田舎生活への準備(2002,5,20)                   

 和歌山の田舎の古家を借りる方向に決めたものの、やることが一杯ありすぎてどこから手をつけていいのかわからなかった。でもあせっても仕方がないのでのんびりと楽しみながらやることにした。それにどのくらい住むのか私達にもわからず(1年か?5年か?10年か?)、あまりお金をかけず出来るだけ自分達で修理することにした。

 交通の便が悪く一番近いJRの「下井阪駅」からでも車で40分くらいかかるので、とりあえず車が必要だった。それから家の中の荷物の整理、畳や床板の片付け、ごみだし、大工さんの見積もり、水道工事の見積もり、それから修理、牛小屋の取り壊し・・・・とやることが次から次へと浮かんできた。

中古車の購入
4月29日 
 中古車専門誌 「GOO」の本を買いめぼしいところを2〜3ヶ所見てまわった。予算としては出来るだけ安いほうがよかったが、あまり安すぎて(1万円というものあった)すぐに故障しても困るし、高いのは無収入の私達には買えないし・・・ということでいろいろ迷った。細い山道を走ることが多く維持費も安い軽自動車の方がよかったが、中古の軽は人気があるのか思ったよりも高かった。
 結局近畿中古車センターの超目玉品、平成8年走行距離6万5000キロのミラージュを14万円で買うことにした。今までの私達だったらこんな車見向きもしなかっただろうが、カナダへ行ってから価値観がすっかり変わり見栄もなくなり、今の私達にはこの車でいいと思った。実際カナダでは走行距離十何万キロの車なんでざらにあるのだから。
 初めてこの車を見た姉は、「あら、案外きれいね。もっとぼろかと思っていた・・・」と言ったほどだからまあまあだろう。(馬力はもう一つかな?)


いよいよ片付け始める
5月2日 
 Tさん夫妻に来てもらいおじいさん、おばあさんの私物を片付けてもらう。洋服ダンス、整理ダンス、水屋、三面鏡の中などを見てもらい、持って帰ってもらう物と捨てる物とに分けてもらう。どんないいものでも古くなり、虫に食われたりしみがついたりして大部分は捨てるほうに。大きなごみ袋だけで20くらいできただろうか? 
 私達は台所の食器・なべ類を片付けるが、田舎のお年寄りが使っておられた物で古く大部分のものは捨てるほうに。台所は土間なので物入れの下は湿気てしまい、床板がぬけてぼろぼろでそこから何が出てくるかわからず気持悪かった。ゴキブリの死体やむかでがいるかと思ったが何もいなかった。やれやれ!

 ただ昔ながらの壷や漬物たるがそのまま残っており、何が入っているのかわからずおそるおそる中を見た。味噌を作っておられたのだろうか。底のほうに何か干からびた物があった。また梅干も炭化して真っ黒になっていた。一升瓶に入ったしょうゆや何かどろどろした液体がありそれを触るのにも勇気がいった。正体のわからないものは気持ち悪い。3時間位で台所は片付いた。



5月3日
 HARUの友人の大川さん夫妻とお孫さん、MINEの友人のますみさんの3.5人のお手伝いの人が来てくれた。男性達は建具をはずし畳を上げ、床板をはずし・・・の力仕事。女性達は居間や奥の部屋の押し入れの整理。10年間も人が住んでいないとこんなにも荒れるのかと驚くぐらいあちこちいたんでいた。
 畳は湿気てぼろぼろで中のわらが出て持ち運べないくらいだった。床板も見た目以上に傷んでいてうっかり踏むとばりっ!と音を立てて割れてしまい、どこを歩けばいいのか注意しなければならなかった。床板をはずしてみると床組がくちてかび臭く、おまけにコンクリートの基礎工事がなくこれでは足元がくさって当然だと思った。
 また奥の部屋の押入れは雨漏りがして、戸を開けると何ともいえないいやな匂いがした。我慢して中のものを引っ張り出すと 水を含んだ布団やらわけのわからない物が出てきて気持ち悪くギャアギャア言いながら、ごみ袋に押し込んだ。

 その後汗とほこりまみれになりながら畳や床板をTさんの山に何往復もして捨てに行った。3年もすると朽ちてなくなるそうだ。それにしてもみんなサボらず文句もいわずよく働いてくれた。本当に友人って有難いものだ。感謝感謝!




