エヴォラと周辺の村(アレンテージョ地方)

1月25日(水) ファーロ→エヴォラ

ファーロからバスで4時間。なだらかな丘陵地帯をいくつか抜け、行儀よく並ぶオリーブの木と広がる麦畑。そんな田園風景を見ながらエヴォラに到着。ローマ時代の城壁に囲まれた人口4万人弱、2000年の歴史が息ずく世界遺産に登録された美しい町。バスの中から見るエヴォラの町は規模も雰囲気もちょうどよく、なんとなく気にいった。

バスターミナルに着き、バスの中からホテルが見えたのでその方向に歩いて行く。石畳のがたがた道を重い荷物を引きずりながら歩くが、どうも様子がおかしい。まだ着いたばかりで地図もなく、自分達のいる場所さえわからない。誰もすれ違う人もなくHARUは工場のような所に入り、人を探し身振り手振りでホテルの場所を聞いている。どうも反対の方向に来ているらしく、ここから遠いから送ってあげると言う。3人だと言うと2人しか乗れないと申し訳なさそうな顔。いえいえ、こちらこそ・・・と言いたくなるほど親切だ。その後タクシーでホテルへ。

ホテルから歩いて15分程で、城壁内のジラルド広場へ。観光客か地元の人かわからないが多くの人が集まっていた。そこからガイドブックを見ながら天正少年使節が訪れたカテドラル、15世紀のロイオス修道院、ロイオス教会、ディアナ神殿を見て廻る。ロイオス修道院は、ポザーダ(ポルトガル国営の宿泊施設)として使われているので、泊まるような顔をして入るとボーイさんが来て案内してくれた。1階の回廊はレストランらしいが、2階は残念ながら工事中だった。でも部屋の壁紙やカーテン、ソファやべットは古いままでかつての修道院の暮らしがしのばれた。




夜7時30分、「地球の歩き方」に載っていた庶民派食堂アデーガ・ド・ネトを探して行った。城壁内に入り、長屋のように繋がった家々が何十軒も続き、まだ早いのか人通りが少ない路地の奥にその店はあった。中の様子は見えず本に載ってなければ怖くて(?)多分入らないだろう。でも一歩中に入るとなぜか明るい雰囲気で、地元の仕事帰りの人が立ち寄っていた。相席の人もあり何を注文しようかまわりをきょろきょろすると、隣の席の人が「これおいしいよ!」とでも言いたげに自分のお皿をさし、そして親指を立て教えてくれる。その隣の人もそうだった。

まわりの溶け込みやすい雰囲気に気をよくした私達は、勧められたものを注文しワインもしっかり飲み満腹になった。そして唯一覚えた「コンタ、ポルファヴォール」(お勘定お願いします)と言うと、最初怖そうに見えた店のお兄さんが、ぶつぶつ言いながら紙のテーブルクロスで計算し始めた。粋な計らいにますます嬉しくなり、よりいっそうこの町が好きになった。食事代は今までで一番安く1人800円だった。



 

1月26日(木) エヴォラ→モンサラーシュ
今日はMINEの憧れの村モンサラーシュに行く日。ポルトガルに行くと決めてからいろいろ本を読み、「ポルトガル朝,昼,晩。」でイラストと写真、文でこの村を紹介していた。「地球の歩き方」にはたった2ページで、「時間の流れから取り残されたような村」「小さな村だから30分もあれば一周できるけど、どうしても夕日と朝日を見てみたい・・・」とあり、このモンサラーシュでの1泊を楽しみにしていた。

10時。バスターミナルで10:25のモンサラーシュ行きの切符を言うと、その時刻のバスはないという。昨日あれだけ何回も確認したのに・・・。時刻表では乗換えしなければならないし、ポルトガル語で何かややこしそうに書いてあったので、数字を書いてみせ往復ともこれでいいかと聞くと、「シン、シン」(うん、うん)といったのに。もう、腹が立つ。13:00発しかないと言うので、午前中はエヴォラの城壁と水道橋を見に行った。




再度バスターミナルへ、いよいよ出発。ローカルのバスらしく乗客は、買い物帰りのおばさんや地元の高校生達。郊外に出ると田園風景の中バスはスピードを増し、アスファルト道なのにがたがたゆれること。いくつかの村を通り抜け乗客も少なくなった頃、突然遠くの丘の上にへばりつくように建っている白い家々が見えた。あっ、モンサラーシュだ。スペインとの国境に近く要塞だったという城壁に囲まれた小さな小さな村だ。

