コインブラと中部地方

1月30日(月) ポルタレグレ→カステロ・ブランコ→モンサント→コビリャン

朝食にホテルの最上階のレストランに行った。レストランは見晴らしもよく宴会場になっているのかテーブルや椅子が並んでいてとても広かった。泊り客はやはり私達3人だけで、一人のボーイさんが特に仕事もないのに何回も出入りしていた。その広ーいレストランの端っこに5人分位セットされたビュッフェでパンやハム、卵、ヨーグルト、デザートなどを食べたがなんだか申し訳なかった。この時期どのホテルも空いていて予約する必要はなさそうだった。

ポルタレグレからカステロ・ブランコまで約2時間、高速道路を使ったが車の数も少なく走りやすかった。カステロ・ブランコで高速を降りモンサントまでN233の道路で行くのだが、その道がわからずカステロ・ブランコ市内をうろうろした。詳しい地図もなくどこを走っているのかもわからなくなりあせったが、あちこち走っているうちに高速道路に出る標識を見つけほっとした。結局また高速道路に乗り違う道でモンサントまで行った。田舎道を走っていると突然ごつごつした岩山が現われた。それがモンサントの村だった。



モンサントはポルトガルで一番ポルトガルらしい村と紹介されているが、ポルトガルらしいというよりこの村独自の雰囲気があると思った。石造りの家が岩にしがみつくように建ち並び、ある家は岩と岩との間に壁を作ったり、家の真ん中に大きな岩があって屋根を突き抜けていたりして、家の中はどうなっているのか見てみたい衝動にかられた。今にも落ちそうな大きな岩に囲まれ、坂道や階段がほとんどの村に昔から人が住んでいるなんてその知恵と苦労が偲ばれた。

今晩の宿はカステロ・ブランコを予定していたが市内に入ってまた迷ったら・・・・と不安になったので、他の町に行くことにした。この当たりのことはガイドブックに載ってなかったので、地図を広げて明日行くコインブラに近くホテルのありそうな町を探した。それがコビリャンという町でなだらかな山裾に新しい家々やビルが立ち並び、今まで見てきたポルトガルの町の雰囲気とはずいぶん違った。道路も広くてわかり安くホテルも4〜5軒あった。あとでよく地図を見るとスキー場もある国立公園内の町だった。泊まったホテルは日本のビジネスホテル並で、簡素で清潔で値段も安くここでは客も結構多かった。


1月31日(火) コビリャン→コインブラ

コビリャンから高速A23で南下途中でIC8,N1と走り4時間でコインブラに着いた。高速や国道を走ったため時間的には早く運転も楽だったが、ただ通りぬけただけで面白みに欠けた。やはり田舎道をゆっくり走る方が出会いもあり、その地方の様子もよくわかり楽しかった。

コインブラはポルトガル第3番目の都市で大きく、車で来た場合町のどこに入るのか全くわからず迷わずにホテルに行けるか心配した。詳しい地図でもあれば何とかなるのだが、「地球の歩き方」の地図だけではどうしようもない。でも「案ずるより産むが易し」の言葉通り、偶然モンデコ川にかかる1番賑やかなサンタ・クララ橋を渡り、ここまできたらそのまますっとアルメディナ・コインブラ・ホテルまで行けた。本当にラッキーだった。

 



今日はレンタカーの返却日。ホテルのフロントでハーツの場所を尋ねるとすぐ近くだと言う。歩いて地図に書いてもらったその場所へ行ったがなかなかHertzのマークが見つからなかった。工場で働いている人に聞き、教えられた所に行くがわからない。ガードマンらしきおじさんに聞いて指さした方に行ってやっと見つけた。広い駐車場の隅に建物があり、こちらから見えない方に事務所があったのだ。いくら探してもわからないはずだった。30分もかかってしまい、あんなわかりにくい場所に事務所を置くなんて腹が立った。

