1月19日(土) 関空→バンコク

今回の旅はJALパック「アンコールワット&ホーチミン7日間」に申し込んだ
アンコール遺跡とホーチミンに行きたいというだけで内容をよく見もせず、直前にあわてて申し込んだ。そのため、バンコクには遅く着き(23時頃))、翌朝早く出発(朝5時頃)という大変疲れる旅程になりバンコクのホテルはただ寝るだけだった。もっとしっかり確認すべきだったと反省。


1月20日(日) バンコク→シェムリアップ  アンコール・トムとアンコール・ワット観光


予定通り10時シェムリアップ空港到着。現地ガイドのリャスマイさんという若い女性が出迎えてくれ、早速おんぼろのベンツでアンコール・トムへ向かう。聞くとアンコール遺跡での3日間は私たち2人だけで、ガイドさんとお抱え運転手つきの観光となる。

アンコール・トムは12世紀末、クメール王国の王、ジャヤヴァルマン7世によって建てられた都市で幅113mの環濠と、高さ8m
1辺3kmの壁で囲まれた城塞となっている。外部へ通じる5つの門は朝開き、夜は閉じられたと言う。

観光客は主に南大門から入り、森の中を少し歩くとアンコール・トムの中核をなす寺院、バイヨンが現れた。寺院内には高さ42mの中央本殿を取り囲むように16の尖塔が林立し、それらの頭部は優しく表情豊かな観音菩薩の巨大な顔が刻まれていて、歴史の重みを感じ見ごがあった。
また回廊の壁には当時の貴族や庶民の生活の様子を刻んだレリーフが数多く残っていて、ガイドさんが1つ1つ説明してくれるが、たどたどしい日本語でわかり難く理解するのに疲れてしまった。


                

           アンコール・トム南大門                          バイヨンの全景                       観音菩薩の顔 


その後のテラスやライ王のテラスを見て回り、昼食のためにシェムリアップに戻った。シェムリアップのメイン通りは、ホテルや美術館、みやげ物店など新しい大きな建物があり観光地らしかったが、一歩横道に入り市民の生活をのぞくと、雑然としていて埃っぽく貧しそうだった。この国は内戦終了後10年にしかならないので、まだ復興途上だそうだ。小学校も義務教育ではなく、子供の物売りが多かった。街中を横切る国道6号線や、6つある信号のうち3つは日本の援助で造られたと、ガイドさんは嬉しそうに説明してくれた。

昼食は外国人向けのレストランで、カンボジア名物のクイティウ(米から作った麺とスープ)等を食べたが、どれもあっさりしていておいしかった。個人旅行だとレストラン選びからメニューを見ての注文に頭を悩ませるが、パック旅行だと食事も決まっているのでこういう点は楽だった。昼食後はホテルにチェック・インし一休みした。
  


3時ごろにホテルを出てアンコール・ワットに向かった。アンコール・ワットは12世紀前半に、スーリヤヴァルマン2世によって30年あまりの年月を費やして建造された巨大な石造寺院。ヒンドゥー教のヴィシュヌ神寺院として、また王の墳墓として造られた。

天空に近づくピラミッド型石造寺院としてあまりにも有名で、写真集でよく目にしていたが、実際に見るとかなり崩壊しており残念だった。ジャングルの中で長い間雨風にさらされたり、また内戦などによる破壊、略奪などで大部分の仏像の首が切られたりしてみるのも無残だった。日本を初め、フランス、アメリカ、中国等も修復作業に参加しているが、なかなか進まないようだ。

ガイドさんの案内で第1回廊の見事なレリーフをみて、第2回廊や第3回廊を回ったが、暑さと疲れで頭がごちゃごちゃになりどこを歩いているのかわからなかった。またグループだとガイドさんの説明も適当に聞き流せるが、一生懸命説明してくれるので、真剣に聞かなければならず余計に疲れた。


夕食は市内の中華レストランへ案内されたが、日本人の観光客が多かった。この国の通貨はリエル(Riel)で、1US$は4000リエル、1円は32リエルだが観光客が行くようなレストランでは、ドルが通用するので、現地通貨に両替する必要性は全く感じなかった。ちなみに缶ビール1本2〜3US$だった。私たちが食事を終わるまで、ガイドさんと運転手が待っていると思うと、落ち着いて食事ができなかった。7時ごろホテルに戻り長い1日がやっと終わった。




1月21日(月) 周辺の遺跡群観光

朝5時起床、5時40分アンコール・ワットの日の出を見るためにホテルを出た。まだ薄暗く少し肌寒い。アンコール・ワットに着くともうすでに多くの人々が集まっており、じっとカメラを抱えて待っていた。春分の日と秋分の日には、ちょうどアンコール・ワットの真ん中から日の出が見えるそうだが、残念ながら今日はかなり右寄りだった。日の出が終わると観光客はそれぞれホテルに引き上げ、私たちもホテルに戻り朝食をとった。

