カスカイスと近郊

1月17日(火) ロカ岬とシントラへ

カスカイス→ロカ岬→シントラ→カスカイスの1日乗り放題のバスを利用して、カスカイスのバスターミナルから出発。ポルトガル語しか通じないバスの運転手から、どうやって切符を買うか心配した。でも「カスカイス、カボ・ダ・ロカ、シントゥラ、カスカイス」と言うと「シン」とうなずき、何か言ってきたので指を3本立てると「トレシュ?」と言い切符を3枚くれた。金額はわからないと思ったのか、紙に書いてくれた。何とかなるものだ。

ロカ岬はユーラシア大陸の最西端に位置すると言うだけで、特別何がある訳でもなく荒波が打ち寄せる岬だった。高さ140メートルの断崖から大西洋と地平線を見ていると、ポルトガル人の詩人カモエンスが詠んだ「ここに地果て、海始まる。」がなんとなく理解できた。観光バスで来た韓国人や日本人の団体が写真を撮ってしまうと、あとは誰一人いなかった。次のバスまで1時間あるので、インフォで暖炉にあたりながら待った。




次のシントラは、世界遺産にも登録されている緑豊かな山々に囲まれた別荘地で、さすがに落ち着いたしっとりした町だと感じた。循環バスを利用して中世に建てられた王宮ペーナ宮殿を見て回った。アメリア女王の部屋とか礼拝堂など豪華なものばかりだった。ただ各部屋にいるはずの監視の人達が、あちこちに集まって大声でお喋りしているのが気になった。この国の人が働かないというのはこの事かと思った。「地球の歩き方」には、標高500メートルの山頂からの展望はすばらしく、リスボン市内からテージョ川、真っ青な大西洋まで見渡せるとあったが、あいにく曇り空で見えず残念だった。

帰りのバスもくねくね曲がった石畳の細い道をスピードも落とさず走り抜き、町に出ても荒っぽい運転で怖かった。地図と見比べてもどこを走っているのかわからず、明日からのレンタカーでのドライブが不安になった。夜、ガイドブックを読んでいた姉が「ポルトガルは交通事故が一番多い国だって!」と言った。


1月18日(水) レンタカーキャンセルする(再びベレン地区へ)


今日から4日間レンタカーを借り、ここを拠点にあちこちへ行く予定だった。ところが車の運転が非常に荒っぽくその上道路が曲がりくねっていてわかりにくい。本屋へ行き詳しい道路地図を探したがメイン道路しかわからず、その町の詳しい地図がなかった。言葉が通じない上に曲がりくねった道が多いこの国ではナビゲーター役のMINEは自信がなく、もし迷ったらどうしようもないと不安になった。運転役のHARUは自信はないけど、せっかく予約しているのに・・・・と言う感じで、姉は迷ったら止めたほうがいいと言い、結局キャンセルすることにした

ハーツレンタカーの事務所で予約書を見せキャンセルしたいと言うと、どうしてキャンセルするのか理由を聞かれた。詳しい道路地図がないことや運転が荒っぽく怖いこと、事故を起こしたら大変なことなど、ジェスチャーを交えながら汗だくになり話した。すると事務所のお兄さんは、この国の運転は日本とは違うからねと快くキャンセルしてくれた。キャンセル料は要らずラッキーだった。



 


明日からバスで移動するので、リスボン市内のバスターミナルの下見に行った。「地球の歩き方」にはアルコド・セゴ・バスターミナルとあるのだが、インフォで確認したらエスパーニャ広場を教えてくれたので、メトロでそこへ行った。エスパーニャ広場には確かにバス乗り場があったが、行き先が違った。バスの運転手に聞いたら、さかんに地図上のセテ・リオス駅を指差した。それは電車の駅で、電車でも行けるが私達はバスで行くので違うと思い、アルコ・ド・セゴまでメトロで行った。


