。その代わりタクシーは綺麗でドライバーは英語を話せる。建造中の高速道路を走って約1時間後郊外の目的地に着いた。

 ローズプリンセスホームは、今年で開設11年目の日本人経営の老人ホームで、一時テレビや新聞で紹介されたことがある。私達も10年ほど前から知りずっと下見に行きたいと思っていたが、なかなかその機会がなくやっと今回体験入居がかなったわけだ。ローズプリンセスホームは周りを塀で囲まれ、入り口には数名のガードマンがいるミルウッドビレッジ内にあり、古くから住む住人もいて治安はよさそうだ。

 もらったパンフレットを見ると、ここには3つのタイプのホームがあり、1つ目は私達が体験入居するローズプリンセスホーム。生涯入居金として約145万ペソ(今のレートで約400万円)支払えば、35uの部屋が死ぬまで使えるわけだ。その他に毎月の管理費が4,4万円。部屋数は80室あり現在6室あいている。
 2つ目はローズガーデンホームで、同じミルウッドビレッジ内にあるが別棟。生涯入居金は100万ペソ(約270万円)で16uの家具付きの部屋が使える。部屋数は104室あり、管理費は月額2,2万円。
 3つ目はプリンハウスで、入居金168万ペソ(約460万円)で100uの土地に60uの家を自由設計で建てられる。管理は自分でするため管理費はなし。現在9軒建っている。
 その他に食事は3食とも日本食で1ヶ月約3万円、介護費用1:1で約6万円、1:2で約4万円と日本と比べると信じられないような安さだ。

 その後日本人スタッフに館内を案内してもらう。玄関前の広場はヘリポートで時々近所の子供達が遊びに来るそうだ。建物は2階建てで玄関に入ると受付と売店があり、その奥の廊下に沿って24時間医師が待機している診察室や薬局、食堂と娯楽室、週に2回ほど利用できるお風呂場、中庭にはプールもあり設備は整っている。


         
      ミルウッドビレッジ内                  ローズプリンセスホーム全景                    2階の廊下  



          
        プール                              35uの部屋                         入居者のNさんとKさん


 私達が泊まった部屋は35uのワンルームで奥にバスルームとトイレがあった。一人で生活するには十分な広さだろう。食事は有料だが予約すれば3食とも日本食が食べられ、1日に1回部屋の掃除と洗濯をしてくれると言うから至れり尽くせりだ。
 夕食は広い食堂でたった3人で食べた。もっと入居者がいると思ったが定住者は数十人で、別荘感覚で使っている人が多く年末はクリスマスパーティで賑わうそうだ。夕食を共にした男性シニアに話を聞いた。その方は東京の家を売り住民票もこちらに移し、ここで骨をうずめるつもりらしい。この近くの土地を開墾し野菜作りをして入居者にあげて喜ばれているそうだ。70代半ばらしいがよく日に焼けてとてもお元気そうだ。ホームついて聞くと経営が思わしなくサービスも低下している、医療面で問題があり社長と話しあったらしい。

 夕食後入居者のNさんの部屋を見せていただいた。同じ35uだが自炊できるようにキッチンコーナーも作り、住みやすいように改造されとても素敵な部屋だった。同じ入居者のKさんも部屋に来られいろいろお話を伺った。2人とも関東出身で日本に家があり、日本とフィリピンを行き来しているそうだ。Nさんは気のあった友人達と老後を一緒に過ごそうと話し合っており、その友人達もここへ来て一緒に住むようになり、また妹さん夫婦もプリンハウスに家を建てたので退職後はここに住むそうだ。気の合う仲間とみんなで助け合いながら、楽しく過ごせ夢がかなったのでとても幸せだと話してくださった。


3月14日(金) 午前中情報収集 午後マニラのアパート見学
 鶏の鳴き声で目が覚める。朝食は献立では和食だったが頼んで、ベーコンエッグ、トースト、コーヒーに変えてもらいプールサイドで食べる。日陰にいると涼しく気持ちがいい。朝食後マニラの有名人Kさんの部屋を訪問する。彼女は長年小学校の先生だったが、退職後マニラに移住されその生活ぶりを書いた本を出版したほどだ。確か80歳代だがとても若く見えお元気そうだ。Kさんはここの社長さんとも友人で、ローズプリンセスホームを2部屋買い長年すんでおられる。お話ではここも今では従業員の数も減り経営が困難な様子。義妹のいる田舎へ行き、そこで日本語を教えたりケアー・ギバーを育てる仕事をしようかと考え中とか。
 