8時40分再びホテルを出発し、午前中は周辺にある遺跡群で大回りコースのプリア・カーンからスタートし、ニャック・ポアン、東メボン、プレ・ループと見て回った。それぞれ9世紀から12世紀にかけて造られたものらしいが、どことも崩壊がひどく堂塔に登る石の階段もひびが入りこわごわよじ登った。

昼食は市内のレストランで、カンボジア料理のココナッツカレー「アモック」を食べた。少し甘かったが焼き飯や揚げ春巻きなどもあり案外おいしかった。食後はホテルに帰り少し休憩。朝が早かったので2時間ほど昼寝をした。



         
             アンコール・ワットの日の出            ニヤック・ポアン(乾季のため水がないが池)                 プレ・ループ



午後から再び遺跡群めぐり。小回りコースのスラ・スラン、タ・プローム、タ・ケウとみて回った。中でも圧巻だったのはタ・プロームで、巨大に成長したガジュマルの木々が遺跡に覆いかぶさり、石組の隙間にはくまなく根と幹が入りこんでいる。中には大蛇のように建物にのしかかり、太い根を張りまるで生きているようなものもあった。遺跡の70%近くが倒壊し、このままでは遺跡全体がガジュマルの木々で覆い隠されるのでは?と自然の脅威を感じた。



                      
       巨大な木に覆われたタ・プローム              同じくタ・プローム                             タ・ケウ全景


夕方、プノン・バケンの丘からのサンセットを眺めに行った。ここも多くの観光客がほこりまみれになりながら、山頂を目指して歩いていた。山頂にはピラミッド型寺院が立ち、下の方に目をやると西日を浴びて樹海に浮かび上がるアンコール・ワットが眺められた。真っ赤に染まった西バライとジャングルに沈む太陽を見て早めに山道を下った。


1月22日(火) 午前中 バンテアイ・スレイ観光   シェムリアップ→ホーチミン(ベトナム) 市内観光

朝ホテルをチェック・アウトし車に荷物を積んだまま、市内から約40キロ離れた郊外に向かった。町を外れると水田や野原が広がりのんびりした田舎の風景に変わる。時折大きな荷物を積んだ牛車や、荷台に野菜をくくりつけたバイクが通り過ぎていく。また、バナナやヤシの木々の間には高床式の家々が並び、家の周りで働いている人々や裸足で走り回っている子供たちの姿が見えた。


9時30分ごろ、バンテアイ・スレイに到着。「女の砦」と言う意味のこの遺跡は建物全体が赤っぽく素敵だった。ここの見ものは、中央神殿の祠堂に刻まれたデヴァターの彫像で、世界屈指の美術作品として知られ、その柔和な表情から「東洋のモナリザ」と呼ばれ有名らしい。

        

                  
            バンテアイ・スレイ全景                       中央神殿祠堂                          東洋のモナリザ
    

バンテアイ・スレイの観光が終わりそのまま空港まで行き、予定通り1時30分のベトナム航空でホーチミンまで飛んだ。ここでも同じようにガイドさんとお抱え運転手が待っていて、すぐ市内観光に案内された。

サイゴン陥落の舞台となった旧南ベトナム大統領官邸の統一教会。ベトナム戦争の残酷さを克明に表した戦争証跡博物館。館内は写真やパネルで戦争の恐ろしさを浮き彫りにし、奇形の胎児のホルマリン漬け等を展示し枯葉剤の被害を説明していた。フランス植民地時代に建てられたフレンチスタイルの中央郵便局や聖母マリア教会。市民の生活が感じられるベンタイン市場等を見て回った。

私たちのイメージするベトナムは、ベトナム戦争、ベトコン、ベトナム難民など悲惨で暗いものだったが、実際目にするホーチミン市内は高層ビルが立ち並び、街のあちこちで道路工事や新築工事が行われ活気に満ちていた。
市民の足は路線バスかバイクで、マスクに2人乗りのバイクが我が物顔で縦横無尽に走り回るのには驚いた。ガイドさんに道を渡りましょうと言われても、左右から次々に来る車やバイクに足がすくみ怖くて渡れず、ガイドさんを盾にしてくっついて横断した。


夕食は本式のベトナム料理で、レストランの雰囲気もおしゃれで民族音楽の生演奏もあり満足した。


        
         ホーチミン市内                             聖母マリア教会                     市民の足のバイク、バイク



1月23日(水) クチトンネルへ(HARU交通事故にあう)

朝8時にホテルを出発し、ホーチミンの北西65キロほどにあるクチトンネルに向かった。ここはかつてベトナム戦争の激しい戦場となった町で、アメリカ軍を翻弄したベトコンの作戦本部があったところだ。


まずベトナム戦争時の映画や、アリの巣のようなトンネル内の簡単な模型を見た。このトンネルは手で掘り進められ全長が250キロというから驚きだ。トンネル内には司令室や診療所、台所も造られ、入口は草や木で巧妙に隠され内部は迷路のように入り組んでいた。