その近くで英語の出来そうな若者に聞いたらバスターミナルは、アルコ・ド・セゴからセテ・リオスに変わったと教えてくれた。念のためと見に行くとなるほど、前の広い道路も工事中で掘り返しバスターミナルの屋根だけが残っていた。いつから変わったのかわからないが、「地球の歩き方」の情報が古かったのだ。いつもこの本を信用していたのに、ショックだった。

仕方なくまたメトロでセテ・リオスまで行き、バス会社の看板を見つけた時にはほっとした。そこで時刻表をもらい切符売り場やバス乗り場を確認した。帰りにベレン地区の発見のモニュメントや世界遺産のベレンの塔を見て回った。何回もメトロに乗り歩き回った一日だった。ポルトガルの歩道は石を割った小石で舗装されていて、色の違う石を使いいろいろ模様をつけているのはとても興味深い。ただこの小石が曲者で、金槌で割っただけなので表面が凸凹していて、とても歩きにくく疲れる。私達もスニーカーにパンツ姿で備えているが、毎日くたくただ。

 

1月19日(木) アルコバサとナザレへ

電車でリスボンまで出てメトロでセテ・リオス・バスターミナルまで行き、アルコバサ行きのバスに乗った。1日に5便しかない不便なバスだが客は少なく私達の他に3人しかいなかった。2時間後にアルコバサに到着。ここは世界遺産のサンタ・マリア修道院があるが、修道院前の広場は大工事が行われていて、もう一つ風情がなかった。姉の話では、ユーロに変わってからどこでも工事中だとか。世界遺産に指定されているといっても観光客はまばらで特に印象に残らなかった。

アルコバサから次のナザレは、タクシーで15分ほどかかった。「地球の歩き方」によると、フランス映画「過去を持つ愛情」の中で主題歌「暗いはしけ」をアマリア・ロドリゲスが歌ったシーンで、日本でもなじみになった港町と言うことらしいがMINEは知らなかった。ナザレは昔はひなびた漁師町だったそうだが今は観光地として栄え、夏にはヨーロッパ中からバカンス客が訪れるとか。私達は一目で素敵な所だと思った。



大西洋に面した細長い砂浜が続き、レストランや土産物屋が軒を連ねているところが、ブライア地区。でも細い横道に入ると、洗濯物が干してあったり、どこからともなく魚を焼く匂いがして人々の生活が感じられた。私達も家族だけでやっている食堂に入り、店の前に置いてある炭火でイカやイワシ、太刀魚を焼いてもらった。言葉は全くわからないが、魚を指すだけだから簡単だ。添えにゆでたジャガイモや野菜がたっぷり。お昼から赤ワイン1本を飲み焼き立てのパンを食べお腹いっぱいになりこれ以上の幸せはない。

ケーブルカーで上った崖の高い所にあるのがシティオ地区。下のブライア地区から見るとよくもあんな危険な断崖の上に住んでいると思うが、実際行ってみると教会や礼拝堂などもあり、多くの住宅があるのに驚いた。ここから見ると真下にブライア地区と砂浜が続き、どこまでも広がる大西洋の眺めがすばらしかった。帰りのバスでは、ワインの酔いと歩き疲れで3人ともぐっすり寝てしまった。

 

1月20日(金) カスカイスの情報集め

何日か滞在しているうちに、本当にここはいいところだと実感してきた。ここを拠点にしてヨーロッパ各国を廻るのもいいかも・・・。と言うわけで今日は、ロングステイする立場になってカスカイスの町を見て廻った。

まず駅の近くに朝8時から午後2時までやっている市場に行った。八百屋、肉屋、魚屋等の専門店がそれぞれ3〜4軒あり規模が大きかった。特に魚屋は日本でお馴染みの黒鯛、いか、たこ、イワシ、あじ、えび、アサリ等もあり、新鮮で種類の多さに驚いた。駅の真前に大きなショッピング・センターがありそこで必要なものは、何でも揃いそうだ。

