2.グランド・サークルの旅

ユタ州とアリゾナ州の境に、レイクパウエルという巨大な人造湖がある。ここを中心に半径230キロの円を描いてみると、円の内部に8の国立公園10の国定公園が含まれる。驚異の大自然と、先住民の歴史と文化に彩られたこの地域を、グランドサークルと呼び、アメリカではたいへんポピュラーな観光地になっている。(地球の歩き方より)

この地域は、アメリカ大陸があまりにも巨大だったため、発見が遅れ、また自然が厳しすぎたので、開発からも取り残されたらしい。今もなお、車の他には交通機関のない辺ぴな所で、それだけによけい “手付かずの自然がそのまま残っている” ということで、とても楽しみにしていた。

 

 


6月21日(木)
Las Vagas(ネバダ州)⇒Zion国立公園(ユタ州)  走行距離298キロ



ラスベガスからI−15で アリゾナ州に少し入り、その後ユタ州のセント・ジョージへ。ここまで225キロを2時間強しかかからなかった。いくらでも走れるので、ついスピードが出てしまうようだ。気がつけば120キロ、130キロということもあった。隣のMINEははらはらし、命は一つ、気をつけて!・・・とばかり言っていた。

セント・ジョージからはUT−9に入り、あまり飛ばせずホットした。景色もだんだんと赤茶けた岩山に変わり、大きな断層も見え始め、峡谷が迫ってきた感じだ。あまりのすごさに “写真を撮ろう”と思ったが、まだまだこれからと我慢した。でも、日本だとこの程度でも 立派な観光地になり、人で賑わうのだろうな?

 

店やモーテル、レストランが見えはじめた。スプリングデ―ルという町だった。ヨーホーで失敗したので、今度は町の名前を確認し、『地球の歩き方』に載っていたモーテルに予約した。部屋に入って時計を見ると、1時間早くなっていた。カリフォルニア州、ネバダ州は太平洋時間だったが、ここユタ州は山岳時間に変わったのだ。

いそいで公園の南口から入り、シーニック・ドライブコースを走ろうとしたが、許可された車だけで、一般車は通行禁止らしい。その代わり無料のシャトルバスが、15分おきに走っている。駐車場が少ないのと、排ガス汚染対策だろう。HARUは、バスの窓からゆっくり巨石群が見られると喜んでいた。

バスの左右に、高さ600〜800mの巨大な岩壁が迫ってくる。運転手がガイドしてくれるが、あまりにも巨大過ぎて窓から見えないし、バスから下りて写真を撮ろうと思うが、大きすぎて全体が入らない。



シーニック・ドライブの突きあたりで下り、ここから峡谷の奥へ 30分程歩いた所でストップ。ここからは、川の中をジャブジャブ歩いて行くのだ。

私達も、短パン姿でスニーカーをはいたまま、杖を持って歩き始めた。日中は36度であったが5時半ともなり、まして日陰となると涼しい。だんだん足が冷たくなり、20分ほど歩いて引き返した。

この川の中を歩くトレイルをナローズと言って、まだまだ歩き続けると、川はどんどん細くなり、垂直の岸壁が迫ってくるそうな。最後には人が2人つながって手を伸ばせば、両側の壁に届いてしまうとか・・・。もう少し若ければ、挑戦するのになあと言いながら、早々と引き上げた。



 

6月22日(金)
Zion(ユタ州)⇒Bryce Canyon国立公園(ユタ州)  走行距離133キロ

朝から洗濯をしてゆっくりした。乾燥機を使ったら、1時間もかかるので、下着やら、ティーシャツ、ジーパンなどを車の中に広げて走った。対向車が少ないから、こんなことが出来るのだ。2時間弱でブライス・キャニオンに着いた。

公園入り口に、Best Westen Ruby’s Inn しかなかったので、そこに決めた。これで今夜の宿も決まり、やれやれ。ここではトレイルを歩くつもりなので、虫除けスプレー、帽子、飲み水などを用意し、荷物を置いてすぐに出発。

まず、サンセット・ポイント、サンライズ・ポイント、それからインスピレーション・ポイントに行った。駐車場に車を置いて歩いて行くと、突然目の前にブライス・キャニオンが現れた。わあ、すごい!の言葉しか出なかった。足元に、何千もの尖塔やお城、チェスの駒のようなものが広がり、今まで見たことがない世界を創り出していた。まるで三次元の世界か、SFの未来都市のようだった。

 

次のポイントも2ヶ所見て廻ったが、どこも素晴らしく、是非とも谷底へ下りて、下から尖塔群を見たいと思った。1〜2時間で行ける一番短く、標高差98mのクイーンズ・ガーデントレイルに行くことにした。陽射しはきつかったが、風も涼しく、下り坂なので最初は快調だった。

