ポルトと北部地方

2月3日(金) コインブラ→ポルト


コインブラからポルトまで2階建てバスで1時間30分、ポルトのバスターミナルに到着。でもどこに着いたのかわからず建物の外へ出て、バターリャ広場近くだとわかりほっとする。私達が今日から6泊するクオリティ・インもバターリャ広場にあり、歩いてホテルまで行く。

ホテルから1番近いインフォに行き、プラガ、ヴィアナ・ド・カステロ、ギマランイス行きのバスの時刻表を欲しい言うと、それぞれバス会社が違うので、自分で行って調べて欲しいといわれた。仕方なくそれぞれのバス会社に行ったが、どこもわかりにくく、その上ポルトガル語しか通じないので指さし会話帳が多いに役だった。

帰りに入ったカフェでも英語が通じず、注文したスープが冷めていたのでHARUがジェスチャーで暖めて欲しいというと、ウェイトレスの女の子もジェスチャーとシュー、ボコボコと擬音語で答えてくれ大笑いした。向こうは変な東洋人と思っているだろうな。




2月4日(土) フリータイム

今日は土曜日でバスの回数が多いヴィアナ・ド・カステロへ行く予定だったが、MINEの風邪がすっきりせず大事を取ってホテルで休む事にした。ファーロで風邪をひいてからもう12日目。こんなに長引いたのも初めてだ。食欲もあり高熱が出ないのでそれほどしんどくはないが、朝夕の寒さに体がついていかないようだ。

姉とHARUはそれぞれ自由行動。姉は賑やかなショッピング街のサンタ・カタリーナ通りをうろうろし、靴屋が多いのに驚いたらしい。それにポルト市民の台所と言われるボリャオン市場へも行き、活気ある庶民の生活振りを味わってきたとか。





                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    
HARUは地図も持たずに気の向くままに動き、いつの間にかドウロ川とそれに架かる2つの橋を見下ろす所へ行ったらしい。真下を見るとごちゃごちゃした家影で、注射器で麻薬を打つ所を見てしまったとか。

このホテルのあるバターリャ広場も夜の8時を過ぎると人影が少なくなり、通りによっては誰も歩いてなく、男でもちょっと危険な気がすると言っていた。そう言えば昨日の昼過ぎ、サン・ペント駅へアズレージョを見に行こうと人通りが少ない裏道を通った時、階段の隅っこに一人座っているおばあさんがいた。ごそごそしていたので何か変な感じがしてちょっと緊張したのだが、麻薬をやっていたのだろう。どうもこの当たりはあまり環境が良くない所のようだ。

 



2月5日(日) ブラガへ

9時30分にホテルを出てバス乗り場まで歩いたが、いまポルトの町は地下鉄の大工事が行われており、あちこち掘削されていてとても歩きにくかった。10時のバスに乗り1時間ほどでブラガについた。かつて宗教の町といわれたブラガには数多くの教会や修道院があるらしく、なるほど落ち着いた感じがした。

まず町の中心のレプブリカ広場を目指し商店街を歩いたが、日曜日とあってどの店も閉まっていた。でも噴水のある広場には多くの人が集まっていた。ガイドブックを見ながらコインブラス礼拝堂、サンタクルス教会、カテドラルを見て回った。どれも比較的近くにあり歩いて見て回るのに町の雰囲気もわかりよかった。特にカテドラルはちょうどミサの最中で中に入ると、古い真っ赤な法衣と帽子をかぶった人が案内してくれ驚いた。しばらくミサに参加したが、どの人も熱心にお祈りしとても厳かな雰囲気だった。外へ出るとちょうどカテドラルの上の2つの鐘が鳴り響き、心に染み入った。



その後旧市街の入り口となるアルコ・ダ・ポルタ・ノヴァへ行き、メイン道路を抜けてまたレプブリカ広場に帰ってきた。日曜日でほとんどの店やレストランが閉まっていたが、この広場のレストランやカフェは開いておりここで昼食とした。広場では子供達がミニカーに乗ったり、ペルーのフォークローレの演奏を聞いたりしてそれぞれが楽しんでいた。私達も帰りのバスの時間までこの広場にいて、何をするでもなくみんなと同じように座っていた。

 

2月6日(月) ヴィアナ・ド・カステロへ

朝から快晴で暖かい。今日はリマ川の河口にひらけた美しい町、ヴィアナ・ド・カステロへ行く日。バス乗り場へ行くがただのバス置き場みたいな所で、停留所もなくどこが乗り場かわからない。事務所へ入って切符を買い、どのバスかと聞くが外を指さすだけではっきりしない。まあ時間がわかっているし、そのあたりで待っているとバスが発車するだろうとしばらく待つが、時間になってもバスが動く気配なし。