5月4日 
 HARUの友人の嶋本さんが手伝いに来てくれた。昨日の続きの床板はずし、家のすぐ裏に迫っている木々の伐採をしてもらう。家の裏はちよっとした石垣になっていてそこでハビ(まむし)を見たので、それ以来HARUもMINEもこわくてそこに近づけないのだ。
 近くの84歳の一人暮らしのおばあさんは年に3匹くらいハビを取ると言っておられた。蛇が大の苦手な私達にとって山道や家の周りを歩くことは恐怖だが、田舎で暮らす以上蛇に慣れるしか仕方がないだろう。 今のところ長靴をはいて蛇対策をしている。またたぬきやいのししも出るそうだ。



 
5月6日 
 姉が手伝ってくれる。2人でやっているとなかなか進まず疲れてくると喧嘩になるので手伝いは有難い。

 隣の牛小屋兼作業小屋を片付ける。半分屋根が落ち瓦もぶら下がっているので頭上に注意しながらの作業だ。
農作業用のくわ、もみがら、炭、縄、棒、漬物用の大樽、漬物石、それに20〜30人用のお茶碗、汁椀、煮物椀、お猪口、お銚子などよくもこれだけあるものだと思うくらい出てくる。それも屋根の土が落ち所々土がかぶさっているので引っ張りだすのも一苦労だ。疲れがたまってきたのかイヤになってきた。


ごみ捨て
 5月9日 
 今日も姉の手伝いあり、大助かりだ。衣類や台所品その他不要品のごみの山が出たので、業者に頼もうと役場に問い合わせると持ち込むと安くなると教えてもらった。その代わり可燃ごみ、不燃ごみ(鉄、アルミ、ガラス、陶器、土など)と細かく分けないといけない。親戚から軽トラックを借り自分達で運ぶことにした。

 50ほどのごみ袋をもう一度開け中を確かめて可燃と不燃に分け、古木や空き箱など燃えるものは前の畑の隅で燃やした。 
軽トラックに一杯のごみを積み山道を40分ほど走って、不燃ごみ処理所に着いた。ごみの重量を測り1つ1つこれはここと教えてもらいながら種類別に捨てた。
係りの人はとても親切でやさしく感じがよかった。これが田舎のよさだろう。

 すぐに引き返し今度は違う場所にあるクリーンセンターへ可燃ごみを捨てに行った。可燃は布団とその他燃えるものに分けるだけで簡単だった。生ごみの山にごみ袋を1つ1つ投げ捨てた。ムッとした生ごみの匂いがたまらなかったが、何事もいい経験だと思った。不燃ごみ390キロで3900円、可燃ごみ300キロで1500円だった。ずいぶん安くつきうれしかった。そのかわりごみ捨てだけで一日が終わってしまった。


大工さんの見積もり
5月10日 
 嶋本さんが建築関係の仕事なので、和歌山の大工さんを紹介してもらい見積もりに来てもらった。こちらの事情を話し基礎工事と床板張り屋根の修理だけを頼んだ。
またHARUの兄が木材業なので必要な材木はそこから買うことにした。その他工事に必要なものは私達で用意し、大工さんは手間だけという形にしてもらった。それでも1日1人2万円2人で4日かかるということだった。なんと言っても人件費が一番高い!