尖塔群を真横に、目の高さに見ると砂岩のような感じで、赤、黄、緑、紫など場所により、岩の色が違った。また、水もないのに小さな花が咲いていた。真下に下りるのかと思ったが、ぐるっと大回りをしているようだった。だんだん日陰がなくなり、場所によっては風もなく、暑くなりいやになってきた。40分程歩いただろうか?谷底らしいところに着いた。しだ類が生え、白樺、楓など多くの樹が見られた。下から見る尖塔群は、1つ1つがとても大きかった。

帰りは、景色を見る余裕もなく、急な登り坂を1000 歩いたら休憩というふうに、自分を励ましながら歩いた。やっと、やっと到着。日ごろの運動不足がこたえた。でも、素晴らしい夕焼けを見るために、夜の9時のサン・セットを待った。私達のほかに、4,5組のカップルがいた。みんな黙ったまま、いつまでも夕日を見つめていた。

 


6月23日(土)
Bryce Canyon(ユタ州)⇒Grand Canyon国立公園サウスリム(アリゾナ州)  走行距離480キロ


足の筋肉痛と日焼けで体はガタガタだったが、から元気を出して出発した。途中レイク・パウエルの中心地ページで休憩。その時に、遥かかなたに稲妻がいくつも光るのを見た。方角は、これから行こうとしている、グランド・キャニオンの方だった。何かいやな予感がした。ページからは、アリゾナ州なので、時間をまた1時間戻して出発。(夏時間を採用していない。)

ここからUS−89で グランド・キャニオンに行く車は少ないのか、あまり出会わなかった。真っ直ぐな道がどこまでも続き、ナバホ族居留地に入ると、道の両側にお粗末な掘っ立て小屋が見えはじめた。ネイティブ・インディアン手作りの、銀製品や、ジュエリーが売っていた。だんだん空が曇りはじめ、稲妻も次第に近くなって来た。というより私達が、雷の鳴っている方へ行っていた。稲妻が目の前で光り、落雷の音が地の底から響いてきたが、車には落ちないよね!といって、怖さをごまかしていた。


やっとグランド・キャニオン国立公園に北口から入り、雷も終わったと思ったら、急に雨が降り始めた。バラバラ・・・と大粒の雨がフロント・ガラスを打ち始め、その内に台風のような大雨と強風で、車の中は何も聞こえず、ただワイパーだけが必死に動いていた。HARUもMINEも身を前に乗り出し、前を行く車のテールランプだけが頼りだった。車を止め様にも、そんな場所は一つもなかった。その内に、大粒の雨がみぞれに変わった。道の端は、少し雪が積もっていた。信じられなかった。お昼には暑くて、アイスキャンディを食べたところなのに・・・。

20〜30分走っただろうか?やっと恐怖を乗り越えられた。2人とも息を止めて前を見ていたので、肩がパンパンにこっていた。南口ゲートから出て、公園外のTusayanでモーテルを探した。本当ならここだけ 公園内にロッジが取れていたのだが、日程の関係でキャンセルした。おしかった。さすが有名な観光地だけあって、たくさんホテルやモーテルがあり、すぐに決めた。

疲れ切っていたが、HARUの憧れの地。すぐにキャニオンを見に行こうと出かけたが、肝心のビューポイントには、シャトルバスを利用しなければならず、さんざん迷ってしまった。やっとバスに乗り、ヤキ・ポイントまで行ったが、もう一つよく見えなかった。仕方がないので南口にあったアイマック・シアターで、グランドキャニオンの映画を見た。超大型画面に映し出される、キャニオンはすごい迫力で値打ちがあった


6月24日(日)
Grand Canyon国立公園(アリゾナ州)




HARUの希望により、遊覧飛行をすることにした。MINEは30年前と15年位前に、ラスベガスから飛んだことがあるので、今回はパス。本当は電話で予約できるのだが、空港に近いので直接行って予約した。HARUの希望により、5人乗りの1時間飛行のコースを選んだ。待たずにすぐに乗れた。

1時間後、HARUはぐったりして帰って来た。セスナ機に酔って、気分が悪くなったらしい。トイレに行っても気分が良くならず、30分くらい空港のベンチで休んでいた。少し気分が良くなったので、感想を聞くと “初めからよく揺れ、途中で気分が悪くなりずっと我慢していた。あまり見えず、昨日見たアイマックスの方が、すごく良かった。”なんて・・・。あほらし。高いお金を払ったのに。

昼からシャトルバスに乗り継いだり、トレイルを歩いたりして、全てのポイントを見て回った。HARUにとっては憧れのグランド・キャニオン、とても良かったらしい。でもMINEは30年前の方が、もっと印象的だった。自分の人生観が変わったくらいだから。贅沢な話だけど、やはり一番最初の印象が強烈みたい。

