BANGKOK(バンコク)

1月7日(火)  関空→ソウル→バンコク(タイ)

夜9時、寒い日本を抜け出し一気に気温28度のバンコクに到着。あわてて上着、セーターを脱ぎすてる。今回は大韓航空の90日オープンジョーチケット(バンコク着、シンガポール発)を6,8万円で購入。ソウルで乗り継ぎのために4時間も空港で待たなければならなかった。直行便だと関空→バンコク6時間位なのに、倍の12時間もかかってしまった。まあ時間だけがたっぷりある私達だからいいとしよう。

まず空港で両替して、タクシースタンドを探す。到着ロビーから外へ出ると運転手が「タクシー?」と声をかけてくるが、知らん顔をして通り過ぎる。無許可の白タクだから危険らしい。ガイドブックに書いてあったとおりだ。タクシースタンド紹介のメーター式タクシーは運転手を決めてくれるのでぼったくられることもなく、もしトラブルがあれば連絡できるので安心だ。初めての町、それも夜ともなると何かと緊張する。

30分後、無事サイアム・ビバリーホテルに到着。インターネットで調べたアップルワールドでとりあえず6泊分を予約したのだが、1泊朝食付き2人で3000円(税、サービス料込)と大変安いのでどんなホテルか心配だった。でも14階建てでロビーも広くコーヒーショップ、レストラン、プールもありまあまあだった。部屋に入ってトイレの水の流れ、お風呂の湯、TVの写り具合などを簡単にチェック。部屋も広くミニバー、洋服ダンスに引き出し、簡単なドレッサーもありなかなかいいではないか。ただ水回りが古かったがこの値段だからと納得した。

お腹がすいたので食事に外へ出るが、近くにレストランもなくタイ名物の屋台が並んでいた。雑踏で埃っぽく裸電球がぶら下がっているだけで食べる気がしなかった。仕方なくホテルへ戻りコーヒーショップでパンとコーヒーで夕食とした。(後でわかったことだが、10分も歩けばカルフールジャスコがありレストランも数多くあった。)



1月8日(水) 初めて市バスに乗る

今日は町の中心にあるHIS(日本の旅行代理店)にチェンマイまでの汽車の往復切符、マレーシアのペナンまでの寝台車の予約に行った。タクシーで行けば簡単だが、市民の足である市バスを利用することにした。


バンコクのバス路線は番号で識別されわかりやすく、HISに一番近いと思われるバスに乗った。車掌が切符を売りに来たので降りる場所を言い地図を見せた。ところが英語なので読めず周りの人にも見せたが、誰もわからずそのまま行ってしまった。車掌が戻って来て何回も降りる場所を言ったら今度は通じたらしく、このバスは行かないと言い地図に乗りかえるバスの番号を書いてくれた(勿論タイ語なのでわからなかったが、ジェスチャーで理解)。仕方なく次のバス停で降りたがバス代は要らなかった。

教えてもらった番号のバスが来たので乗り、車掌に降りる場所を言うと今度は通じ2人で20バーツ(60円)を払った。あまりの安さに驚いた。バスには多くの人が乗っていたが観光客は私達だけで珍しいのか、バス停が近づくと周りの人が合図してくれた。タイ語がわからなくとも何とかなるものだ。HISでは簡単に予約でき、今後の旅の予定が立ったので安心した。

その後BTS(スカイトレイン)に乗り一番賑やかなサーヤム・スクエアワールド・トレード・センター、そごうへ行った。都会はどこも同じで人や物であふれていて日本とあまり変わらなかった。夕食はタイすき(日本の鍋物)を食べた。ビール2本を注文しお腹一杯食べても500バーツ(1500円)で満足した。当分の間、この物価の安さに驚きそうだ。




1月9日(木) 王宮周辺の観光

今日もバスで観光に出かけた。昨日そごうで日本語とタイ語で書かれた「バス路線図」を買ったので、車掌にタイ語を指すだけで行きたいところが通じこれは便利だった。



まずワット・プラオケ王宮へ行った。熱心な仏教信者の多いタイには、町のあちこちにワット(仏教寺院)を見かけるが、その第一級寺院がワット・プラオケで本尊のエメラルド仏が有名らしい。案外小さかった。

次に「寝釈迦像」で有名なワット・ポーへ。長さ46m、高さ15mの金色に輝いた仏像が横になっている姿は圧巻だった。

最後にチャオプラヤー川を渡ってワット・アルンへ。空に聳え立つような79mの大仏塔と4基の小塔からなる景色はとても優雅だった。

帰りもバスを乗り継いだが大渋滞に合い、20分ぐらいまったく動かなかった。エアコンバスではないので窓は開けたまま。道路を埋め尽くすような車、車の列。その合間を縫うように多くのバイクが排ガスを撒き散らしながら走って行く。見ているだけで冷や冷やする。よく交通事故が起こらないものだ。町は埃っぽく空気が汚れ、バスに乗っただけでのどが痛くなってしまった

夕食はガイドブックで調べたシーフードのレストランへ行った。写真入りのメニューで注文しやすく、塩茹でのエビ、カニ1匹を丸ごと使ったカレーいため、トム・ヤン・クンチャーハン等をイヤというほど食べた。タイでは何を食べてもおいしく同じアジアだと痛感した。