5月11日 
 嶋本さんのバンを借り羽倉崎のコーナンに基礎石となる44個の束石を買いに行く。1個約10キロ強として44個で500キロ近くの重さだ。
バランスが取れるように補助席の下、座席の下そして荷台と考えて積む。それでもハンドルが重かったり、カーブでの運転が怖かったりと2時間近くもはらはらしていた。特に山の細い坂道は途中で止まってしまうのでは・・・・と思うくらいなかなか進まなかった何事もなく無事に着いたときはほっとした。
 それからがまた一苦労。1つ1つ車から降ろし一輪車に積んで玄関まで運んだ。なにしろ重いので腰を痛めないように気をつけた。終わったときは汗びっしょりだった。



5月13日 
 兄の谷和木材店で材木を買い2トン車で運ぶ。角材が約20本、コンパネ35枚。途中コーナンで18キロのセメント7個と18キロの砂16個を積み込む。今回は2トン車なので前のような心配もなくスムーズに運べた。2人ですべてのものを下ろすのに1時間もかかった.
 力仕事ばかりでくたくただが貨物のあるときしかごみを捨てにいけないので、2回目の可燃ごみを捨てに行った。塩ビの樋やプレートなのでけっこう高かった。



5月14日 
 手伝いの人に束石を設置してもらう。大工さんだと人件費が高いというので手伝いの人を頼んだのに、2人で4時間くらい働いて5万円。あまりの高さに驚く。
水平を測りコンクリートをこねその上に束石を置くだけなのに(相当な力仕事だが)・・・。大阪市内から高速道路を使いガソリン代も入っているのだろうがどうも納得できない。


  
5月16日 
 昨日やっと車が来たので今日から車で通う。MINEの実家(寝屋川)から和歌山の古家まで約100キロ、朝7時過ぎに出て着いたのは10時半。なんと3時間半もかかってしまった。
 往復にかかる時間は6時間半、それだけで腰が痛くなってしまうし、実労働時間はいくらがんばっても5時間くらいだ。何とかしなければ・・・。

 今日は姉と3人でかまどを壊す。最初は使うつもりだったが土間の真中にあり、半分壊れているし毎日これでご飯を炊くのは大変なので壊すことにした。大きなハンマーでタイルをたたいてひびをいれると簡単にレンガが取れた。1つ1つレンガをはずし使えるレンガと使えないものに分け外へ出した。

 そのうちに赤土が出てきたが思ったほど埃は立たなかった。かまどの下部はコンクリートで固めてあったが、ストレス解消とばかり思い切りたたくと少しずつ壊れた。コンクリートの塊を外へ出すと台所も広くなりすっきりした。
 その後床下掃除をし、伐採した木々やつるを燃やした。姉が手伝ってくれたので仕事がはかどった。


5月17日  
 親戚の軽トラを借りかまどの残材などの不燃ごみを運んだ。使えるレンガは残し壊れたレンガや赤土は運ぶつもりで軽トラに積み始めたが、HARUが隣の小屋との境にレンガを並べようと言い出したのでまた下ろした。モザイク模様にレンガを並べ上に土をかぶせた。二度手間だったがおかげで残材は三分の一に減った
 重いレンガや土を運びくたくたになった。おまけに2人だとどうも能率が上がらず、イヤイヤやっている感じで動作ものろく疲れも大きい。この家を自由に使ってもいいので誰か手伝いに来てくれないかな?



5月19日 
 雨の中木々つた、草を燃やす。10年間も手を入れてないので木は伸び放題、おまけにつたが絡まってなかなか切れず、引っ張るとどこまでも続きいやになってくる。HARUは本家と牛小屋との間のトタン屋根をはがす。上を向いての作業はなかなか大変。
 MINEは玄関の天井の掃除。くもの巣をとりすっきりした。



5月20日〜25日 
 台所、廊下、座敷の天井掃除。大きな蜘蛛の巣がこびりつき、ほうきでごしごしこすってもなかなか取れない。その後雑巾で水拭き。脚立にのり梁 天井を拭くがすぐに雑巾は砂で真っ黒。おまけに煙突の周りから雨漏りがしたらしく砂もぽろぽろ落ちてくる。まともに埃をかぶるので顔も真っ黒。 
 首もだるい。同じ作業ばかりではあきていやになってくるので、台所の掃除と牛小屋の整理。やることはいっぱいある



5月27日〜30日 
 今日から大工さん2人が来て下さる。朝9時から夕方6時まで一生懸命働いてくださり、私達も同じように手伝う。寝屋川から通うのは遠いので、嶋本さん宅に泊めてもらう。かなり近くなり助かったが、それでも朝8時出発、帰りは10時頃と毎日くたくただ