夜、星空を見に外へ出ると、私達の車の真横に 体長3メートル近くもあるエルクが現れ、何かを食べていた。怖さ半分、興味半分で近寄ってじっと見ていた。インターネットを繋ごうとしたが、残念ながらAOLのAPがなく、メールも送れなかった。

 



6月25日(月)
Grand Canyon(アリゾナ州)⇒Monument Valley⇒Cortez(コロラド州) 走行距離 513キロ

2泊したグランドキャニオンを後にして、まずはモニュメントバレーに向かった。モニュメントバレー近くの町 Kayentaのキング・バーガーでひと休みしていると、ナバホ族の青年がタバコを欲しいと言って来た。。私達を中国人だと思い、ジャッキー・チェンを知っていると話し掛けてきた。日本人だと言い梅干の入ったお握りをあげると、おいしいと言って食べ もう1つ欲しがった。彼の話によると、彼らは蛇を食べるらしい。神様にお祈りして、皮をむき切って食べるとか。いい青年が昼間から働きもせず・・・と思ったが、こんな何も無いところでは、働くと言っても仕事がないのだろう。

またキング・バーガーの店内に、第2次世界大戦で活躍した ナバホの人々のことが、写真や記事で紹介してあった。それに関連して日本軍の写真や遺品もあり、「ここに展示してある記事や写真は、反日感情を表すものではありません。」と日本語で書かれてあった。こんな所で それも戦後50年以上も経つのに、戦争のことを見るなんて!何だか気持ちが暗くなった。

 




モニュメントバレーは、西部劇やCMであまりにも有名で、ここに来る前からこの写真は知っていた。赤茶けた広漠たる荒野に、突然現れるビュート(残丘)。でもビュートはこれだけではない。他にいくつもあるのに、やはりここが一番格好よかった。

モニュメントバレーから、メサベルデ公園の近くの町 Cortezまでの182キロは、メインロードではないので行き交う車も少なく、勿論家もほとんどなかった。今まで通った道も 砂漠や荒野で家もなかったが、車が走っていて何かあっても安心だった。でも、この道は前にも後ろにも、我が車1台だけで、本当に心細かった

 



6月26日(火)
Mesa Verde国立公園(コロラド州)⇒Moab(ユタ州)  走行距離306キロ


朝から雨、気温19度。肌寒い。昨夜泊まったコルテツの町から公園まで近い。この公園は今から約1400年前に、この地に住みついた、アナサジと呼ばれる人達の住居跡だ。緑のテーブルと言われている、高さ2000メートルの台形の山上に、多くの人が住んでいたらしい。

この写真は、スプルースツリー・ハウスの住居跡で、8つのキバ(儀式の部屋)と114の部屋があり、100人以上が住んでおり、農耕を営み高度な文明を持っていたとか・・・。どうしてこんな断崖に、窓もある部屋を作り、住んでいたのか不思議だ。

この他にも、いろいろ見学するところがあったが、寒かったので博物館をゆっくり見て廻った。

メサベルデから、モアブまで248キロ。約2時間半で着いた。5時前で少し早かったが、モーテルに入った。旅も半ばで疲れているので、今日はゆっくりする事にした。MINEは早速インターネットを繋ごうとしたが、近くにAPがないのでダメだった。残念。





6月27日(水)
Arches国立公園(ユタ州)⇒Salt Lake City(ユタ州)  走行距離445キロ

ここは世界中で一番アーチ(穴のあいた岩)が集まるところで、知られているだけでも1500程あるらしい。公園に入ってすぐに見えると思っていたのに、32キロの舗装道路があり それにそって順番に見ていった。有名なアーチは、トレイルを歩かなければならず、砂漠の36度の暑い中、全く日陰もない所を歩くのはつらかった。下は、スカイ・アーチとHARU。

 

下の左は、ランドスケープ・アーチ。象の鼻の様に見える岩は、左から右まで約89mあるから驚きだ。アーチの下にはループ状のトレイルがついていて、アーチの下まで登ると気持ちよかった。右の写真は、バランス・ロック。アーチではないが、上に乗った岩が今にも落ちてきそうだ。逆光で上手く写らなかったが、下から見あげると大きく怖かった。

 


アーチーズに4時間ほどいて、次の目的地ソルトレイク市に向かった。ここでグランド・サークルの旅が一応終わり。一口で言うと、「カナダは森と湖の美しい自然。」「アメリカ西部は 赤茶けた荒削りの岩山と、砂漠が広がる厳しい自然。」・・・という印象を受けた。



 

    

 

 

 

 

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