 

1月10日(金) バンコク郊外 水上マーケットとローズガーデンへ


バンコクから南西に80キロの所にあり、自力で行くには何回もバスを乗り継ぎ船をチャーターしなければならないとガイドブックにあったので、仕方なくHISのツアーに参加した。バンコク郊外に出るとやしの木や水田風景が見られほっとした。水上マーケットに行くまでに、ココナッツ農場木彫の店に連れて行かれ、みやげ物やばかりでウンザリした。

水上マーケットは昔はあちこちで見られたのだが、今は観光客のためにここだけ残されているらしい。左右に屋根付きやテント張りの店が並ぶ運河を、野菜や果物、土産物を載せた何艘もの小船が水路を狭しと往来する。私達が乗った船が近づくと声高に「帽子、安いよ!」等と言い,目でも合わそうものなら船を止めてしまいなかなか行かせてくれない。値段は非常に高く交渉して言い値の半額で買うらしい。

ローズガーデンは、観光客にタイの伝統文化や風俗を伝えるために造られたレジャーランドで、広い敷地は緑にあふれ欄の花が咲いてきれいだった。タイ文化ショーでは、ファーン・レップ(爪ダンス)ムエ・タイ(タイ式ボクシング)の試合、結婚式の様子、像の曲芸などがあり楽しめた。ツアーはホテルへの送迎あり、見たい所を効率よく回れるので便利だが、土産物屋で時間を取りすぎ庶民の生活に触れることも少なく、私達には向かないとわかった。

夕食はホテル近くのジャスコに行った。日本の食料品もあり(値段は1.5倍)、山崎パン、ビデオレンタルのつたやもあった。ラーメン8番で餃子ラーメンセットを食べた。まさしく日本の味だった。


1月11日(土) タイ式マッサージに

HARUが風邪気味なので衛星放送でNHKを見ながら昼過ぎまで部屋でごろごろしていた。タイは日本よりも2時間遅いので、日本の正午のニュースをここでは午前10時に見るわけだ。部屋でTVを見ているとここは日本?と勘違いしてしまう。

3時ごろタイ式マッサージに出かけた。スカイトレインのトンロー駅前のカノクウェートという店だ。目の不自由な人たちの自立を目的として建てられた所で、技も確かで安心できるとガイドブックにあった。店に入りまず足を洗ってもらい、薄暗くした部屋に案内されそこで着替え。

片言の英語、日本語が通じるのでHARUは腰が痛いと言いそこを中心にマッサージ。MINEはお任せで足、特に太ももとふくらはぎをしてくれた。プロだから何も言わなくてもわかるのだろう。1時間たっぷり全身をマッサージしてもらいそれで200バーツ(600円)。大変気持ちよく病み付きになりそうだ


 

1月12日(日) 世界文化遺産のアユタヤーへ


国鉄のファランポーン駅から1時間45分でアユタヤーに到着。駅で切符の買い方がわかるだろうか、英語が通じるかなど心配したがすべてすんなりいった。クーラーなしの普通車の3等、2人で30バーツ(90円)。1時間45分も乗ってこの値段なんて本当に信じられない!ただし列車の揺れはひどく、ギギーッと音を立てて止まるのでそのたびにひやひやした。

ガイドブックによると、アユタヤーは1350年から417年間にわたって王国が築かれた場所で、17世紀にはヨーロッパ諸国と外交関係を結び、とても栄えていたらしい。ところがたび重なるビルマとの戦いで陥落し、ビルマ軍の手によって当時の建造物は徹底的に破壊されたとある。

アユタヤー歴史公園はとても広いので、駅前でレンタサイクルを借りあちこちを見て回った。アユタヤ―王宮跡ワット・プラ・シー・サンペット等ガイドブックを読みながら進んだが、どれもみな完全に破壊され顔のない仏像がずらっと並び、土台だけが残っている寺院は何とも無残で表現の仕様がなかった。

ワット・ロカヤスタと言う大寝釈迦像を探したが見つからず、民家の並んでいる通りに入っていった。屋台にいた英語が通じそうな若者に聞いたがジェスチャ―で方向を指すだけで、まったくわからなかった。暑い中自転車で走り廻ったが結局わからず、お尻も痛くなりあきらめた

帰りの汽車は急行で、大きな荷物を持った人も多くかなり混んでいた。何とかMINE一人だけ座れたが、しばらくしてHARUと席を替わろうかと話していると、前に座っていた怖そうな顔のおじさんが急に立ちHARUに座れと合図した。次の駅で降りると思っていたが、そうではなく席を譲ってくれた優しい人だった。人を外観で判断してはいけないとつくづく思った。また自転車で渡し船に乗ろうとした時も、1人の少年が自転車を運んでくれた。覚えたてのタイ語で「コッープン・カー」と言うと静かに微笑んでくれ、物腰がとても柔らかで感じがよかった。

明日はバンコクからチェンマイまで11時間の列車の旅なので、帰りにカルフールに寄りパンや果物などの食料を買った。今日汽車の中で食べ物やお弁当を売りに来たが、私達の口には合わないだろうと思えたからだ。カルフールは日本の2倍以上の広さで、日曜日とあって家族づれで賑わっていた。MINEの好きなタイすきを食べるのに、名前を書き20分も待たされた。



 

1月13日(月) 大変、列車に乗り遅れる!