その村はくねくねと回る道に従ってバスの右手に見えたり、正面に現れたりしながらしまいには見えなくなり、最後に一気に長い坂を上りやっと入り口に着いた。バスから降りて周りを見渡すと、アレンテージョの平野が足元に広がっている。このすばらしい眺め。城壁の門をくぐり村の中心のインフォへ行く。地図をもらい5軒の民宿と3軒のレストランを教えてもらった。地図を見ると幅100メートル、長さ300メートルほどの小さな村で数本の道が交差しているだけの驚くほど単純なものだ。回りを城壁が囲みその中で人々が生活している感じだった。

さっそく民宿探しだ。赤茶色の瓦と白い壁の家々は何十軒も続き、赤や茶や緑の扉が白い壁にはめ込まれたように並んでいるが、その扉が開けられる気配はない。中に人がいるのかどうかもわからないし、狭い石畳の道を歩く人も少なくひっそりとしている。1軒目、思いきってドアをノックするが返事なし。2軒目、灯りがつき中に人がいるがダメダメのしぐさ。3軒目、やっと部屋を見せてもらうがどの部屋の窓も少なく暗い。MINEはあの本で見たバルコニーがあって、パノラマビューのに部屋がどこかにあるはずだと、断って外へ出る。

するとうろうろしている私達を見ていたのか、どこからかおばさんが現れ手招きをする。部屋を見せてもらうが前のよりひどく汚い。外へ出ると隣のおばさんがドアを半開きにして、じっと私達を見つめていた。前のおばさんがドアを閉めるのを見てから、早く早くと手招きをする。こんな小さな村で隣同士ではまずいのだろう。慌てて私達を入れてからゆっくり案内してくれた。この家はどこも清潔で安心した。




2階へ行き部屋を見せてもらうと、そこには探していた部屋があった。リビングと寝室の2間続きの広い部屋、それよりももっと広いバルコニー。外へ出るとバルコニーから200度の大パノラマが見渡せ、すごーい!と叫んでしまい思わず拍手。MINEは念願かなって絶対ここで夕日と朝日を見たいと思った。

すぐに外へ出て村の中を散歩。村の入り口の城壁に上り強風で飛ばされそうになったり、1,2軒ある土産物屋を覗いたりしながらのんびりとこの村を歩いた。本当に時が止まったように静かでシーンとしていた。聞こえるのは私達3人の声と時たますれ違う人の足音と風の音だけ。途中でさっきの4軒目のおばさんに出会いあれっ?という顔をされたり、今泊まっている民宿のおばさんに出会い手を振ったり、本当に狭くかわいい村だ。夕方にはいっそう曇ってきて夕日は見えなかった。MINEの風邪も本格的に悪くなって来たのか、背中がぞくぞくし薬を飲んで早く寝た。

 

1月27日(金) モンサラーシュ→エヴォラ

朝方鶏の鳴き声で目がさめた。カーテンを開けて外を見るが曇りで朝日がぼんやり見えるだけで、全体的に明るくならない。残念ながら泊まったのに夕日も朝日も見えなかった。朝食後姉とHARUは出かけたが、MINEは風邪引きのためずっと寝ていた。薬を飲んでいるためうつらうつらしていたが、何の物音もせず時間がとまったような感じだった。ただ1時間ごとに鳴る教会の鐘の音が時の流れを教えてくれた。

昼食は昨夜行ったのと同じレストランに行った。HARUの話ではどうも1軒しか開いてないようだ。入った所はバーになっていて地元のおじさん達でにぎわっていたが、奥の方は一応レストランらしく紙のテーブルクロスがひいてある。他に食べる所もないのか3〜4組の観光客もいた。4世帯同居の家族で経営しているのか、大おじいちゃんはひ孫の世話、お父さんと息子が接客。厨房の様子は見えないが多分お嫁さんやおばあさん達で作っているのだろう。小さな村の小さな食堂、店の雰囲気もお客と話したりしてとても暖かくいいなあと思った。

2時のバスでモンサラーシュを去った。民宿を出る頃になると雨が降り風も強く吹きだし、横殴りの雨の中必死で傘をさしながらバス停まで歩いた。憧れのモンサラーシュ。残念ながらすっきり晴れず眺めもよくなかったが、もう一度天気のいい日に是非来たいな・・・と思いながら後にした。

夕方6時前、エヴォラのホテルに着いた。部屋でTVを見ていたらニュースで何回も雪景色のリスボンの町や、雪のための交通渋滞や事故の様子を映していた。どうも42年ぶりの大雪でリスボンが大混乱らしい。やっとファーロでのあの寒さが納得できた。

 

1月28日(土) レンタカー(エヴォラ→ルドンド→ヴィラ・ヴィコサ→エルヴァス)

朝から晴れ。風邪も良くなり気持ちのいい日。今日からスペイン国境に近い田舎の方を回るので、予定通りレンタカーを借りた。車はダイハツの1200CC、ヨーロッパでは車は小さくマニュアル車も少ないようだ。リスボンではレンタカーをやめたがここは小さな町なのでわかりやすく、ルドンドまで1時間田舎道を走り風景を楽しんだ。

