第1の中庭には、17の監房と20の禁固独房があり、1500人が収容されていたらしい。監房内は3段のベッドが両側に並び小さな手洗い場があるだけ。
こんな狭くて暗い部屋に30、50、100人とすし詰め状態で寝かされ、寝がえりを打つ時には全員が一緒に動かなければいけなかったそうだ。その後、病室、浴室、理髪室等を見て回り、連結地下道を通り処刑場へ行った。
4月22日(月) テレジーンへ |
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今日はプラハの北方、バスで1時間ほどの小さな町テレジーンへ。先日下見をしたホレショヴィツェ・バスターミナル行った。ここからバスに乗るが路線バスのようで、バスの運転手から直接切符を買った。1時間近く乗るのにバス代は88Kc(約490円)。交通費がとても安いのが有難い。
郊外へ出ると広々とした大地が広がり、ところどころに牧草地が続く。広大な畑はまだ何も植えられていない。いくつかの町や村を通り抜け、運転手が何か言い乗客の大部分が下車。どうもここがテレジーン・ビオレタらしい。
バス停から歩いて小要塞のほうに行くとまず墓地が見えた。中に十字架が立っていてずらっと墓石が並んでいた。ナチスによって殺された約1万人のお墓だと思うと心が痛んだ。私たちが生まれるほんの5,6年前のことだ。
小要塞の入口から中へ。チケット売り場で盛んに英語でのツアーを進められたが、聞いてもわからないので日本語のパンフレットを買い、自分たちで見て回った。団体客、特に学生のツアー客が多かったが、みんな重苦しい雰囲気で静かに説明を聞いていた。
囚人の登録が行われた受付事務所、郵便物の検問や囚人の尋問が行われた守衛所、衣類倉庫などがあったが、今はうす暗く、うす汚れたがらんとした部屋があるだけだった。
小要塞への入り口
国民墓地
監房が並ぶ第1の中庭
「労働は自由への道」のスローガン
ここに90人も詰め込まれた?
監房の入り口
暗い地下道を出た所が処刑場だった。裁判なしで250〜300人の囚人が銃殺されたらしいが、もう写真を撮る気も失せていた。
重苦しい気分のまま詳細に書かれたパンフレットを見ながら最後まで見て回った。プラハにもこういう悲惨な歴史があるという事実に少しでも触れる事が出来てよかったと思った。またこういう歴史や気候が、ここの人達が無愛想だと感じさせる原因かも知れないと思い始めた。