値段はお米1キロ50円、インスタントコーヒー240円、リプトンティーバッグ190円、コーラ1本63円、ハム200グラム150円、缶ビール1本35円、ワイン1びん200円、特にビールやワインは店で飲んでもコーラや水よりも安いのにはびっくりだ。

日本の物は醤油、酢、わさび、寿司のり、米、インスタントラーメンなど値段は高そうだが少しあった。「みさとや」という日本食材店があると本に書いてあったので住所を調べ行ったが、残念ながらリスボンに移転したようだった。でもポルトガルの味は日本人に合いそうなので、特に日本食にこだわることはなさそうだ。現に私達もここに来て1週間以上経つが、外食には飽きたもののまだ日本食を食べたいとは思わない。




次に住居探し。インフォへ行きアパートメントホテルのことを聞いた。1べッド、キッチン付きで1日80ユーロ、1ヶ月で2400ユーロだと言う。とても高くてダメだというと、プライベートアパートがありそのオーナーに連絡してくれた。しばらく待つとキーを一杯持った人のよさそうな男性が来た。片言の英語を話しほっとした。その男性は Ricardo Marques Jorge と言い、アパートを5軒もっているらしい。

インフォのある通りから2本入った静かな通りに面している、5階建ての5階の家具付き部屋を見せてもらった。リビング、ダイニング、ベットルーム、キッチン、バスルームとどの部屋も広くとても綺麗で、置いてある備品も清潔そうだ。生活に必要なものはすべて揃っていて、これなら身一つですぐに生活できそうだ。値段は冬のシーズンで1ヶ月900ユーロ、2〜3ヶ月850ユーロだという。各部屋に窓がありとても明るく、窓からの見晴らしもよく気にいった。その他2室見せてもらったがどれも綺麗だった。私達が会員になっているロングステイ海悠クラブ゙のことを話して、別れた。いつかここでロングステイ出来たらいいなあ。

その後カフェやレストラン、ブティックが並んでいる通りを歩き、シウタデーラの前で自転車を借りた。身分証明書を見せればレンタルが無料なのがありがたい。貴族の館のカストロ・ギマラインス伯博物館や、大西洋の波が打ち寄せる地獄の口を見て回りいい運動になったが、ひざしが強く鼻の頭が真っ赤になった。

1月21日(土) ファティマへ

リスボンのセテ・リオス・バスターミナルからバスで1時間30分でファティマについた。この国は土・日にはバスは運休になるか、本数もうんと少なくなるのに、このファティマへ行くバスの便は数多くあり、おまけに乗客の数も多いのが不思議だった。でもファティマに着いてその謎が解けた。ここは聖母マリアの奇蹟が起こった聖地で、いつも巡礼の人々が絶えないのだ。そのせいか、バスターミナルの近くにはホテルが多くあった。

540×160mの巨大な広場に65mのバジリカがそびえ建ち、毎年5月と10月の大祭には10万人もの巡礼でこの広場が埋め尽くされるそうだ。私達は平気で広場を歩いていたが、熱心な信者は広場の端からひざまずいてバジリカに向かい進んでいた。それだけ厳かな所なのだろう。

また聖母マリアが3人の子供達の前に出現したと言われる、「出現の礼拝堂」ではろうそくをささげる人が多く、司教の説教が行われ歌が歌われていた。言葉は全くわからないがなぜか心に染み入り、私達もずっと聞いていた。

 



1月22日(日) フリータイム


今日は日曜日。外を走るバスの本数も人通りも少なく静かだ。1週間滞在していたアメリカから来た団体客も引き上げたのか、ホテル内も閑散としている。私達も今日は午前中フリータイムとし姉は一人で散歩に出かけ、HARUは手紙を書いたり寝たりし、MINEはHPを作成。それに飽きるとベランダに出て外の風に吹かれながら、安いワインとパンとハムで昼食。一日中何をするわけでもなくごろごろして過ごした。

 


    

 

 

 

 

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