 床の束、床板張り、屋根の修理、その他こまごました仕事など手際よくしてくださり予定通り4日で終わりやれやれ。床を張ってもらいやっと家らしくなる。電気工事も終わりだんだんと私達の家という感じがしてくる。



牛小屋の取り壊し
6月1日 
 半分壊れかけた小屋だがかなり広く、まだ壁もしっかり残っているのでみんなは危ないから業者に頼んだら・・・と勧めたが、HARUの見積もりでは30万〜40万かかるらしい。壊すのにお金をかけるのは馬鹿らしく、友人に手伝ってもらい自分達で壊すことにした。

 嶋本さん、ますみさんの手伝いでまず屋根の瓦おろし。嶋本さんが壊れていない反対側の屋根に登り、はしごにトタンを打ちつけて作った瓦流しに瓦をどんどん落としていく。私達はそれを拾い壊れていない瓦は家の周りに並べ(家の周りの側溝用)、割れた瓦は埋め立て用に畑の隅に捨てた。

 思った以上に瓦の数は多くおまけに重く運ぶのにもウンザリした。1回に5枚しか運べずなん十回往復したかわからない。かんかん照りで暑くほこりと汗で体中がべとべとした。みんなばて気味だったが何とか最後まで運び終わった。くたくただった。終わった後のビールがおいしかったこと!よく働いたものだ。夜、手がしびれはれてきた。多分使いすぎたせいだろう。

 

6月2日 
 いよいよ取り壊しの日
。本当に自分達だけで出来るのか不安だったが、やらなければならなかった。
HARUの友人の岡本さん夫婦、大川さん夫婦の4人が手伝いに来てくれ11時から始めた。まず外壁の板をはずし中の土壁をのこぎりで切り、柱だけにした。壁はこまい壁と言って壁土の中にわらが混ぜてあり細い竹が組んであるので、なかなか切れなかった。壁が落ちるたびに土埃が舞い上がり、マスクやタオルで口を覆っても口の中はざらざらでのどが痛かった。

 小屋の半分が柱だけになったので、倒そうと柱にロープをくくりつけて6人で引っ張ったがびくともしなかった。次は車で同じように引っ張ったが柱が取れただけで、何の変化もなかった。家の方に倒れては困るのではしごでつっかえ棒にし、重さがかかっている柱をのこぎりで切ったが、倒れそうにもなかった。柱や梁に丸太が使ってあるので思った以上に頑丈だった。


 どうしたらいいかあれこれ考えいろいろ試したが、なかなか倒れなかった。暑さと疲れでみんなもイヤになってきた。HARUは冗談半分で、小屋を倒すまで帰れないとみんなを脅かしていた。仕方がないので反対側の残りの壁を切り始め、途中で車で引っ張った。ロープが切れる!と心配したところ柱だけが取れた。でもまだ倒れなかった。

 次に重心のかかっている柱の足元をビッグハンマーで思いっきりたたいた。柱が少しずれてみしっ、みしっと音がして小屋が土埃とともにゆっくりと傾いていった。みんなわっとあちこちに逃げた。赤い土埃がもうもうとたった。時計を見ると4時過ぎだった。倒れるまでの長かったこと。よかった、よかった!やっと倒れた!


6月3日 
 昨日の疲れか体中が痛くすぐに起きあがれなかった。午前中ゆっくりし昼から倒した小屋の屋根をとり始めた。倒したと言ってもまだ斜めになった柱が残り、屋根に土も載っているので重くなかなか大変で気が遠くなりそうだった。気温30度のかんかん照りの中、柱や残材は畑で燃やし壁土は一輪車で畑の隅に運んだ。少し動くだけでも汗びっしりになり体中埃と汗まみれになった。3時間ほど働きくたくたになったが目に見えた変化はなかった。やってもやってもなかなか進まずイヤになって来た。



6月7日 
 毎日寝屋川から往復7時間ほどかけて通い炎天下の中土方仕事をしたが、私達2人だけでは一生懸命がんばってもあまり進まなかった。次の水道工事のため倒れた小屋を早く取り除かないといけないのに、疲れもたまり気ばかり焦り思うように進まなかった。
 そこで若い岡本さん夫婦にまた手伝いにきてもらった。