ヨーロッパは岩盤でできていると聞いていたが、確かに目に入る山や丘は大きな岩や石でごつごつしていた。また大理石の採石場があちこちに見え、地面を掘って切り出した大きな穴からクレーン車で引き上げていた。そんな大理石が山のようにあちこちに積み上げられおり、この国の歩道が石畳のわけがわかったような気がした。





ルドンドは中世のたたずまいを残しているというだけで特別なみどころはないが、陶器の町というので寄ってみた。インフォで地図をもらい紹介された城壁内の工房に行くと、どこからともなくおじさんが現われ手招きしたのでついて中に入った。作品はどれも土産物屋で売られているポルトガルといった感じの物で稚拙だがどこか暖かみが感じられた。

その後町をぶらぶらし昼食に立ち寄ったカフェで、上品そうな紳士2人から英語で話しかけられた。今までカフェに入っても東洋人は珍しいのか、チラッと見るがすぐに目をそらし普通の顔をしてくれたり、目が合いこっちが笑うと照れたように笑い返してくれた。ポルトガル人は、日本人みたいに恥ずかしがりやと思っていたが、この2人は違った。最初から私達を日本人とわかっていたし、コンフェィトウ→コンペイトウ、てんぷら等ポルトガルから伝わった日本語のことを知っていた。次にエルヴァスへ行くというと、ヴィラ・ヴィコスの町がいいからと勧められそこに行くことにした。

確かにヴィラ・ヴィコスはこじんまりした綺麗な町で、城跡に上ると白壁と赤茶色の屋根が続くこの町の様子が真下に見え気持ちよかった。1時間後次の町エルヴァスに着いた。この町のホテルは決めてなかったので「地球の歩き方」にあったドン・ルイスホテルに決めた。ホテルの前にある、アモレイラの水道橋はイベリア半島最長のもので、真下から見上げるとその大きさに圧倒された。今でもこの水道橋は使用されているなんてすごいと思った。





エルヴァスはスペインまで12キロという国境の町で、ここも城壁に囲まれていた。ホテルから歩いて城壁内に入りノッサ・セニョーラ・ダ・コンソラサオン教会やノッサ・セニョーラ・ダ・アスンサオン教会などを見て回ったが、ポルトガルへ来てから多くの修道院や教会を見すぎたためか、だんだん珍しさもなくなり興味が薄れて来た。最後に町の高い所にある城に上り、城壁からアレンテージョの田園風景やスペインの国境方面を見渡した。


 

1月29日(日) エルヴァス→ポルタレグレ→マルヴァオン→ポルタレグレ



スペインの近くまで来ているのだから、少しだけでもスペインに行こうと車を走らせた。走る事約20分、もうすぐスペインとの国境だからとパスポートの用意をしたが何の建物もなく、知らない間に表示がスペインに変わっていた。今日は日曜日でマラソン大会があるのか、スペインに入ったとたんに片側通行になったり、給水所が作られたりしていた。本当ならスペインの町バダホスへ行きたかったのだが、マラソン大会に巻き込まれたら面倒なのですぐにユーターンしまたエルヴァスに帰ってきた。

エルヴァスからポルタレグレまで約2時間、地図に載ってないような田舎道を走った。オリーブ畑や皮をはがされたコルク樫の並木を通り、牛や羊の放牧を眺めたり、途中でロバの荷車のおじさんとすれ違ったり・・・田舎の風景を十分楽しんだ。ポルタレグレは城壁に囲まれた小さな町でマルヴァオンへ行くために通りすぎた。



 



ポルタレグレからマルヴァオンへかけては山道を走り、すれ違う車も少なくなり本当にこの道で合っているのか時々不安になった。途中小さな村をいくつか通りすぎ、岩山の頂に周りを城壁に囲まれたものが何か見えた。それがマルヴァオンの村だった。

山を上るにつれて雪が見え始め、駐車場では一面真っ白で驚いた。ガイドブックを見るとサン・マメーデ山脈の中にある標高865メートルの村とあり納得した。村の入り口から二重の石の門を通って城壁の中に入っが、石造りの家々はすべて壁が白く塗られ、夏なら美しいのだろうが今はよけいに寒さが身にしみた。

インフォで少し話をすると、夏には日本人の団体が来て絵を描いて2〜3日滞在するらしい。城からの眺めもすばらしく、下界から切り離されたような静かで綺麗なこの村はのんびりしたらいいのだろうが、今はただ寒く一刻も早く暖かい所に行きたいだけだった。

もと来た道を戻り、夕方にポルタレグレに到着しすぐにホテルを探したが泊り客は私達だけだった。

 



    

 

 

 

 

 

 

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