もう一度事務所へ行きこの前もらった時刻表を見せ指さすと,違う時刻表を見せこのバスだと言う。えっ!と思い見ると、それは急行バスの時刻表で私達が持っているのは、普通バスのものだった。発車は急行バスの方が15分遅く、到着は30分早かったので結果的にはその方がよかったのだが、普通バスの時刻表は3日前にこのおじさんからもらったものだった。




15分後運転手が来て、乗客もどこからともなく現われて発車。2階建てバスはポルト市内に一度停まっただけで、あとは高速道路を走り途中の田舎町に停まり、ヴィアナ・ド・カステロのバスターミナルへ。ここから外へ出て、町のメイン通りをリマ川に向かって歩く。そんなに大きな町ではないが、人々ものんびりしていて、町並みも綺麗で落ち着いた感じがした。帰りのバスの時間まで3時間しかないので、さっさと見て回り地球の歩き方に載っていたレストラン、ラランジェイラへ行き昼食。赤ワイン1本をあけ美味しい料理を食べほろ酔い気分で大満足。

4時15分発のバスでポルトに向かう。帰りはローカル路線で田舎道を走り、乗客は高校生や地元の人ばかりで乗る人や降りる人が結構多い。その上ポルト近くになると渋滞に巻き込まれのろのろ運転でいらいらする。予定より1時間も遅れて7時30分、やっとポルト到着、疲れた一日だった。


 

2月7日(火) ギマランイスへ

ポルトからギマラインスまで山のふもとまで広がるワイン畑を見ながらバスで約1時間。世界遺産に登録されているギマラインスは、初代ポルトガル国王アフォンソ・エンリケス生誕の地とのこと。バスターミナルから歩いて町の中心地へ、続いてノッサ・セニョーラ・ガ・オリベイラ教会、旧市庁舎などへ行くが、裏道に続く家並みも歴史に取り残された、それゆえに何か味わい深いものを感じさせる所だった。




昼から町をぶらぶらしブラサンガ公爵館やギマランイス城等へ行った。のんびりした庶民的ないい町だった。夕方ポルトに戻り、夕食時HARUが奥歯が痛いと言い出し持ってきた鎮痛剤を飲んだが効き目は薄いようだった。夜中鎮痛剤が切れて来ると痛みがひどくなり、なかなか寝られない様子で心配した。



2月8日(水) ポルト観光

ポルト最後の日。相変わらずHARUの奥歯の痛みは治まらず、鎮痛剤もなくなったので薬局へ買いに行った。薬局はグリーンの十字のマークですぐに見つかったが、英語が通じず何時間置きに何錠飲むのか等絵をかいて聞き、だいたいわかった。でも心配だったので確認のため、ホテルのフロントでもう一度英語で聞き、間違いないとわかりほっとした。今度の薬はよく効くのか、8時間置きに飲めば大丈夫なようだった。

でもHARUはうっとうしいのか出かける気にならずホテルにいると言ったので、姉と2人で市内観光に行った。まず町を見下ろす丘の上に建つカテドラルへ、その後ドウロ川に架かっているドン・ルイス1世橋の2階の方を歩いて渡った。橋の上から見下ろす町並みはきれいだが、かなりの高さでその上電車や車がすぐそばを走るので用心しながら歩いた。





橋を渡り対岸のワインの町ヴィラ・ノヴァ・デ・ガイアへ。ここはポートワインで有名なSandemanやCalemなど30以上のワイン蔵が並んでいて、私達は黒いマントと帽子姿がトレードマークのサンデマンに入った。その後、また歩いてドン・ルイス1世橋の1階を渡りレストラン街のカイス・ダ・リベイラを通り坂道を上りホテルへ帰った。HARUは鎮痛剤がよく効き、痛みもなく元気をとりもどした。



2月9日(木) いよいよ帰国

5時30分、モーニングコールで起床。6時30分チェック・アウトし空港までタクシーで行く。朝早く真っ暗で道も空いているのにタクシーの運転手はすごいスピードで飛ばすこと。助手席に座っているMINEは時速120キロまで確認したが、あとは怖くて横を見たりしまいには目を閉じてしまった。HARUの話では最高140キロ近くまで出したとか。なんでこんな荒っぽい運転なんだろう。

無事ポルト空港に到着、まだ新しく閑散としている。9:05発なので2時間前の7時過ぎにチェック・イン・カウンターに行くが、まだ手続きをしてくれずその前の7時30分発のバルセロナ行きの手続き中。出発まで時間がないのに乗客も係員も慌てる様子もなく落ち着いたもの。これも国民性なのだろうか?

7時30分過ぎようやくチェック・インが終わり、関空までの搭乗券を手にしやれやれ。約1ヶ月弱の長いポルトガル旅行だった。2〜3のポルトガル語しか知らないのに、カタコト英語とポルトガル語の会話集だけで何とか旅が続けられた。今回ほど行く先々の観光案内所を訪れ、いろいろ情報を得た旅も初めてだった。言葉の問題もあったので予定を組みホテルも予約した旅だったが、今後のヨーロッパ旅行、もっと気楽に行けそうに思った。



 

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