鹿 港
彰 化
埔 里
日月譚
台中からバスで1時間15分。かつては港町として栄えたが時代の繁栄に取り残され、それが古い街並みを残すきっかけとなり、今の観光地化へと繋がったそうだ。
赤レンガの家々や旧式の街並みが昔の面影を伝える古市街を散策した。また路地裏の九曲巷は今も人が住んでいるが、すれ違う人もほとんどなく、タイムスリップしたかのような雰囲気だった。
台中から電車で15分。旧正月の3日目に行ったが電車の中も町も人で一杯だった。やはりお正月には動くものではないと痛感した。駅から孔子廟前を通り、八掛山へ行った。
霧 社
霧社からの帰り途中下車。昔から台湾一の水質で酒造り、紙作りがさかんな所。その中でも観光の中心となっている埔里酒廠を訪れる。世界的に有名な酒造会社とかで、コース順にビン詰め等を見学し2階の酒文化館へ。
台湾国内初めて廃棄鉄道トンネルを改造した自転車専用道路で、全長約4,5キロある。並木道や鉄橋やトンネルもあり楽しかった。
集集線とは、彰化県の二水から南投県の車埕駅を結ぶローカル線のことで、日本統治時代に水力発電所の建設資材輸送の為に敷設された古い路線。車窓にバナナ畑や水田等の田園風景が広がり、また駅舎も当時のままの設備や情景が残っていて、人気のある観光地。
いろいろな種類のバナナを味見させてもらう
電車にまた乗り終点の車埕駅
川沿いに開けた温泉
水着着用の露天風呂
空中走廊を見上げる
高さ約23mのスカイウオーク
孔子廟は閉まっていた
八掛山山内
彰化市内を一望できる
高さ22mの八掛山大仏
霧社山胞抗日起義紀念碑入口
バス停のある通り
鎮圧した日本軍の首を並べた徳龍寺の階段
事件のリーダー、モーナルーダオの墓
日本人殉職者の墓の説明(今は墓なし)
霧社原住民抗日の碑
后里馬場で出会った台北のJさん
鉄橋上も走る
1,2キロのトンネル内を走る
往時の姿に復元された駅舎
四方を山に囲まれた車埕は林業で栄えていたが、今では貯水池や林業展示館がテーマパークのようになり林業文化を伝えている。
孟宗竹で造られた橋のある大学池
鶏頭自然教育園区入口
台湾を代表する観光地の1つ。南投客運千城のバスターミナルから約2時間。日月譚の名の由来は、湖に浮かぶラル島の東側が太陽、西側が三日月に似ているからとか。山と湖面が水墨画のような景色を織りなす風光明媚な景勝地らしいが、観光客が多くその雰囲気を味わえなかった。
昔の面影を伝える古市街 店も立ち並び観光客が多かった。名物のカラスミも安く売っていた。
季節風の強い風や砂の被害を受けないように、曲がり道を造り九曲港という名がついたという。ひっそりとしていたが人が住んでいる。
次に天后宮へ。台湾の各地で信仰の厚い媽祖が祭られている。台湾の人は信心深く、若者も熱心にお参りする姿が印象的だった。
参拝客が絶えない
天后宮参道
釘を使わない八角形の天井
彫刻が見事な龍山寺
線香の煙でくすんでいる媽祖
集集線に乗車
台中駅から電車で出発
二水駅で集集線に乗り換え
集集駅で途中下車
新しく建て直された武昌宮
レンタサイクルで見て廻る
1999年9月21日の地震で崩壊
台中からバスで約2時間。明治時代に発見されたことから、日本統治期は明治温泉の名で親しまれていた。切り立つ山あいにあるひっそりとした温泉。水着着用だが周囲の景色を眺めながら入る露天風呂は気持ちよかった。
谷関温泉
温泉の案内図
振英会館に毎年ステイされている人のお誘いで森林浴ウオークに行く。千城バスターミナルから約1時間30分。
ここは日本統治期は東京大学の実験林場だったが、今は台湾大学が引き継ぎ、森林生体園や、植物標本園等ありかなり広かった。色々なコースがあるが大学林道を歩き、大学池に向かった。
それから神木林道を歩き、一番楽しみにしていた空中走廊へとよく歩いた一日だった。
鶏頭自然教育園区
彰化駅
八掛山遊歩道で
霧社事件(台湾の植民地化を進める日本に対して原住民が抗日闘争を起こした事件)の事はよく知らなかったが、今回台中に来るに当たって本を読み少し勉強。
霧社は台中から埔里経由バスで約1時間45分。くねくねの山道を走り着いた所は海抜1148m、周囲を3000m級の高い山に囲まれた空気のきれいな所。
埔里酒廠
埔里の町へ入る
后豊サイクリングロード
途中で休憩 店も出ている
整備されていて走りやすい
バス停から歩いてスタート地点へ
九族文化村入口
ロープウエイから見た日月譚
オレンジ色の屋根の文武廟
日月譚を渡り向こう岸へ
日月譚遊覧船乗り場
南投客運バスに乗車