 さすが彼等たち、力はあるし根気もあり私達の2倍以上の労働力だ。2人ではなかなか進まなかったが4人になると目に見えて片付きありがたかった。真夏日の中、頭も顔も土埃で真黒になりながらもいやな顔もせず一生懸命働いてくれた。おかげですっかり片付きほっとした。



6月9日 
 堺の家の小屋に置いてある主な家財道具を運んだ。ソファセット、洋服ダンス、整理ダンス、食器棚、本箱など大きいものが大部分だったが2人で運べた。MINEも力仕事で鍛えられ筋肉がついたのか案外楽に運べた。畳も入り見慣れた家財道具を置くと、少しずつ私達の家と言う感じがしてきた。


水道工事の見積もりと工

 一番頭を悩ましたのが水の問題だった。公共の水道がないため井戸を掘るか、600メートル離れた山から取り水を引くかのどちらかだった。取り水は雨が降ると濁るので水の管理が大変だったが、井戸を掘るのに最低でも100万円かかると聞き(それでも水が出るか出ないかわからない)取り水の方に決めた

 工事の見積もりは地元の業者に頼んだが50万円と高かったので、台所やお風呂の混合栓、洗面台など自分達で買える物はホームセンターで購入し取り付けだけ頼んだ。又できるだけ安くしてほしいと話し32万円になった。その代わりタンクの取り付けなど出来ることはHARUが手伝った。

 牛小屋を倒した跡地に1トンのタンクを据えつけた。600メートル離れた山からパイプを引くつもりだったが、私達の家の上にある山崎さんのタンクのあまり水をもらうことになりパイプは150メートルですんだ。この1トンの水で何日生活出来るかわからないが、大事に使わないといけないことは確かだ。

 

6月15日 
 やっと水が来て拭き掃除や建具洗いが出来るようになりやれやれ。建具がなかなか外れないので、ジャッキでかもいを上げ何とか外れた。大部分の建具をジャッキ・アップして外したので時間のかかること
 家の前のコンクリート道に障子やガラス戸を運んでホースで水をかけて、ホーミングでごしごしこすりあと乾かすだけで3日間もかかってしまった。建具の桟に砂が積もっていて力を入れてこすったので、ビニール手袋を3組もだめにしてしまい手や腕が痛かった。


6月18日 
 姉に手伝ってもらい障子貼りをした。18枚の障子を貼るのに3人が流れ作業でしても3時間もかかり最後にはイヤになってしまった。でも貼り終ると家中が明るくなり真っ白な障子は気持ちよかった。

 昼から自分への褒美と称して岸和田の露天風呂へ行き久しぶりにゆっくりした。5月2日以来休みなしで朝早くから夜遅くまで働きずめだった。自分でも体がよく続くものだと感心している。貧血で夏の重労働なんて考えられなかったのに!土方仕事が多く真っ黒に日焼けし体重も落ちたが、体力はかなりついたようだ。こんなにもご飯がおいしく夜ぐっすり寝られるなんて初めての経験だった。





6月19日〜22日 
 4畳半の床のビニールシート貼り、押入れのクロス貼り、台所の戸棚のクロス貼り、台所の棚の修理など家の中の仕事をした。クロスを貼るのに長さを測り正確に切るが家全体が歪んでおりどうしても合わない。クロスは適当にごまかして貼ったが大工仕事のHARUは木なのでごまかせず、何回も測ったり切ったりして相当苦労していた。




6月23日

 寝屋川の実家に預けてあった服や布団を運び、いよいよ今夜から泊まることになる。1トン車を返しに行ったので遅くなり夜の10時頃に到着した。
 山道は信号も街灯もなく真っ暗で、車のライトだけが頼りでいつもより長く感じた。家の周りは勿論真っ暗で家に入り電気を付けまくった。テレビもラジオもなくすることもないので寝るしかなかった。天井から何か落ちてこないように祈りながら寝た。





     

 

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