次にトンネルの見学コースに進み、実際に使われた戦車や武器の展示、ゴムぞうりや黒い服を作った作業所などを見て回り、いよいよトンネル内部に入った。観光客が入れるトンネルは深さ約3m、長さは50mほどのものだが、中は真っ暗でかがんで進むのが精一杯。蒸し暑く、狭いトンネル内にいると腰もだんだんとだるくなり、こんな所に潜んで生活していたなんて想像もつかない。命がけだったからできたのだろう。


最後に地下に掘られた台所と食堂を見て、ベトコンの主食であった蒸しタロイモを食べた。彼らは肉や魚などは口にせず、芋やタピオカなどを食べていたそうだ。クチトンネルの見学が終わり、再びホーチミンに帰り自由行動となった。私たちはホテル近くのマッサージ店に行き、1時間ほど足ツボと上半身のマッサージを受け旅の疲れがほぐれた。

その後、MINEはホテルに帰りHARUは近くを散歩すると言って一人で出かけた。1時間後、HARUから電話があり交通事故にあったという。あわててホテルのフロントまで降りて行くと、左足を出してソファに座っているHARUを見つけた。一見してひどい怪我ではなさそうなので、まずはほっとした。
話を聞くと、道路を渡ろうとして左右を確認したが、その時誰かに声をかけられ一瞬振り向き、そのまま渡ろうとしたらしい。体の左をドンと押された感じがして倒れ、左足の甲のあたりが痛いっ!と思っただけで後は何も覚えてないと言う。気がつくと十数人が集まり、ホスピタルやジャパンという声がして、歩道まで運んでくれ、運転手らしき人がタイガーバームのような液体を塗ってくれたそうだ。また運転手らしき人が何回もOK?かと聞くのでOKと言い、ホテルまで送ってもらい私に電話をしている間に、どこかへ行ってしまったという。

傷を見ると膝頭の擦り傷と、左足の甲が赤紫になり全体に腫れている。痛みはそれほどでもないが捻挫か骨折だろう。部屋に戻りとりあえず冷蔵庫の氷で冷やし、現地の旅行代理店に電話をした。すぐに日本人が出て対応してくれ、近くの診療所につれてもらった。そこは内科なので詳しくは分からないが、骨折しているかも知れないと言われた。シップ薬をもらい、レントゲンは日本で撮ることにしてホテルに帰った。

交通事故だと聞いたときには心臓が飛び出るほどに驚き、自分に落ち着け、落ち着けと言い聞かせながら、パスポートやカード、傷害保険の書類を用意した。でもまだこの程度で済んで不幸中の幸いだったと言えるだろう。足の甲をタイヤで轢かれただけで済んだが、後数センチでも飛び出していたらくるぶしや、ふくらはぎを轢かれ複雑骨折で入院と言うことに成りかねない。HARUも今回のことは自分が悪いのだからと、運転手を悪く言う気もないようだった。海外では何か起きた時に一人では対処の仕様がないし、今後は必ず二人で行動すべきだと痛感した。



               
          実際に使用された戦車                    トンネルの入口                           マッサージ



1月24日(木) メコン・デルタの町ミトーへ

今日は最後の日。HARUの足の腫れもそんなにひどくないし、痛みもあまりないようなので予定通り行動。ただし左足に十分注意しなるべく歩かないように気をつけた。飛行機の出発は夜なので、まずチェック・アウトし荷物をフロントに預けた。8時30分にホテルを出て、車で2時間30分ほどでミトーに着いた。ここから20人乗り程のボートに乗り込み、赤茶色に濁ったメコン川を20分ほどかけて渡った。

着いたところがフルーツの島タイソン島。パパイヤ、ランブータン、マンゴーなどの試食をしたり、蜂蜜入りのお茶を飲んだり、民族衣装を着た女性たちの歌を聴いたりとゆっくりすごした。その後小さな手漕ぎボートに乗って、うっそうと茂る木々をかき分けて川幅5m程の川を下った。今はのんびりしているけど、ベトナム戦争時は激戦区で多くの人々が死んだり傷ついたりしたと思うと複雑な気持ちだった。
昼食は観光客でにぎわう雰囲気のあるレストランで、名物の象の耳に似た淡水魚、エレファントフィッシュを食べた。




                 
         南国フルーツがいっぱい                      メコンデルタを行く小船               エレファントフィッシュ


4時過ぎホテルに戻り、近くの店をのぞいたりロビーでくつろいだりして、夜までの時間をすごした。夜8時ガイドさんに空港まで送ってらった。空港では日本語を話すスタッフが親切に対応してくれ、HARUが捻挫していると言うと車椅子を貸してくれ、1番に搭乗させてくれた。



1月25日(金) ホーチミン→関空  

予定通り真夜中の12時10分にホーチミンを飛びたった。帰りは5時間弱の飛行時間で楽だった。関空には車椅子を用意したスタッフが待っていて、車椅子を押してもらい入国審査も税関もスムーズに行った。おまけにJRの改札口まで送ってもらい大変ありがたかった。
帰りに整形外科によりレントゲンを撮ると、左足の中指が骨折し2ヶ月ほどかかるでしょうと言われた。交通事故にあいびっくりした旅だったが、これくらいですんでよかった。


                                               


     

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