夕食は「地球の歩き方」に載っているカーザ・デ・パストに行った。1階がバアーで6〜7人が立ち飲みしわいわい賑やかだったが、私達が入っても気にすることもなく自然体だった。ガラスケースに並んでいる物を注文していると、HARUの持っている「旅の指さし会話帳」を見た黒人がいろいろ話しかけて来て、興味深く本を見ていた。また地元の人と思われる紳士が話しかけてきて、「奥さん、ポルトガルでは黒人の差別はないんですよ。」と言った言葉が印象的だった。みんなワインが入り少々酔っていたがいやな感じはなく、知的な人たちが集まっていてとても楽しい雰囲気だった。



 

2月1日(水) ブサコ国立公園へ

朝7時35分まだ暗い中コインブラのバスターミナルから、ブサコ経由ヴィゼドウ行きのバスでブサコに向かった。コインブラの市街を出ていくつかの小さな町を過ぎるとバスは急に森に入った。ブサコはポルトガルを代表する国立公園で、古くから修道院があり俗世間から完全に閉ざされているらしい。鬱蒼とした森の中をバスは走りやがて建物があるところで停まり、運転手がここだと合図してくれた。

森の中にあるのは、5つ星のパレス・ホテル・ド・ブサコでポルトガル最後の王マヌエル2世の離宮だったそうだ。さっそくホテルの周りを見て歩いたが、塔の先端から窓の縁取りに至るまで細密な彫刻が施され、いかにも王の館らしい豪華さが森の中の宮殿を思わせた。まだ8時30分過ぎであまりにも寒いので、泊まり客のような顔をしてホテルの中に入った。




まず入って驚いたのが、アンティークな家具調度とアズレージョ(ポルトガル独自の装飾タイル)の壁画が豪華さを誇るサロン。飾り窓で採光された大理石の階段。王侯の肖像画やタペストリーが見下ろす廊下。まるで貴族の館のようで私達も豪華な気分になり、置いてある猫足の華奢な椅子にゆったり座った。こんな素敵なホテルにはさぞかし金持ちが泊まっているのだろうと思っていたが、ラフな格好のカップルや親子連れで意外だった。その後ホテルから出て清々しい空気の中森を散策し、タクシーでコインブラに帰った。

昼からコインブラの市内観光に出かけた。ホテルから歩いて15分ほどで5月8日広場サンタ・クルス修道院へ。ここには隣に市庁舎もあるので地元の人や観光客で賑わっていた。そこからコインブラでの銀座街とも言えるフェレイラ・ボルジェス通りでウインドーショッピング。




次に旧市街の丘の上にある旧コインブラ大学を訪ねた。フェレイラ・ポルジェス通りのアルメディーナ門をくぐり細い石畳の坂道をふーふー言いながら上り、かなり歩いてやっと旧大学の中庭に着いた。この大学は1290年、今から700年以上も前に創設されたというから驚きだ。きっと多くの政治家や有名人がこの大学で学んだのだろう。現代の大学校舎も旧大学に隣接していて多くの学生たちが中庭を通っていた。

その後旧カテドラルを見て、旧市街の中を歩きポルタジェン広場まで帰ってきた。コインブラ駅に行き明日行く予定のアヴェイロまでの汽車の時刻表をもらった。



2月2日(木) アヴェイロへ

いつもと同じように朝食を食べに行ったが、MINEは何故か外へ出る気がしなかった。晴れてお天気もいいし暖かいのだが、どうも風邪がすっきり治ってないようでホテルにいる事にした。姉とHARUはホテルにいても仕方がないからと、2人で予定通りアヴェイロへ行った。

アヴェイロはコインブラから電車で約1時間。町の真ん中を運河が流れポルトガルのヴェネチアと呼ばれているらしい。小さな町なので4〜5時間で帰ってくるだろうと思っていたら、その通り3時過ぎに帰ってきた。2人の話では、駅のアズレージョが綺麗だけで特に見るべきものはないらしい。確かに運河があり色鮮やかな船が浮かんでいたがたいしたことはなく、カフェで軽く食事をし、最中によく似たオヴォシュ・モーレシュというアヴェイロのお菓子を買っただけだ。

ポルトガルに来て今日で22日目。城壁に囲まれた旧市街、歴史ある修道院や教会、石畳の坂道、赤茶色の屋根と白壁・・・どこへ行っても同じような風景で感動も少なくなり、もう飽きてきたのかも知れないと思い始めた。

 


      

 

 

 

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