 その後Nさんの妹夫妻が建てられたプリンハウスを見せてもらう。100uの土地に60uの自由設計の家で、内装はすべて注文したとか。2LDKで2人で住むには十分なひろさ。家具類もすべてこちらで買われ、質のいい物が日本よりずっと安く購入できるらしい。Nさんに毎日何をして過ごしているのか聞くと、とても忙しく充実した生活の様子。今は同じ住人で入院されている人のお世話や習い事、こちらで知り合った人との交流や旅行など積極的に行動されている様子。反対にここへ来ますか?と聞かれたので、まだ少し早いと思う。もう少し年を取ってから考えますと答えると、実際に親や夫の介護をした人や介護人を抱えている人はすぐに決められますよとの返事。そりゃそうだろうな。私達にはまだ介護の大変さや現実の厳しさが身にしみてわかっていないのだから。



           

    プリンハウス(自由設計の家)           アパート カサブランカ                     アパートの台所
    

 昼食後、ネットで調べた日本人経営のアパート「カサブランカ」をオーナーのFさんに案内してもらう。ローズから車で2時間ほどだが、マニラに近づくにつれ車の数も多くなり渋滞に巻き込まれる。車中Fさんはマニラ周辺に住んでいる日本人の話をあれこれされるが、ここにも小さな日本人社会があり騙したり騙されたりの話にぞっとしてしまう。カサブランカは1階に3室、2階にも3室あり3階にオーナー家族が住んでいる。部屋は2LDKでTV,エアコン、バスタブ、温水シャワー、ソファセット、ダイニングテーブル、冷蔵庫、洗濯機など最低限のものは揃っているが、なべ、食器類がなかった。家賃は2人で使用して月66000円から83000円、日本人価格のため高めだ。ゴルフ場にも近く環境はよさそうだが、交通の便が悪く車がないと動けないようだ。アパート見学後、3階のオーナーの家を訪れる。フィリピン人の奥さんと2人のメイドさんに囲まれて裕福な生活ぶりだが、メイドさんを使うような生活は反対に気を使いどうも性にあわない。


 
3月15日(土) フィリピン最後の日 

 午前中ローズでゆっくり過ごし、昼前近くのショッピングセンターへ出かけた。NさんとKさんにジプニーの乗り方や、簡単なタガログ語を教えてもらい初めて2人だけでジプニーに乗った。後ろの方に座ったので「ダラワ、SM(2人、SMモール)」と言いお金を近くの人に渡すと、前へ前へと順番に運転手に手渡してくれ、また反対に運転手から順番に「ソクリ(おつり)」と戻ってくる。ジプニー内はスリが多いので要注意だが、客は地元の人の良さそうな人ばかりだった。私たちが外国人だと知ると、英語でいろいろ話しかけてくれた。

 30分後無事にSMモールに着き、広いショッピングセンター内を隅から隅まで見て回わった。Nさんお勧めの「来々軒」で久しぶりにラーメンと餃子を食べ、ゆっくりとコーヒータイムを楽しんだ。

 帰りはSMモール前からジプニーに乗るが、どれに乗っていいのか分からず運転手に「プロカブヤオ」と言うと、ウンとうなずいたのでそれに乗った。初めは来た道を走っていたが、途中から見知らぬ道に入り時間もかかったので心配になってきた。若い英語を話せそうな子に「ジェントロジーに行くか」と聞くと、ウンとうなずいたので安心した。またその人は親切にも運転手に私たちの降りる場所を言ってくれた。50分後、見覚えのある場所に戻り安心した。どうやら行きはハイウエーを走り、帰りは市内をぐるっと回ったようだった。はじめは怖いと思っていたが、お金もちの格好をせず気持ちを引き締めていれば、それほどでもないと思った。



3月16日(日) マニラ発14:20→関空着19:05
 今日は帰国の日。朝Nさんがおいしい日本茶と梅干し、果物を持ってきてくださる。こういう心配りのできる人と一緒に生活すると楽しいだろうと思うが、私たちはまだここへ来るのは早い感じだ。10時過ぎ、支払いを済ませ皆さんに見送られてローズプリンセスホームを後にする。今度来るのはいつだろうか?と考えながら空港へ。空港で偶然シピルスのバッジメイト2人に出会う。彼らは4週間の授業を終わり修了式にも参加したそうだ。2人とも韓国人と同じ部屋で1か月間生活し、ずっと英語漬けだったためかなり上達したらしい。また9月から今度は3か月間来ると言っていた。そうだろうな。シピルスのリピーターが多いのもうなずける。私たちもまたシプルスに来たいなと思いながらマニラを去った。 



                                            




     












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