今日はいよいよタイ北部最大の都市、チェンマイへ移動の日。昨日と同じファランポーン駅からの乗車なので、タクシーで1時間もあれば十分だろうとホテルを出た。MINEがタクシーを止めHARUが運転手に「ファランポーン・ステイション」と言うと運転手は怪訝そうな顔。何回も言ってやっと「OK」と言ったので、やれやれと思い高速を走りだした。

ところが昨日は15分で駅に着いたのに、30分経ってもまだ高速の上。おまけに大渋滞でなかなか前に進めない。少しイライラし始め大丈夫だろうか?と何回も時計を見たが、まだ30分あるし間に合うと自分に言い聞かせた。発車15分前やっと高速から降りやれやれ・・と思ったところ、運転手が「ライト?レフト?」と聞いてくる。「ええっー、何言ってるの?こっちは知らん!」あきれて言ったら、ここがパッポン通りだと言う。「違う。ファランポーン駅で汽車でチェンマイまで行くの!」とあわてて切符を見せると、「パッポン通りと聞こえた、何故チェンマイと言わなかったんだ。」と運転手もかなり慌てた様子。

「ファランポーン駅と言うと、あんたがOKと言った!」とお互い声高に何回かのやり取り。もう腹の立つこと!ついに運転手は「トゥクトゥク(小型オート三輪)に乗ったほうが速い。」と言い出すが、こんな所で降ろされてたまるか。これだけ渋滞していたら何に乗っても同じ・・・と私達は譲らない。

運転手も私達ももう間に合わないとあきらめ、お互い沈黙のまま車を走らせた。それでも駅に着くと慌ててタクシーから降り改札口に走り出そうとしたら、インフォメーションの名札をつけたおじさん2人が荷物を持って一緒に走ってくれ、改札口で汽車は?と聞いてくれた。する2分前に出たとのこと。残念!たった2分なのに・・・。あーあ、どうしよう?昼間はこの汽車しかないのに。夜行になったら予約しているチェンマイのホテルはどうなるの?・・・といろんなことが頭の中をぐるぐる回った

そんな私達とは別に親切なおじさんたちは慣れているのか、時刻表を見てタクシーで追いかけるか考えてくれたり、夜行しかないと切符売り場まで荷物を運んでくれて、窓口の人に切符の払い戻しの指示をしてくれた。さすが国鉄の職員だ有難いと思ったが、ふと切符売り場の係員の顔を見るとこの2人のことは全く無視。同じ職員なのにおかしいな?と思った時、急にガイドブックで読んだファランポーン駅のインフォメーション係に注意!が浮かんできた。それは旅行会社の客引きで騙されることが多く、汽車がないと嘘をついたり、高い値段で切符を買わされたりするので、相手にしないほうがいいと書いてあった。

あっと思ったMINEは、そのおじさん達に任せず自分で切符をしっかり握り払い戻しをし、新たに特急2等寝台車の切符を買った。その後もおじさん達は手荷物預かりの場所を教えてくれたり親切だったが、お礼だけ言ってさっさと別れた。未だにその人達がいい人か悪い人かわからないが、慌てているときは十分注意しなければならないと身をもって知った。



夜行汽車の発車は夕方6時、それまで9時間もあるのでどのように時間を潰すか考えた。まず荷物を預け駅に近いホテルのロビーで休憩。その後久しぶりに和食を食べようと、日本人の多いタニヤ通りまで歩いた。途中スーツ姿の紳士らしい中国人が話し掛けてきて、タニヤ通りを教えてくれ、親切な人だと思った。

次にシルクで有名なジム・トンプソンの店の前にいたら、中年の女性が声をかけてきてもっと安くていいシルクの」店があるから・・・と誘われた。無視して歩き始めると、次にどこへ行くのかいい店があるよと、また男性が声をかけてきた。よく見るとあちこちに暇そうに壁にもたれている人がいた。日本人を狙う詐欺士だ。バンコクで旅行者を狙った詐欺事件が多発しているので注意、とガイドブックにあったがこれもそのとおりだった。だんだんとバンコクの町がイヤになって来た。大気汚染、交通渋滞、騒音など人間の住める所ではないと思った。後は疲れきって日本人の多い高級ホテルのロビーでぼーっとし時間を潰した。

夕方5時、早めに駅に戻り6時の夜行に乗った。汽車は思ったよりきれいでさすが特急でスペードも出た。向かいの席は初老のタイ人の夫婦でクリスチャンの集会でチェンマイに行くとたどたどしい英語で話し掛けて来た。車内は明るく欧米の旅行者も多く鉄道警官もいたので安心した。8時頃女性の車掌さんが寝台の用意をしてくれた。カーテンを引き貴重品をしっかり枕もとにおき早めに寝た。




    

 

 

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